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第868話 こともなし(4)
和樹はベッドに横たわる。一時は険悪な雰囲気も漂ったものの、そうなる前に回避できて良かったと思う。
――回避できたのは涼矢が……あいつ、随分変わったよな。
和樹はさっきまでの涼矢の言葉を反芻する。以前の涼矢ならここまで言い合う前に黙り込むか、逆に理詰めで追い込んできた。最悪なのは、和樹の言う通りだ、俺がおかしいんだと勝手な自己卑下で決着をつけようとする時だ。一方で、そんな涼矢に苛立って八つ当たりしたり、適当な相槌で誤魔化して試合放棄してしまう自分もいた。
――涼矢だけじゃなくて、俺も変わったってことか。
――にしても、あんなにはっきり自分はゲイだって主張する涼矢も初めてだよなあ。
自分はゲイであり、そして、それは腕が一本足りないようなもので、個性などではないのだと言っていた涼矢。琴音にその言葉を突き付けたら、彼女はどう答えるのだろう。
"腕が一本しかないのと同じぐらい辛くても頑張ってるなんて偉いと思います。私にお手伝いできることがあったらなんでも言ってくださいね。応援してます"
そんなことを言い出しかねないと想像して、和樹はゾッとする。そして、涼矢とつきあう前の自分ならその違和感に気づかなかっただろうと思い、更に不快になった。
――もう、いいや。考えるの面倒くせえ。涼矢だって俺はこのまんまでいいって言ってんだから、それでいいだろ。
最終的には荒っぽくそうまとめて、和樹は布団をかぶった。
翌日は学園祭の最終日だったが、去年の宮脇のような騒動を起こす者もおらず、大きなトラブルもなく終えられた。それでも「実行委員会」としてはまだまだ残務がある。和樹も本部のテントを撤収したり、学祭用に設置したゴミ箱を総点検したりといった体力勝負の作業に奔走していた。
「なあ、こんなんで今日のうちに打ち上げなんかできるのか。」
やってもやっても終わらない作業に疲れてきた和樹は、鈴木に尋ねた。
「四年とОBは先に居酒屋行って始めてもらってる。金勘定と備品の返却は今日中に終わらせなきゃだめだけど他は後回しでいいから……。そうだな、あと一時間でそこまではなんとか目途付けて切り上げよう。俺、ちょっと手ぇ離せないから、今の内容をグループに回しといてくれるか。」
「分かった。」和樹は即座にサークル内の連絡網に鈴木に言われた内容を流す。「そういや、渡辺は?」
「たぶん、部室で今日の写真データの整理をしているんじゃないかな。もしいたら、細かいチェックは明日以降でいいから、外に出してるもん片づけるの優先って伝えて。」
「オッケー。」
和樹は部室に向かった。その途中に、渡辺のほうから電話がかかってきた。スマホに表示された「渡辺 海」の名が一瞬目に入る。「海」という下の名は昨日追加したばかりだ。それまでは他の渡辺姓の知人との区別のために「渡辺(学祭)」と入れていた。
――お疲れ。
渡辺の声がした。
「部室?」
――部室。さっきの連絡さ、都倉が回したの?
「そうだよ。鈴木、今忙しいから。」
――そっち手伝ったほうがいい?
「写真整理は終わったのか。」
――だいたいね。
「細かいチェックは明日以降でいいって。」
――そのつもり。今日はみんながバラバラに撮ってたのを一個にして、時系列に並べるとこだけやった。
「それでいいんじゃない。俺、もうすぐ部室。」
――今、人一杯で入れねえよ。会計が計算やってるし、一年が段ボールの詰め直しで場所取ってるし。
「じゃあ、海 が出てきてよ。」
――なんて?
「海。」
――何それ、彼氏か。
「一年にも渡辺っているじゃん。紛らわしいから。」
――まあ、いいけどよ。
その言葉は肉声でも聞こえてきた。和樹が部室のドアの前に立ったのと同時に、渡辺がスマホ片手に出てきたからだ。
「お疲れ。」と今度は和樹が言った。
「あと何の作業あんの。」
「ドリンクの片付け。」
「アイスボックス、協賛企業からの借り物だっけ?」
「それは返した。残ったジュースをね。」
「打ち上げの時にでもみんなで分けりゃいいんじゃないの。」
「配布数と残数つきあわせて報告しなきゃいけないんだって。」
「あ、そうか。」
渡辺と和樹は連れ立って歩きだした。
「あーあ、部室で休憩しようと思ったのに。」
和樹が言うと、渡辺が不服そうに言った。
「俺だってサボってたわけじゃねえぞ。」
「知ってるって。」
「和樹、だっけ。」
脈絡なく渡辺が言った。
「俺? ああ。」
「おまえが急にカイとか呼ぶから。」
「ああ。うん。ちょうどおまえのフルネームを登録したんで。」
和樹はスマホのアドレス帳を見せた。
「じゃあ、そっちも和樹でいいんだな?」
「どっちでも。」
「彼氏にはなんて呼ばれてんの。」
「和樹。」
「同じになっちゃうな。」
「別にいいよ。高校の友達も母親もそう呼んでる。つか、普通だろ?」
「普通だな。」
他愛もない話をしながら、再びサークルが拠点としていたテントがあった場所までたどりつく。
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