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第866話 こともなし(2)
――和樹はそのままでいいよ、俺はおまえのそういうとこが好きだし、尊敬してるんだから。けど、俺はおまえとは違うんだよ。
「知ってるって、そんなこと。ああもう、なんて言やぁいいのかな。」
――まだ続けんの、この話。
「俺はっ。」和樹はついに声を荒げた。「俺はね、おまえをかわいそうだなんて思ってないんだ。そんで、おまえのことをろくに知りもしない奴にかわいそうがられるのも嫌なんだよ。ムカつくんだ。」
――俺の話じゃなくて、ミヤさんのサークルの話だろ。
「同じだよ。……同じなんだよ。俺は、おまえやミヤちゃんや哲のこと、そんな風に、自分とは全然違う人間で、かわいそうだから助けてあげなきゃいけない存在みたいに言いたくない。」
――じゃあ、おまえはそうすればいいじゃないか。琴音ちゃんだっけ、他人の言うことなんか聞き流せよ。
「おまえはなんとも思わないの? そういうの腹立たない?」
――思うよ、けど、いちいち気にしてたら身がもたない。それに、実際、そんなに気にならない。……今はね。
「今は?」
――だって、おまえいるし。
「へ?」
――前にも言っただろ。俺はおまえがいればいい。世の中のゲイがかわいそうがられようが虐げられようが、関係ない。
「……ひどいな。」
――前はそれでいいって言ってたくせに。
「誰が。」
――和樹が。ミヤさんみたいな活動をする気はないって言ったら、人にはそれぞれ持ち場があって、俺も自分のやるべきことをすればいいって。
「それはそう思うけど。」
――なんだよ、どっちだよ。
「分かんねえよ。分かんねえからおまえに話してんだよ。」
ふいに涼矢が押し黙る。でもこちらの言葉を聞いている気配はある。また何かやらかしてしまったかと、和樹は自分の言葉を反芻する。
「おまえに話すことじゃなかったな。」そうして、ぽつりと漏らした。「おまえと俺は、違うんだから。」
――当たり前だ。
そう言う涼矢の語気も弱い。
「ただ、いっこだけ誤解しないでほしいけど、別におまえがどうこうってことじゃないよ。」
――うん。俺も今、それ言おうと思った。違うってのは、違うってだけで、どっちが正しいって話じゃなくて。
「それは分かってるよ。」
――でも、和樹がそんな風に悩むのは俺のせいだよな、って思った。
「だから、そうじゃないって。」
――うん。思ったけど、言えば、おまえはそうじゃないって言うんだろうなって思った。
「先回りして考えすぎ。」和樹は笑った。
――だから、俺のせいだとは思わないようにする。けど、やっぱり俺とつきあってるから悩んでるんだろうとは思う。女の子とつきあってたらおまえ、そんなこと、考えもしなかった。そうだろ? そもそもミヤさんともそこまで親しくもならなかったし、琴音ちゃんと出会うこともなかった。……自分がどっち側かなんてことで揺らいだりしなかった。
「どっち側……。」
――自分はゲイじゃない。そう思ってたのに、現実は男とつきあってる。自分をどこに置いていいか戸惑ってる。そうだろ?
「でも、そんなん、俺は俺だし、人を好きになるのに性別とか関係ない。」
――と、思ってたのに、関係してくるから混乱してる。そうだよな?
「……。」
――恋愛対象が男か女かなんて単なる個性のひとつって言う人もいて、そういう人って、その理屈で同性愛者を肯定してるつもりになってるんだけど、俺はそう思ってなくて。
「そうじゃないの? そんなの、山が好きか海が好きかみたいなもんだろ。」
――違うと思う。恋愛対象が同性ってのは、腕や足が片方ないようなものだよ。個性じゃない。海が好きでも他の人と同じやり方じゃうまく泳げない。山道も登れない。そこからスタートしなきゃならない。目が一重か二重かとか、肉が好きか魚が好きかとか、どんな音楽が好きとか、どんなスポーツがうまいとか、そういうことじゃないんだよ。大抵の人は腕は二本あって、それぞれに指が五本ずつくっついてる。だから売ってる服は袖が二つあるし、手袋は五本指用になってる。そういう前提で世の中ができてる。個性はその先に出来上がっていくもので、腕が足りないのは……ゲイってことは、個性なんかじゃない。
和樹は黙り込むしかなかった。
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