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第873話 precious moments(1)

 和樹はカフェオレを飲んだ。普段コーヒーはブラックでしか飲まないが、外で若林を待っているうちに体が冷えてしまい、温かなミルクの風味が恋しくなった。  若林はここでもハイボールを飲んでいた。打ち上げ会場から程近いこのカフェは、カフェとは銘打ってはいてもアルコールドリンクやちょっとした酒肴も取り揃えているようだ。 「腹減ってるだろ、なんか適当に頼みなよ。」若林が言い、和樹は取り分けが容易そうなピザとフライドポテトを頼んだ。空腹なのは事実だが、先輩の前で自分一人だけガツガツと食べるわけにもいかない。そんな和樹の遠慮に気づいているのかいないのか、若林はスマホの通知をチラリと見て「もう少しで着くって。」と言った。  この店に入る前、打ち上げ会場の店から出てきた若林は、開口一番「会わせたい奴がいる。」と言ってきた。どういうことかと詳しく聞き出す前に、このカフェを見つけて入ることになった。 「あの、その人ってどういう……。」 「うちのサークルの奴だよ。今はえっと、三年か。一年から二年に上がる頃にサークル辞めたいって言うのを俺が引き留めて、名前は残ってるんだけど、ほとんど幽霊部員だから都倉は知らないかもなあ。大人数が苦手でさ、今日も二次会で人数減ってからなら来るとか言っててさ。さっき、すぐに来いって呼び出した。」 「どうしてその人を。」和樹はさっきと似たような問いかけをする。何年生かなんてことはどうでもいいのだ。気になるのは、どうしてその見知らぬ男と自分を会わせたいのか、という点だ。 「ゲイなんだよ、そいつ。」 「は? だから俺と会わせたいって言うんですか?」和樹は意識的に不機嫌さを露わにした。「そういうことなら、俺、ちょっと……。」  立ちあがりかけた和樹を、若林はまあまあとなだめた。「ごめん、説明が足りなかった。そいつ、なんつうか、人嫌いでさ。良い奴は良い奴なんだよ? 真面目だし、気も利くし。んで、一対一なら普通に喋るんだけど、ちょっと相手が増えると途端に貝になっちゃう。それでサークル内でも孤立しがちで、俺、なんか放っておけなくてずっと面倒見てたんだけど、何かの弾みで、まあ、あれだ、俺のことが好きっつか、それっぽいことを言われて、一時期ちょこっとな。ほんとにちょこっとつきあって、でも、俺のほうが男とはそういう……先のことができないなって分かって、別れて。と言っても円満に別れたっつか、まあ、そもそもがっつりつきあったってたと言うよりお試し期間みたいな感じだったから、そいつもすぐ納得してくれて。それ以降は気の置けない親友みたいな関係。」  短期間であったにせよ若林が同性とつきあっていたと聞いて、和樹は動揺した。しかも、その交際に至る経緯は、自分と涼矢とのそれと重なる。真面目だが他人とのコミュニケーションが苦手で、孤立しがちな男。そんな男に告白されてつきあいだした自分。  自分だって男相手にセックスしたいと思ったのは後にも先にも涼矢だけだし、初めて涼矢に欲情した時にはそんな自分に戸惑ったものだ。若林の「抵抗感」は十二分に理解できる。それでも、涼矢に対する好意の中に恋愛感情も性的欲求もあると自覚してからは、セックスするのは自然な流れだとも思っていた。そう思うのは、そして、現実的にセックスができたということは、やっぱり自分が「ゲイ」であることの証拠なのだろうか? だとしたら、これからやってくるらしい相手は、若林よりも渡辺よりも理解しあい、共感しあえる、そんな存在なのだろうか? いくらエミリや渡辺が「良い友達」だとしても言えないことは確かにある。その人なら、そんなギャップも埋めてくれるのだろうか? ――そこまで考えて、しかし、和樹はそれを否定した。 「その人がどうでも、俺とは関係ないでしょ。同じゲイだから友達になれとでも言うんですか。」言葉に棘があるのは分かっている。そう聞こえるように話した。 「そうじゃないんだ。ただ、ちょっと気になることがあって。」 「気になること?」 「そう、都倉、X県出身って。」話している最中に、若林の視線は和樹を通り越し、店のドアのほうに向けられた。「あ、来た。」  ドアを背にした席にいた和樹は振り返る。若い男が一人、入ってくる。若林と目が合うとニコリとするわけでもなく、軽い会釈をした。その次には和樹のことも見て、同様に顎を上下させるだけの会釈をした。  男はゆっくりと近づいてくる。急に呼び出されたとは言え、一応は「先輩」を待たせてるのだから素振りだけでも急いだらいいのに、と和樹は思う。そんなマイペースなところもどこか涼矢に重なる。そう言えば黒縁の眼鏡も涼矢と共通していると言えなくもない。しかし、彼の眼鏡は丸みを帯びていてどこかユーモラスだ。それだけではなく、背はあまり高くないし、なで肩で、中学生と言っても通りそうな童顔で、つまり、見た目は涼矢とは似ても似つかなかった。  彼が自分たちがいるテーブルの間際までたどり着いた時、和樹はようやく彼が左足をほんの少し引きずっていることに気がついた。「急ぐ素振りすらしなかった」のではなく、したくてもできなかったのだ。

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