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第864話 すべて世は(8)
「はい。」と照れ臭そうに琴音が笑った。
「都倉が邪魔しなきゃうまく行くよ。」
「邪魔なんかしないって。それにね、そんなのは二人の気持ちがしっかりしてたら大丈夫だろ? 現に俺だって二人でボート乗っても別れてない。」
「そんなジンクス本気にするなよ。」
「渡辺が言い出したんだろうが。」
そうこうしているうちに駅に到着した。琴音とは逆方向の電車であることが分かると、和樹は一足先に改札に向かって一歩踏み出した。
「あの、都倉先輩。」琴音が呼び止め、和樹は振り向いた。「先輩は、その、うちのサークルに入る気は……?」
「当事者として?」
「それは……。」琴音は言い淀む。
「ま、当事者でもそうでなくても、それは考えてないや。ごめん。」
「ですよね。分かってはいたんですけど。」
「分かってた?」
「ええ。だって、宮脇先輩がサークル作る準備をしている段階から知ってたんですよね? その気があればとっくにメンバーになってたと思うし。」
「そう……だね。」
確かにそうだ。涼矢との仲を知った宮脇は、いち早く和樹に学内にセクマイサークルを作る計画を教えてくれた。その後も何度かイベントの案内をくれたりもしているが、積極的にサークルに入れと勧誘されたことはない。それはきっと、和樹がそれを望んでいないことを察してくれているのだろうと思う。和樹のほうから宮脇に働きかけたのは、例の去年のミスターコンテストの件と、HIV検査のことを尋ねた時だ。改めて考えてみると、宮脇を「都合よく」使っている気がしてきた和樹だ。
「すみません、私、また余計なこと言っちゃいましたよね。」琴音が焦り気味に言った。「変な意味はなかったんです、気にしないでくださいね。」
「いや、うん。」歯切れの悪い言葉しか返せない和樹だった。
「あと。」琴音は顔を上げ、和樹を見る。「今日聞いた話は、私、誰にも言いませんから、それは安心してください。」
「あ、うん。」和樹は、琴音と、その琴音をハラハラした表情で見ている渡辺を見比べるように見た。「こっちこそ、気を使わせちゃってるよね。ごめん。」
それを聞いた渡辺も和樹に視線を移す。「俺も誰にも言ってないよ。今後も勝手にペラペラしゃべったりするつもりはないし。」
「うん。サンキュ。俺さ、それ、隠してるわけじゃないんだけど……いや、やっぱ隠してるんだよな。」
「そんなこと気にしないでいい世の中に変えたいんです、私たち。」
世の中、とは大きく出たものだと和樹は思うが、それぐらいの気合がなければ自分から首を突っ込むものでもないのだろうとも思う。ましてや琴音は「当事者」ではない。ある種の使命感や正義感、そういった信念に突き動かされて動いているのだろうと想像する。その手の情熱に欠けている自分が少し後ろめたい。
「うん。頑張って。なんて、他人事みたいで悪いけど。」
「いえ、他人事だからできるんです。」
「え?」
「ダイレクトに自分が辛いことって、冷静に考えられないじゃないですか。今いじめにあってて、明日学校行きたくないって思ってる子に、どんな社会になってほしいですか? なんて聞いたって答えられないですよね。それを考えられるのは、当事者じゃない周りの人たちでしょう? だから。」
「あー、うん。」
琴音の言葉にはどこかひっかかりを感じるものの、それが何かは分からず、その一方では強く否定するほどの違和感もない。またも曖昧な返事を返すことしかできなかったが、それでいいやと結論付けて、「じゃあ、とりあえず邪魔者はお先に消えるとするよ。」と言った。
「お、また明日。」
渡辺が片手を挙げ、琴音がぺこりとお辞儀をした。そんな二人に軽く手を振り、別れを告げた。その後の二人が何を話したのかは知らない。――デートの約束なのか、あの幼馴染の話なのか、それとも、俺と涼矢のことなのか。
――涼矢も、言ってたな。俺がミヤちゃんのような活動をする気はないのかと聞いた時、そのつもりはないって。俺がいればそれでいい、だっけ。
ふと窓の外に目をやると、外は暗く、景色よりも鏡のように映し出された自分の顔のほうがはっきり見える。
――俺が同性とつきあってるかどうかなんて、この見た目からは分からない。でも、言ってしまったら嫌な思いをする可能性がある。そんなリスキーな選択をわざわざする意味はなんだろう。みんなが恋バナで盛り上がってる時に参加できないのがそんなにキツイか。恋人のことを聞かれたって、そんなの適当にかわしておけばいいだけなんじゃないのか。
帰宅した和樹は、涼矢に電話をかけた。何回かコールしてから切ると、すぐに涼矢からかけ直してきてくれた。和樹の通話料の負担軽減のための暗黙のルールだ。
――どうだった、学園祭。
「まあまあ盛り上がったよ。明日は最終日で打ち上げやるから、遅くなる。」
――うん、分かった。今日も今帰り? 遅かったね。
「いや、今日は渡辺んとこ寄ってたから。」
――サークルの人だっけ。明日の準備?
「それが、いろいろあって。」
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