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第62話 彼らの事情(2)
言われた通りに、涼矢はメガネをかけて、ベッドにやってきた。
「なんか悔しいな。」と和樹が言った。
「何が?」
「俺は可愛い可愛い言われてるのに。」
「言われてるのに?」
和樹は涼矢の肩を抱いて、ベッドに一緒に倒れ込むように横たわった。「おまえはカッコいい。」
「メガネ効果、すごいな。慣れてないから、長時間かけてると耳とか頭とか痛くなるんだけど、和樹がそう言うなら、これからはずっとかけていようかな。」涼矢は苦笑する。
だが、早速和樹はそのメガネを外した。「メガネ効果もあるけど……なくても。」メガネをテーブルに置くと、改めて涼矢の顔を引き寄せ、口づけた。「どうしよう、すげえ、カッコよく見える。」
「和樹もカッコいいよ。カッコよくて、可愛い。最強。」
「もっと言って。」
「カッコいい。可愛い。大好き。愛してる。」
「俺も同じく。」
「そっちもちゃんと言ってよ。」
「大好き。愛してるよ、涼矢。」
キスを繰り返して、和樹の肌には、"スイミングコーチができなくなりそうなほど"赤い痣がつけられていった。痣が増えるたびに、夜も深まっていく。
結局夕食も食べずに、ひたすらに肌を重ねた。
そうして、そのまま朝を迎えた。疲れもあって、どちらも意外と早く寝てしまっていたらしい。その分、8時前には自然と目が覚めた和樹だった。涼矢は珍しく、いびきとまでは行かないものの、かすかな寝息を立てていて、まだ深い眠りの中のようだ。思えば涼矢は、人見知りなのに初対面の人たちに囲まれ、ただでさえまだ不慣れな運転を、不慣れな道で、それもレンタカーで、初めて他人を乗せた状況でしなければならず、その上、暑い中、数時間立ちっぱなしで肉を焼いていたのだ。何も文句は言わないが、相当疲れているはずだった。
それでも昨夜は、それなりに無茶してきたけどな。和樹は前夜の自分の痴態を思い出す。だが、疲れている時こそ無闇に性欲が湧くこともあるわけで。それは和樹にも身に覚えのあることだった。
とりあえず涼矢を起こさないように注意を払いながら、ベッドから降りた。そうっと冷蔵庫の扉を開き、ジンジャーシロップと炭酸水のボトルを出そうとした時、ふいに悪寒が走った。
こんなことが以前にもあった。……そう、それは、涼矢の母親が泊まりの出張なのをいいことに、涼矢の家で初めて一夜を過ごした日。その翌朝、今と同様に和樹のほうが先に起きて、そっとベッドを抜け出し、冷蔵庫の麦茶をもらおうとした。その背後に、予定外に早く帰宅した涼矢の母親・佐江子がいたのだ。その際、勘の良い佐江子に2人の関係はあっさりとバレてしまった。幸いにして佐江子は2人を理解を示してくれたのだが、見つかった瞬間の驚きと絶望感は、今思い出しても心臓が痛くなる。
あの頃、誰にも言えなかった。今でも、誰彼構わず言えるわけではない。でも、俺たちはそれでも、ここまで来た。涼矢のお母さん。兄貴。エミリを初めとする、同級生の一部。そして、ミヤちゃん。少しずつだけれど、俺たちのことを受け容れてくれる人たちは増えている。涼矢は大学でもある程度はオープンにしているみたいだから、もっとたくさんいるのかもしれない。テツなる人物にしても。誰に理解してもらえなくても構わない、そんな覚悟でつきあってはいるけれど、やっぱり、俺と涼矢の関係を認めてくれる人がいることは嬉しい。
「テツ、かぁ。」和樹は小さく呟いた。昨日、あんな風にいきなり涼矢を自分のサークル仲間に引き合わせた手前、自分がテツに会うことを渋るのはフェアではないのではないか。和樹はそんなことを考えながら、自分でジンジャーエールを作ってみた。作ると言っても、単にシロップを炭酸水で希釈するだけだが。出来あがったそれを口にすると、爽やかな味が喉を通って行った。
「なんか言った?」涼矢がもぞもぞと上半身を起こした。2人とも全裸で眠ってしまっていたから、当然その上半身も裸だ。その涼矢の肌にも、いくつもの赤い痣が残されていた。特に胸元は、日焼けせずに色白なままなので、余計に目立つ。
「テツに会ってみようかなって。」
「ん? 哲? ああ、哲ね。」涼矢は大きなあくびをした。「今、何時?」
「8時だよ。まだ寝てなよ。疲れてるだろ。」
「うん。そうしようかな。」涼矢は再びコトンと横になった。……かと思うと、すぐにまた上半身を起こした。「だめだ。俺、一度起きちゃうと二度寝ってできないんだよね。」
「そうなの? 俺、二度寝でも三度寝でもできるぜ。」
「ああ、そんな気はする。」
「微妙に失礼だな。俺のほうが早起きしたのに。」
「あ、ジンジャーエール飲んでるの?」
「うん。飲む?」
「飲む。」
和樹はもうひとつカップを出してジンジャーエールを作ると、ベッドまで運んだ。「はい、どうぞ。」
「サンキュ。」涼矢はゴクゴクとそれを飲んだ。「うん、やっとはっきり目が覚めた。で、なんだっけ。哲がどうした?」
「会ってみようかなって。」
「ふうん。じゃ、連絡取ってみる。東京にいるかどうかわかんないけど。」
「お願いしやす。」和樹は空になった2つのカップをシンクに運び、洗った。「あ、せっかくこんな時間に起きたから、この間の喫茶店のモーニング、行ってみる? 8時から10時までだったと思う。」
「行く。」
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