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第870話 こともなし(6)

「そんなに思い悩むものですかね。」 「だって今まで周りにそんなのいなかったもの。オカマバーだって行ったことないし。」 「俺も行ったことないですよ。」 「でも仲いいんだろ、その、ニューハーフ……じゃないんだっけ。ああいうのはなんていうんだ?」 「ミヤちゃ……宮脇くんのことですか?」横から渡辺が入ってきた。「彼はバイらしいですよ。」  渡辺が口にした言葉を聞いて、勝手にそのような「個人情報」を漏らすなんて、と批難しそうなったのは涼矢の影響だろうか。だが、そもそも渡辺にそのことを教えたのは他ならぬ自分だったことを思い出す。 「男も女もイケる口ってことか?」 「そうそう、それです。去年のミスターコンテストの時は昔の彼氏の話してたじゃないですか。でも、今は女の子とつきあってるって。」 「へえ……。ああいう、男だか女だか分かんないようなのが好きな女の子って結構いるもんなのかな。」  そうは言ってもミヤちゃんは「女装」はしない。男物の服ではあまり見ないパステルカラーやひらひらした装飾のついた服をよく着ているとは思うが、服飾系の専門学校卒というから、「服の好み」が凡人とは違うだけだろう。和樹は無意識に宮脇の肩を持つ。奇抜な服装を好むこと。男性も女性も恋愛対象になりうること。それは宮脇の個性であって、馬鹿にされる筋合いはない。 ――いや、こういうのも、涼矢に言わせりゃ「個性」じゃないのかな?  和樹がそんなことを考えているのをよそに、渡辺は話を進めていく。 「いっぱいいますよ。リアルに男くさい男は流行らないですからね。アニメや漫画をミュージカルにした舞台、あるじゃないですか。あれに出てくるイケメン俳優なんて、本当に生身の人間かよって感じですもん。宝塚の男役もそれに近いのかな。ああいう非現実的なのが好きな女がたくさんいるってことっすよね。」 「マッチョはダメか。」若林は苦笑いしながらワイシャツをまくりあげ、その太い腕を曲げてわざと力こぶを出してみせた。 「うっわ、すごっ。何かスポーツやってるんですか。」 「いや、趣味でジム通いしてるだけ。」 「マッチョはマッチョでモテますよ。なあ、和樹?」渡辺が不意に和樹の肩を叩く。「こいつ、意外と鍛えてて。」そう言いながら、和樹のパーカーを脱がしにかかろうとする。その下は学祭用に作ったサークルTシャツで、この場に来ている現役のサークルメンバーなら全員着用しているはずのものだ。もちろん、渡辺も着ている。 「おい、やめろって。」途中まで脱がされかけたパーカーを元に戻す。渡辺はそれ以上しつこくすることはなかった。 「男はマッチョ、女子は華奢。好みはそれぞれだけど、やっぱこれが王道でしょ。」 「そうか? 俺、結構好きだぞ。二の腕とかふくらはぎとか、筋肉がバーンって張ってるような、強そうな見た目の子。」 「えー、俺は無理っすね。強そうなのがいいなんて、若林先輩、Мっ気あるんじゃないですか。」 「アホか、そんなんじゃねえよ。」若林は笑ってハイボールを一口含む。まくりあげたままのワイシャツの袖からのぞく自分の腕を見ながら話しだした。「実は、さっき話した元・男の同僚がそんな感じなんだよ。筋肉の付き方が男っぽい。まあ、元々が男なんだからそうなんだろうが、体のラインがガシッとしてる。本人もそれ気にしてんのか、いつもだぼっとした服着てて。俺みたいにガシッとした女が好きな奴もいるんだから、好きな服着りゃいいのにと思ってんだけど、これ、本人に言ったらセクハラかね?」 「別にいいんじゃないですか? だって応援してるようなもんでしょ。」  渡辺はそう言うが、同意はできない。そんな気持ちが無意識に表情に出ていたのか、若林は和樹のほうを見て、わざわざ「イケメンくんはどう思う?」と聞き直した。 「……その人が元男性じゃなかったら、それ、言います?」 「ゴツめの体型の女の子だとしたらってこと?」 「はい。」 「うーん。それはちょっと言いにくいかな。褒めてるつもりでも、向こうはコンプレックスかもしれないじゃん? 気にしてたらかわいそうだ。」 「だったらダメなんじゃないですか。相手が男でも元・男でも、相手が気にしてる可能性があるなら言うべきじゃないと思います。いや、そもそも、そういう見た目のことは言わないのがマナーかな……。俺も人のこと言えないですけど。親しくなるとつい、そういうのルーズになるとこ、ありますから。」 「さっすがイケメン。紳士だねえ。」渡辺が茶化す。 「そういう、イケメンだのなんだのっていうのもさ、しつこく言われれば嫌なもんだよ。顔だけで贔屓されてるなんて言われて悔しい思いしたこともあるし。むきになれば余計言われるからヘラヘラ笑って流すしかない。悪口より始末悪いこともある。」和樹は渡辺に向かってそう言い、その後には若林に向き直った。「だから、何も言わないのがいいと思います。それか、普通に、好きだって伝えたらいい。」 「え。」若林と渡辺が声を揃えた。 「若林先輩、その人が好きなんじゃないですか? そうでなきゃ悩まないでしょ、そんなことで。」

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