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第49話 GINGER ALE(26)
涼矢はまた調理台のほうに向きなおり、今度はニンジンの皮を剥き始めた。
「……怒るなよ。」和樹はおずおずとそう言った。涼矢は返事をしない。「つまらないことでつっかかって、すみませんでした。」和樹が呟くように言うと、涼矢がプッと吹き出した。
「俺がもっとさ、大人で。」涼矢はニンジンの作業を続けながら語り出した。「うんと年上の社会人で、それだったら、別に奢られても気にならないんだろう?」
「……まあ、そうだろうな。」その通り、同じ年で、同じ学生で、対等でありたいと思うからひっかかるのだろう。
「和樹って、彼女に尽くすタイプだったんだろうな? 金銭的な意味で。」涼矢が突然そんなことを言いだした。
「へ?」
「デートの費用は一切和樹持ちで、彼女の誕生日にはブランドのアクセサリー買ってやって。」
「……うん、まあ、そんなに高いメシとかプレゼントじゃないけど、基本的には。」
「それで、彼女のことは俺が守ってやるって思ってた。」
「そりゃま、男だからね。」
「でも、男の俺と付き合う羽目になって、勝手が違うわけだ。」
「……涼矢を守ってやろうとは、思わねえよな。俺よりできる奴を守る必要ないし。」和樹は苦笑する。「それどころか、頼ってばっかりで、だから、自信がなくなってくるっつうか。」
涼矢は軽いため息をついた。「自信て?」
「おまえのほうが何でも出来て、何でもやってくれて、俺、何の役にも立ってなくて、その上、金まで多く出してもらっちゃったら、その……。」
「話が元に戻ってるけど。」
「だから、そのうちおまえに愛想尽かされるんじゃないかって!」
「あのさあ。」涼矢はニンジンを茹で始めたところで、くるりと反転して、和樹のほうに体を向けた。「俺はこれ以上どうすればいいの? どうすれば、そんなことないって思ってもらえるの?」
「怒るなって。」
「今は怒ってねえよ、呆れてるんだよ。俺がおまえにいつ役に立てって言ったよ? そんな素振りしたことある? 俺がおまえにダメ出ししたことなんて、せいぜいシーツの洗濯しろって言ったぐらいじゃない?」
「そう、まくしたてるなってば。おまえ、こういう時だけやたら口数多いよな。」
その瞬間、涼矢は和樹にいきなり抱きついた。「おまえだよ、おまえが余計なこと言うから。」
「りょ……。」突然のことに、和樹は戸惑って、涼矢に抱きつかれたまま棒立ちするしかなかった。
「俺さ、ずっと好きだって言い続けてるよね? それじゃ足りない?」
「気持ちを疑ってるんじゃないよ、ただ、おまえにいろいろしてもらいっぱなしなのが、ちょっと……。」
「してやってるつもりなんかない。好きでやってるだけ。おまえのために嫌々やってることなんかないし、これだけしてやったんだから言うこと聞けなんて言うつもりもない。俺の前ではかっこつけないで甘えるって言ってくれただろ。それならそれでいいじゃないか、俺が払うって言ってる時は、黙って奢られててよ。それで俺の作ったもん、美味いって言ってくれれば、それでいいんだよ、俺は。」
「……。」和樹は無言のまま涼矢を抱き返した。
「これから先、俺が弁護士になれるかどうかなんてわかんないだろ。司法浪人やってるうちにオッサンになって、家も追い出されて、バイトで食いつなぐ生活になるかもよ。その時に、おまえは、札束チラつかせて、食わせてやるから俺の言うこと聞けって言うの?」
「言うかよ。」
「だから、そういうことだよ。今たまたま俺はおまえより金持ってて、ちょっといい食材買いたいと思えば、苦じゃなく金出せるんだよ。それだけのことだよ。対等って、割り勘にするとかどっちが家事たくさんやるとかじゃないだろう? やれるほうがやれる時にやればいいだろ。コントロールとか、そんな話にするなよ。」
「……ごめん。」
その時、かすかに焦げ付くような匂いが漂って来て、涼矢は慌てて和樹を突き飛ばすようにして、ニンジンを茹でていたコンロに近寄り、火を止めた。「セーフ。」
「おまえ今、突き飛ばしたな?」
「緊急事態だった。」
「ごめんって言ったからな。」
「聞こえてたよ。」
「……それで、いい?」
「何が。」
「もう、許してくれるのかってこと。」
「つまんねえことでつっかかってきたことをか?」
「そう。」
「もう二度とあんなくだらないこと言わないと約束して。」
「はい。」
「じゃあ、もういい。」
「これからは黙って奢られます。」
「……限度ってものがあるんだからな? 多少の気遣いは必要だと思うぞ?」
「社交辞令的な。」
「まあ、そういうこと。親しき仲にも礼儀あり。」
「涼矢くんは大人だなあ。」
「大人じゃねえよ。大人だったら、おまえはもっと素直に甘えてくれて、話は簡単だった。」
「えー……。」
「なんで不満そうなんだよ。」
「涼矢が最初からオッサンだったら、いくらなんでもつきあうの無理だったなって……。」
「そういう話じゃねえよ。」
「そうか。」和樹は何か思いついたような顔をした。
「なんだ。」
「対等ってのはつまり、一緒に大人になっていける、ということだな? それなら、俺らはやっぱ、対等なんだな?」
涼矢は虚をつかれたような顔をした。
「なんだよ、妙な顔して。」
「いや……。ホントそうだなって、ちょっと感動しちゃった。」
「はは、大袈裟な。」和樹は涼矢の肩を軽く叩いた。「ハンバーグ、何か手伝えることある?」
「うん。玉ねぎそろそろ冷めただろうから、挽き肉と混ぜて。」
「俺は挽き肉混ぜ係だな。餃子と言い。」
「そういやそうだ。なんか、似合うんだよな。」
「挽き肉混ぜるのが似合うって何だよ。」
「泥団子作りとか、粘土とか、好きじゃなかった?」
「……好きだった。」
「うん、そんな感じ。和樹のこども時代が容易に想像できる。泥にまみれて。」
「おまえは、そういうの汚いから嫌だって言ってるスカしたガキだったんじゃない?」
「そうでもないよ。体弱かったから、泥遊びはあまりできなかったけど、粘土で何か作ったりとかはよくしてたし、色つけようとして絵の具だらけになったりもしてた。」
「おまえが言うと芸術方面に才能があるお子様って印象になるな。俺は泥だらけのアホガキだっつのに。」
「どう想像しても、すげえ可愛い。」
「……。」
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