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第880話 precious moments(8)

「いえ、別に……。あ、でも一人だけ。高校の時、一人、いました。涼矢のこと好きだった子。その子とは涼矢も俺も今では良い友達なんですけどね。」 「女の子と友達? 田崎くんが?」 「それも意外ですか? まあ、そうでしょうね。」 「僕は無理だな。女の子は今も苦手で。」 「友達でも?」 「友達面して近づいて来る女の子なんて、ロクなのがいないもの。」 「そうですか?」 「ふみの女嫌い、まだ治らないんだな。」 「女嫌い。」と和樹は復唱した。ゲイなのだから当然、と思いかけて、すぐに否定する。「男が好き」と「女が嫌い」は表裏一体ではない。現に涼矢は男性にしか恋愛感情を抱かないが、だからといって女性を嫌っているようには見えない。 ――川島綾乃のことは嫌いだと言っていたけど、それは別の意味だもんな。 「治る治らないってものではないでしょ。それに、嫌いなんじゃないよ。苦手なだけ。」 「同じことだろう。」 「同じじゃないって。亮くんはそういうとこ、ガサツだよね。女性もガサツな人が多い。人のプライベートにズカズカ乗り込んでくる。」  和樹の脳裏に再び琴音の顔が浮かんだ。 「そういう人もいますけど、そればかりじゃないですよ。」  香椎はそんなことは分かっていると言いた気に頷きつつも、こんなことを言い出した。「女性もよく言うでしょ、あのおじさん生理的に苦手、とか。あれと同じだよ。僕はあの、女性の体の丸いラインが苦手なんだ。脂肪の塊にしか見えない。」 「え、でも、それは別に女の人のせいでは。」 「もちろんそう。でも、蛇の見た目が苦手な人や、ピエロが怖い人もいるでしょ。それは蛇やピエロのせいじゃないけど、苦手なのはどうしようもないじゃない? それと同じで、僕は女性の身体が苦手ってだけ。だからといって女なんか滅亡しろとは言わないし、身内や担任の先生ならそれなりにつきあいもするよ。でも、必要もないのに向こうから来られるのは苦痛なんだよね。」  見た目はともかく、内面的には涼矢と相通じるところがある。かつての涼矢は、きっとそんなシンパシーからこの人に惹かれたのだろう。香椎のことをそんな印象で見ていたというのに、ここに来て、一八〇度変わってしまった。涼矢はそんな乱暴なことは言わない。聞いたことがない。女性のことが羨ましいとは言っていたけれど、外見が苦手だなんてことは。むしろ、女性の曲線は美しいと讃えていた。 「納得行かないって顔してるね。」香椎は浮かない顔の和樹を見て笑った。「いいんだ、亮くんにも賛同してもらえたことない。都倉くんも元はノンケでしょ? やっぱりそういうところはね、理解されなくて当然だと思う。」 「ノンケとか……そういうくくりでもないと思いますけど。涼矢だって女性の身体はきれいだと思うって言ってたし。」 「そっかあ。」和樹に意見を否定された形の香椎だが、それでも気を悪くする素振りは見せない。  その時、どこからかメロディが聞こえてきた。若林が胸ポケットからスマホを出すのを見て、その着信音だと知る。画面を見た若林が「お、次の店に移動だとよ。」と言った。 「僕はこのまま帰ろうかな。」と香椎は言った。「今日はもう充分実りある話ができたし、余計なおしゃべりで台無しにしたくない気分。」 「そうか。俺もどうしようかな。明日、早いんだよな。……都倉はどうする?」 「俺は。」和樹は素早くスマホの時刻表示を見る。「俺も帰ります。終電なくなるんで。あ、でも、三人とも抜けたら悪いかな。俺だけでも戻ったほうが良いなら戻りますけど。」  普段あまりサークル関係の飲み会にも参加していない和樹には、こういう場面での身の振り方がよく分からなかった。  香椎は会計伝票を若林に押し付けながら言った。「いいって。誰が来て誰が帰ったかなんて、どうせもうわけ分かんなくなってるよ。」  若林も伝票を受け取りながら言う。「そうだな、帰れる時には帰ったほうがいい。うっかり戻ったら朝までコースだ。酒も飲まないのに酔っ払いの世話することない。なんか言われたら、俺に絡まれてたって言っとけ。」 「……ありがとうございます。」 「そうそう、楽しいままお開きにしよう。」香椎はにっこりと笑い、手を差し出してきた。握手を求められているのだと気づき、和樹は慌てて手を出し、握り合う。  若林が支払いをしている間に、和樹と香椎は一足先に店を出た。  二人で並んで若林を待つ。 「あの。俺、今日、香椎先輩にお会いできてよかったです。」  和樹が言うと、香椎は和樹を見上げた。「田崎くんによろしく。彼の前で絵を描いてた時間はすごく楽しかったし、今もすごく楽しく生きてるって言っておいて。」 「はい。必ず伝えます。」  香椎の顔が一瞬曇ったように見えた。が、香椎がうつむいてしまったので、本当のところは分からない。「それと、これは僕の考えすぎだったら、言わないでほしいんだけど。」 「はい?」 「助けてあげられなくてごめんねって。もし、彼があの頃、僕のことで辛いを思いをしてたのなら、そう伝えてほしい。」 「……。」

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