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第876話 precious moments(4)
「……なんで都倉くんがそんなこと知ってるの。田崎くんから聞いたの?」
「はい。」
「なんでそんな話を都倉くんに。」
「ふみ、本当にその子なのか? 田崎涼矢ってのが、おまえの。」
若林の言葉を遮るように和樹は言った。「俺の彼氏です。」
「えっ。」香椎と若林が同時に言い、互いの顔を見合わせた。
香椎は和樹ではなく若林に向かって小声で聞いた。「……都倉くんは、その、僕と同じ人種?」
若林は回答せず和樹を見て、和樹は和樹で若林に対してではなく、香椎に向けて答えた。「男は田崎涼矢が初めてだし、ゲイかと聞かれると自分でもよく分かりません。でも、つきあってるのは事実なので。」
「そう……。」香椎は目を伏せて、何か考えているようだった。やがて、小さく「うん」と頷いて、顔を上げた。「彼は元気なんだね? それで、都倉くんともうまくやってる。そういうことだよね?」
「はい。あっちは地元の大学なんで遠距離ですけど、うまくやってるつもりです。」
「よかった。」香椎はにっこりと笑った。不思議と、笑ったほうがおとなびて見える。
「……こんな言い方失礼かもしれないけど、田崎に未練があるとか、そういうんじゃないですよね?」
「ないよ。ないない。それだったら今、とんだ修羅場だよね。」香椎は一層笑ったが、すぐに真顔に戻る。「ああ、でも、そうだよね。今の僕たちの会話聞いたら、不安だよね。まるで僕が今でも田崎くんのこと忘れられないみたいな言い方してたもんね、この人。」香椎は若林を指さした。
「俺が悪いのかよ。つか、実際、忘れてなかっただろ。」
「そういう意味の未練があったんじゃないよ。今、都倉くんが言った通りでさ。しょっちゅう美術室に顔出してた彼が、夏休み明けから急に来なくなって、廊下ですれちがっても素通りされるし、僕がなんかしちゃったのかなあって気になってた。けど、僕も本格的に受験で忙しくなって、美術室に行くこともなくなってね。翌年になって、風の便りでS高に行ったことだけは聞いたんだけど、それっきりで。」
「でも、好きだったのは本当なんですよね?」
「うん。でも、淡ーい初恋ってやつだよ。都倉くんが心配するようなことは何もなかった。そもそも僕の一方的な想いだったし。その気持ちが彼にバレて、距離置かれたんだろうと思う。彼、繊細だったし、僕のせいでいろいろ悩ませていたとしたら、悪いことしたなと思って、だから、気になってた。」香椎は一言一言を噛みしめるように言い、最後にもう一度和樹を真正面から見つめて言った。「ちゃんと幸せになってると分かって、ホッとした。」
和樹もまた安堵していた。嫉妬の感情がないわけではないが、それよりも「良かった」という気持ちが先行した。――涼矢が好きになった人が、この人で良かった。涼矢があんな思いまでした恋を、粗雑に扱わない人で良かった。
「あいつもあなたのこと好きだった。」
「ん?」香椎は少し寂しそうな微笑みを浮かべて、聞き返す。聞き取れなかったのでも、意味が分からないのでもない。今更和樹がそれを口にする必要はないと示唆しているのだろう。
それでも和樹は重ねて言った。「今、香椎先輩は片想いだったって言ってたけど、あいつもあなたのこと好きだったって言ってたし、先輩もそれ、気がついてたんじゃないですか? お互い好きなこと気づいてたのに、勇気がなかったんだって、そう言ってました。」
「田崎くんが?」
「はい。」
「そっか。……でも、それはちょっと美化してる気がするな。思い出補正ってやつだね。勇気がなかったのは僕だけだよ。彼、田崎くんね、水泳の練習の合間に時々美術室に顔出してくれて、最初の頃は本当に楽しそうだったんだ。でも、だんだん淋しそうな表情が増えて、夏休みに入る頃は僕の前では全然笑わなくなってた。きっと水泳シーズンで、練習もハードになって、ただでさえ疲れてるのに僕の相手をするのは負担なんだろうと思ってさ。でも僕が先輩だから断りにくいんだろうと思って、僕から言ったんだ。僕の相手なんかしてる場合じゃないだろう、部活頑張りなよって。そしたら、翌日からぱったり来なくなった。夏休み明けには目が合ってもスルーされるようになってね。」
その夏休みのことのはずだった。涼矢が自転車を何時間も漕いで、海に向かったのは。それを思うと目の前の香椎が恨めしい。だが、香椎こそがその時の涼矢を救いもしたのだ。一人黙々と海の絵を描いていた美術部の先輩の存在が、涼矢を引き戻したのだ。
「でも、好きだったんですよ。」和樹はもう一度そう繰り返した。
「うん。僕は間違えたんだね。あの時、僕は逆の言葉をかけるべきだったんだ。水泳部も大変だろうけどたまには顔見せてよ、僕も会いたいからって。告白まではできなくても、そのぐらいのことは言ってあげればよかった。」
「いえ。」和樹は香椎を見つめる。それは「睨む」に近い視線だったけれど、和樹にその自覚はなかった。「間違えてないです。その時、二人が疎遠になったおかげで、俺はあいつと出会えたから。」
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