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第867話 こともなし(3)

――辛いか辛くないかで言えば辛かったよ。気持ちが分かり合える人がいたらいいと思ったこともあるし、その時にミヤさんみたいな奴と出会えていたら人生変わってたと思う。でも、現実はそうじゃなかったからこうなってて、で、俺はそれで良かったと思ってる。もっと前からゲイの先輩や友達に恵まれた人生歩んでたら、俺は和樹とつきあえなかった。 「俺のこと好きにならなかったってこと?」 ――たぶんね。……さっき和樹は壁作ってたのかって言ってたけど、そうなんだよ。俺はさ、小さい頃からずっと、どこにいても疎外感があった。ゲイだって自覚する前から、なんとなく自分はみんなと違うって。それで自分から距離を置くようになった。そのくせ扱いづらそうな態度取られると勝手に傷ついてさ。ほんと、面倒くさい奴だなと思う。でも、たまにそういうの、飛び越えてくれる人がいて、他のみんなと同じように接してくれて、そんな風にされると自分はこのままでいいのかなって思えて、安心できて。和樹もそうだった。  だんだんと深刻さを増していく涼矢の口調に不安になって、和樹は茶化すように尋ねた。 「それで好きになっちゃった?」 ――そう、だね。  だが、やはり涼矢の返答は固い。 「それってたとえば……例のカテキョの先生も?」 ――まあ、そう……だね。美術部の先輩も。 「俺から言い出してなんだけど、今更ながら昔の恋バナ聞かされるのはやっぱ辛いな。」  軽い口調でそう言うと、ようやく電話口の向こうで涼矢が笑うのが聞こえた。でも、それもほんの一瞬だ。 ――でも、相手から気持ちを返してもらえたのは、和樹だけだから。で、和樹のそういうとこに気づけたのは、俺がミヤさんみたいな人と巡り合えなくて、仲間もいなくて、淋しい人間だったからだと思ってる。だから……。 「なんか俺、責任重大だな。おまえの一生変えちゃったみたいだ。」  再び涼矢が笑う。 ――ああ、そうだよ。責任取ってよ。 「一生な?」 ――そう、一生。 「いいよ。」和樹はスマホを握る手に力を込めた。「責任取るから、一生。その代わりおまえもちゃんと俺の人生、最後まで見届けろよ。」  そんな言葉を聞いて、涼矢も安心したのだろうか、声のトーンが柔らかくなる。 ――さあ、それはどうだろう。和樹のほうが長生きしそう。 「そうか? 言うじゃん、憎まれっ子世に憚るって。」 ――え、俺、憎まれっ子? 「仲間いないんだろ。」 ――それは俺のほうから距離を取ったって話で、憎まれてはいないと思うんだけど。たぶん。 「たぶんかよ。」今度は和樹が笑った。 ――まあ、いいよ。嫌われても憎まれても。俺はね、おまえ以外にどう思われてもいいの。 「俺は自分の彼氏が嫌われるのも憎まれるのも嫌だぞ。」 ――だから、努力してるんだって。奏多だって哲だって、おまえがそういう奴じゃなきゃ、とっくに縁切ってる。 「柳瀬は?」 ――うーん。あいつはともかく、ポン太に嫌われるのはキツイかな。 「そっちかよ。つか、おまえはどんだけポン太好きなんだよ。俺、嫉妬するにしてもあいつが相手なのは納得行かねえ。」 ――いや、だからなんでアレに嫉妬するんだよ。 「身内みたいなもんなんだろ? 俺より近いじゃん。」 ――身内っていうか……ペットみたいなもんだよ。 「ひでえ。」 ――ペット飼ったことないけど、バカ犬を可愛がる人の気持ちは分かるつもり。 「つくづくひどい。」 ――そう、つまり俺は本当にジコチューでね。 「ほんとだよ。」 ――だから、ミヤさんみたいにはなれないんだ。俺は和樹のことだけ考えていたいし、それで充分なんだ。この先、一緒に暮らせるようになって、いろんなことに余裕ができたら考えも変わるかもしれないけど、今のところはね。 「……。」 ――でも、もし和樹がそういう活動に協力したいと思うなら、すればいいと思う。ただ、そういうのって無理してやることでもないから。 「うん。そうだよな。」 ――そうじゃなくたって、俺とつきあってるせいで無理しなきゃなんないことはあるだろ? そういうのに参加することで楽になれるならいいけど、話を聞いた限りじゃ、そうは思えない。 「無理も我慢もしてるつもりはないけどね。ただ、確かに今の気持ちで積極的に参加したいとも思えないんだよな。そっちやるなら、自分のサークルをもっと盛り上げたいし、バイトもっと頑張りたいし、就活だってあるし。」 ――じゃあ、それが答えじゃないの。 「そっか。」 ――うん。最初に戻っただけで、何の役にも立ててない気がするけど。 「いや、そんなことない。」 ――そうか? 「俺、どっかでさ、後ろめたかったんだと思う。俺だって男とつきあってんのに、ミヤちゃんのサークルなんか興味ありません、ゲイのことなんか分かりません、みたいな顔で知らんぷりするのが。」 ――俺はゲイで、それはどうしたって変えられないし、ゲイだからこういう人間になったんだけど、でも、それだけが俺のすべてじゃないよ。ゲイは常にそのことだけ考えてなきゃいけなくて、問題提起して行動すべきなんて、そんなの理不尽だろ。 「そうだよな。」 ――なんて偉そうに言えるようになったのは、おまえがいるからだけどね。俺だってずっと悩んでたよ、そういうこと。でも、俺はおまえとのことのほうがずっと大事で、それが間違ってるとは思えないから。 「うん。……俺もそうだよ。ゲイで悩んできたわけじゃないけど、俺も、おまえのほうが大事。一番大事。」 ――ほんとに? 「ああ。」 ――じゃあ。  言いかける涼矢に被せ気味に言う。「好きだよ。」 ――俺も好き。一番。 「知ってる。」  最後はそんな応酬をして、電話を終えた。

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