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第869話 こともなし(5)

 最低限の後片付けを終えた頃、現サークル長である三年生からの招集がかかった。実行委員会の本部テントが集合場所に指定されていたが、そのテントは既に和樹たちが撤収してしまっていて今は何もない。目印代わりに「本部テント跡地」に立ち、メンバーが集まってくるのを待つ形になった。最初に姿を現したのは鈴木と彩乃だ。 「やっと終わったわね。」  彩乃はそう言いながら、少し肌寒く感じたのか、大きなトートバッグからストールを取り出す。当たり前のようにそれを鈴木が手にして、彩乃の肩にかけた。 「そう言えば今回のミスターコンテストはどうだったの。」  渡辺が彩乃に尋ねた。 「おかげさまで、去年みたいなハプニングもなく、つつがなく済んだわよ。……ちょっと物足りなかったわね。」 「来年は我らがアイドルの和樹が出るからさ。」  渡辺が和樹の肩をバンバンと叩いた。  彩乃は一瞬眉をはねあげた。渡辺の「和樹」呼びに気づいたようだ。だが、それについては何も言わず、「そうね、是非優勝して、私にランチごちそうしてほしいわ。」と言った。優勝の賞品には学食の食券が含まれている。 「どうせ四年なんだろ、優勝するのは。」和樹が言う。 「何回出場したっていいのよ、三年でも四年でも優勝しちゃってよ。」 「無理無理。」  和樹は顔の前で手を振って否定した。それと同時に、サークル長の「そろそろ打ち上げ会場に移動するぞ」という声がした。  会場の居酒屋は二階が大人数用の広間になっており、貸し切りのようだ。先に宴会を始めていた先輩たちは既に酔っぱらっている者も多く、騒がしい。その騒がしさの中でも平気で寝ている者もいる。和樹はエミリや涼矢の醜態を思い出し、自分も酒を強要されたらどうしようと不安に思ったものの、鈴木がうまく采配して未成年や下戸にはソフトドリンクを勧めてくれた。 「おう、おまえの顔、見たことあっぞ。」早速酒臭い息のOBに絡まれる和樹だ。 「都倉です。どこにでもある顔ですよね。」 「おいおい、嫌味か。ちょっとばかりイケメンだからって。」相手はそう言ってワハハと笑うが、和樹にしてみれば別に面白いことを言ったつもりもなく、お追従の苦笑を浮かべるのが精いっぱいだ。「思い出したぞ、あれだ、あの、ニューハーフと一緒にイケメンコンテストに出てたよな。よろしくな、俺は若林。今年卒業した。」  若林という名前を聞いても思い出すこともない。何しろ去年はサークルをサボってばかりいたのだ。それを許す代わりに出ろと彩乃に言われて宮脇を引き連れて出場したのは「イケメンコンテスト」ではない。「先輩、それ、去年のミスターコンテストです。で、彼はニューハーフではないです。」 「そうそう、去年。あれは傑作だったな。」宮脇のことをニューハーフと表現したことについては無視かとがっかりしていると、男は続けた。「あいつは骨があって面白いと思ったけど、辞めたんだってな。」 「ミヤちゃんですか? ええ、自分で別のサークル立ち上げて。」 「パンフだけもらったよ。あれだろ、LGBTの。」 「はい。」 「俺んとこの会社は外資だからかな、結構多いんだよ、ゲイとかトランスなんとかとか。」 「トランスジェンダー。」 「それ。はじめはいちいちビビってたけど、慣れると言うか、人付き合いにそういうのは関係ないやって分かってさ。おまえらはいいよ、学生の内からこういうサークルもあって身近でさ。俺なんかどうしたらいいか分かんなくて。」 「何がそんなに分からないんですか?」極力責める口調にならないように注意しながら尋ねた。何しろ相手は半ば酔っ払いで、それでいてOBだから無碍にもできない。  だが、少々予想外の回答が返ってきた。「何に傷つくか分かんないだろ。」 「えっ。」 「よく言うだろ、見た目イマイチな上司が部下の女性に『髪型変えたんだね、似合うね』って言ったらセクハラだけど、イケメンの同僚が同じこと言うのは大歓迎なのが女性の本音ってやつ。」若林は宮脇のサークルが配布していたパンフをコツコツと指先で叩くようにした。「俺だってこういう人たちを差別する気はないしね、普通につきあえばいいとは思うわけ。でもさ、仲良い同僚が、ある日長ーい髪をバッサリ切って出社してきたら、何も言わないのも不自然だろう? でも、俺なんかが何か言ったらセクハラって思われるかもしれないし……。しかもそいつ、元・男で、普段は自分から彼氏に振られただの、今日のメイク失敗しただの、言うんだよ。そういう人にね、明らかに変化のあった外見について、何も言わないのは却って不自然だと思わないか? でも、やっぱ、自分からネタにするのは良くても、こっちからそれを話題にするのはダメなのかな、とか。」 「それ、は。」和樹は言い淀む。もっと心無い言葉が来るものとばかり構えていたものだから、うまく言葉が出てこない。 「結局ひとそれぞれっつう、どうしようもない結論しか出なくて。まったく、仕事以外のことでこんなに思い悩むとは思ってなかったよ。」

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