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第888話 cocoon(1)
涼矢が「そんなに焦るな、少しは肩の力を抜け」という意味で言ってくれているのは理解できるが、今の自分が焦っているのは、まさに「何が何でも俺じゃなきゃダメ」と言ってもらえるようなものが何もないからだ。
――おまえ最近、本読んでるか? 前はよく図書館で借りて読んでただろ?
突然そんなことも言われる。
「読んでない。いや、久家先生に借りた教育関係や児童心理の本なんかは読んでるけど、娯楽で読んでるものはない。」
――なんかそれ、まずい気がするよ。
「そうかな。」
――そうだよ。過労で倒れた時のおふくろみたいだよ。
「……そんなか?」
――自覚ないのが一番ヤバい。マジで少し休め。予定入れないで、ボーッと散歩でもしてこいよ。
「散歩かぁ……。そう言えば、最近ジョギングもしてないや。」
そんなやりとりをして、「マジで少し休」んでみたのだ。と言っても、土日の試験監督や特別授業を入れずにおいただけだ。
一日目、まずは自分の顔色がひどく悪くなっていることに気づいた。それから部屋がなんとなく薄汚いことにも目が行った。学食以外はコンビニ弁当ばかり食べていることにも。
二日目には涼矢の言葉を受けて、図書館に行ってみた。長編は読み切れる自信がなくて、短編集を何冊か借りてみる。帰宅してそれを読んでいたらいつの間にか夜になっていた。
それから久しぶりに米を炊いた。図書館帰りに寄ったスーパーマーケットでは、「野菜を食え」という涼矢の声が聞こえた気がしてサラダと煮物を買った。温めるだけのレトルトの豚汁も買った。以前、涼矢と一緒に作って冷凍しておいた餃子も焼いた。取り合わせが妙な気もしたが、贅沢は言っていられない。
満腹になると眠気が襲ってきた。思えばここのところ、疲れているのに寝つきは悪く、眠りが浅い。それでいて涼矢とスマホで会話しているうちに寝落ちしそうになったりもする。涼矢が心配するのはそんなことが何回かあったせいだ。
この日、涼矢との定時連絡では「眠いからもう寝る」と一方的に送りつけただけで、すぐにベッドにもぐりこんだ。久しぶりに朝までぐっすりと熟睡した。
そうして翌朝目覚めた時の視界の明るさに、涼矢の言葉の意味を「体感」したのだった。
「でも俺、就活スケジュールと体調見ながら適度にバイト休むなんてこと、できそうにないからさ。久家先生にシフト入ってほしそうな顔されるとつい受けちゃうし。だから、もういっそきっぱり辞めようと思う。」
久しぶりにスッキリした気分で一日を過ごしたその晩、涼矢にそう言うと、涼矢もそれがいいと賛同した。
「と言っても、冬期講習やる前提でシフトの希望も出しちゃったし、すぐに辞めるのは迷惑だから、年度替わりのタイミングかなあ。」
――えっ、三月末まで?
「いや、うちの塾、二月が年度替わりだから。」
――そっか。それでも長い気がするけど……仕方ないか。
「うん。それに、シフトは詰まってるけど、冬期講習はやることが決まってるから普段の授業より準備は楽なんだ。大学との行き来もないしさ。」
――でも、無理はすんなよ。
「ああ。」
――毎日生存確認するからな。
「大丈夫だってば。」
――なあ、成人式には出られないってこと、お母さんに言った?
「言った。」
――いいって?
「まあ、ちょこっと文句言ってたけど、思ってたよりは全然。うちさ、引っ越してるだろ、俺が高校入るタイミングで。おふくろが仲良くしてたママ友とはもう疎遠だし、お互いの息子がどうしたこうしたっていう会話をする相手がいないんだよ。それであんまり気になんないみたい。」
――そっか。
「おまえは出るの?」
――和樹がいないんじゃ行っても仕方ない。
和樹は小さく吹き出した。「行かなきゃ行かないで柳瀬がうるさいんじゃなかった?」
――自分の成人式より、親の銀婚式のほうをどうしようかな、と。二月にバイト辞めたら、その後の春休みはこっちに戻る?
「そのつもり。三月は特に予定ないし、結構長くいられると思うよ。」
――じゃあ、おまえの誕生日祝いはその時だな?
「あと、俺ら二人で成人式しようぜ。……と、佐江子さんたちの銀婚式。」
――結局忙しい。
涼矢は笑う。
「どれもおまえと一緒の予定ばかりだ。」
――と言っても、お互い実家だからなあ。
「何を期待してんだ。」和樹は今度は声を出して笑った。「ま、実家に飽きたら、おまえ連れて東京戻るよ。」
――そういうことなら用事は三月前半までに全部片づける。そんで、後半はおまえの部屋で。
「まったく、そういう時だけ張り切るんだから。」
――そのぐらいのご褒美くださいよ。ずっと我慢して待ってるんだから。
「おまえだけが我慢してるみたいに言うなよ。」
――和樹も我慢してる?
「してるよ。」
――ふうん。
「なんだよ、その、ふーん、ての。」
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