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第862話 すべて世は(6)
「あっ、けど、琴音ちゃん、本当はこっちでしょ、都倉狙いだったでしょ?」
「うーん。」琴音は和樹と渡辺を順にみた。「都倉先輩はとてもかっこよくて、素敵だと思います。でも、テレビの中の人見てるのと同じで、ファンみたいな気持ちなんです。今こうして狭い部屋で近くにいられるのが不思議。」
「狭くて悪かったね。」
「あっ、すいませんっ。」琴音は渡辺に何度も頭を下げた。「私、もう少し相手の気持ちとか考えないと、ですよね。渡辺先輩、ご指導の程、よろしくお願いします。」
「いやあ、俺もそのへん無神経なとこあるからさ。都倉氏によくムッとされてる。」
「気が付いてるなら直せよ。」
「ムッとされてるのを見て気が付くんだから仕方ないだろう。」
「こんなんだけど本当にいいの?」和樹が琴音に言う。
「どうでしょうね、それはこれからつきあってみないと分からないですね。」
真顔で言う琴音に、和樹も渡辺も笑ってしまう。何を笑われているのか分からないという表情の琴音だが、二人を見ながら居住まいを正して言った。
「今日お話させていただいてよかったです。明日の打ち上げは気持ち切り替えて楽しめそうです。」
「うん。それならよかった。キツイこと言ってごめんね。」と和樹。
「いえ。ありがたいです。宮脇先輩は優しすぎてあまり言ってくださらないから。みんな好き勝手なことばかり言うし、私なんかよりもっと板挟みで大変なはずなのに。」
「ミヤちゃんのゴールがどこなのかは俺にも分かんないけど、応援してるって伝えておいて。」
「はい。」
「俺も。俺だって応援してるよ。」と渡辺が割り込んできた。「でも俺は知らないこといっぱいありそうだから、まずは琴音ちゃん、いろいろ教えて。」
「もちろんです。あっ、渡辺先輩もうちのサークル入ったらどうですか? 兼部できますよ。」
「兼部かあ。」渡辺は和樹をチラリと見る。「うーん、それはちょっとやめとくわ。一応俺、こっちでも副っぽいことやってるし。」
「就活も忙しいしな。」と和樹が補足した。
「就活? もう就活ですか。」
「渡辺は特別張り切ってんだよ。」
「都倉だって教職取ってるし。」
「教師と決めたわけじゃねえよ。」
「渡辺先輩はどの業界目指してらっしゃるんですか?」琴音は早速「彼氏」の今後が気になるようだ。
「琴音ちゃん、敬語やめようよ。もうほら、俺ら付き合ってるんだから。」渡辺のほうもまた、琴音との距離を狭めたい様子を見せる。
「わ、分かりました。気を付けま……気を付ける。」
却ってしゃべりにくそうな琴音を満更でもない様子で見ながら、渡辺が言った。「俺は今のところ公務員。でも、そうと決めたわけでもない。だから今、二年でもインターンやらせてくれる企業行ったりして、自分にどんな仕事が合ってるのか試してる。」
「わあ、すごいですね。」
「すごいのよ。」渡辺はわざとふんぞりかえって見せた。「でも、都倉も先生目指してるし、都倉の彼氏も、なあ? すごいよな。」
「勝手に人のことペラペラしゃべるんじゃない。」口ではそう言うが、とりたてて怒ってはいない。渡辺については無神経な発言も許してしまう自分が不思議な和樹だ。
「彼氏さんも学生ですか?」
「あ、うん。他大だけど。つか、向こうは地元の大学で、だから遠距離なんだ。」
「遠距離……。」
「高校の同級生でさ。」
「じゃあもう二年もおつきあいされてるんですね。あ、高校からならもっと? すごいですね。」
「いや、つきあいだしたの、卒業したあたりからだから。」
「遠距離なのに?」
「うん。」
「すごく、好きだったんですね。」
「はは。」和樹は照れ笑いをする。――ああ、すごく好きだ。でも、最初から今ほど好きだったわけじゃない。「すごく好き」に変わっていったのは、涼矢がずっと好きでいてくれたから。
「素敵ですね。私も頑張ります。」
「頑張らなくていいよ。」渡辺がニコニコと笑いかける。「頑張らなくても好きになってもらえるよう、俺が頑張るから。」
「うわ、男前発言だな。」和樹が冷やかした。
「男前なんだよ、顔はともかく、心は。」
「男は」琴音が言いかけて、言い直した。「人は見た目じゃないですよ。」
「そうでしょ?」渡辺が頷く。「あれっ、でもそれ、俺の見た目はいまいちって言ってない?」
「え? あれっ? そんなつもりはなかったんですけど。」
しどろもどろになる琴音を前に、渡辺と和樹は笑い合った。
ひとしきりの当たり障りのない会話の後、「私、そろそろ帰ります。」と琴音が立ち上がる。
「都倉、駅までの道分かる?」
「えっと、ここ出て、右行ったらデカい通りに出て、そしたら左、だよな。」
「いや、右、右。……分かった、送る。」
「悪い。」
「私、分かりますよ。アプリもあるし、大丈夫です。」
「あ、そう?」渡辺は巨大な靴箱の扉を開けたところでいったん手を止めた。
「いや、俺はともかく琴音ちゃんは送ってあげなよ。」と和樹が言った。
「……そうだな。」渡辺は靴を出す。
「都倉先輩のほうが心配です。」
「東京は道がごちゃごちゃしてて分かりづらいんだよ。」
「でももう二年住んでるんですよね?」
「……。」和樹は言葉に詰まる。涼矢からも時々方向音痴をからかわれるのを思い出す。
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