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第874話 precious moments(2)

「久しぶりです、若林先輩。」と彼は言った。 「よ。」若林はそんな一音だけの挨拶を返し、すぐに和樹を紹介した。「おまえのことだからサークル出てなくて知らないだろうが、二年の都倉。」 「知ってるよ。有名だから。都倉くんは僕のこと知らないと思うけど。」 「こいつは、香椎文彦(かしい ふみひこ)。」 「香椎先輩。初めまして……ではないんでしょうか、すみません、俺もサークルはサボりがちで。」 「ほぼ初めまして、かな。一応新歓には出るようにしてるから、君たちの時も参加はしてたよ。」 「あ、すみません。」  香椎は若林と並ぶ形で、壁際のソファー席に座った。早々にメニューを広げ、和樹のほうは見もせずに話を続ける。「すぐに帰っちゃったからしょうがないよ。僕、人が多いの苦手なもんだから、こっちこそごめんね。」  若林が「その話はしておいた。つか、今年の活動、まさか新歓だけか? 学祭は?」 「ここ一週間はやってたよ。ステージの設営とか。」香椎にとっても先輩のはずの若林に、随分とぞんざいな口調だ。若林が「今では親友みたいな関係」と言っていたことを裏付けのようだ。 「俺はほとんど本部のほうにいたんで、だから会わなかったんですね。」 「本部だったんだ?」香椎はようやく和樹のほうを見る。「大変だったでしょ。ひっきりなしに知らない人が来て相手しなきゃならない。」 「人と接するのは嫌いじゃないんで。」 「それもそうか。ミスターコンに出るぐらいだものね。」 「あれは俺が言い出したんじゃないです。出なくていいなら出たくなかったですよ。」 「そう? 良かったよ、去年の、あれ。」 「ミヤちゃんの?」 「それもだけど、それに対する都倉くんの対応が。あんなこと突然喋り出されたら普通はうろたえるばかりで何もできないか、怒り出すか、笑いで誤魔化すか……でも、都倉くんはちゃんと宮脇くんの言ったこと引き取った上で、自分の言葉で話してた。すごいなと思ったよ。僕にはできない。」  香椎は手を挙げて店員を呼び、ビールをオーダーした。その一連の流れを、和樹は意外に感じた。本人も自分で言っていたし、若林からも「コミュニケーションが苦手」という前情報を得ていた。子供のような見た目もあって、もっと引っ込み思案で、初対面の人間とはろくに話もできず、店員を呼ぶことすらためらい、進んで酒を飲んだりもしない、そういう人だと思っていたからだ。  すると、香椎もまた「意外だった。」と言い出した。 「何がですか。」 「都倉くんはLGBTのことなんか興味なさそうに見えたから。でも、ああいうことがとっさにスラスラ話せるということは、普段から考えているのかなって、びっくりした。」 「そうですか?」和樹は無意識に若林を見た。若林が何か吹き込んだのかと怪しんだのだ。その視線に気づいた若林が何か言おうとした瞬間に、香椎の注文したビールがやってきて、三人は乾杯をした。 「何の乾杯?」と香椎が言った。 「学園祭、無事終了ってことで。」と若林。 「え、そうなんですか。」と和樹が言った。  若林はチラリと和樹を見る。 「ふみ、あのな、さっきも言った通り、俺たちの昔の関係を都倉くんに教えた。」  若林は香椎を「ふみ」と呼んだ。 「ああ、うん。いったいどういう風の吹き回しなわけ?」  香椎もまた相変わらずぞんざいな口の利き方だった。二人の「親密な関係」が形を変えながらも今も継続していることの現れだろう。 「おまえ、前に言ってたじゃないか。気になってる後輩がいたって。初恋だったっていう、あれ。」 「そんな話まで聞かせたの? 都倉くんに。」 「してないしてない。」若林は手を振って否定した。 「香椎先輩の初恋?」と和樹が口を挟んだ。  香椎は急に不機嫌になる。「ちょっと待ってよ、そんな話をするなんて聞いてない。」 「ふみの実家、X県だろ? 都倉もそうだって言うから、何か知ってるかもと思って。」 「地元が同じ県ってだけで、そんな偶然があるわけないだろ。」 「でもふみ、都倉、S高校出身だってよ?」 「えっ、若林先輩、なんでそれ知ってるんですか。」 「打ち上げでおまえらが来るの待ってる間に、学祭パンフのサークル紹介のとこ読んでた。」  そこには本部担当者のみ簡単な自己紹介ページがあり、彩乃から書けと言われて書く内容に困った和樹は、好きな食べ物や最近見た映画などを並べてお茶を濁すことにして、その流れで出身高校も書いていたのだった。と言っても、今、若林に指摘されるまで忘れていたのだが。 「同名の高校もあるかもしれないと思って、念のため地元がどこか聞いたんだ。そしたら、ビンゴだった。」 「S高がどうしたんですか。あ、もしかして香椎先輩もS高出身とか?」同じ高校だとしても、数百人の生徒がいる。同学年であっても在学中一度も関わらないことなどざらにあるし、しかも学年違いとなったらいちいち把握できるものではない。 「いや、違うんだけど。」戸惑い気味に香椎が言う。  元気な声を出しているのは若林だけだ。「そこって水泳部強いんだろ?」  急な展開に、今度は和樹が戸惑う。「え? ええ、まあ。」

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