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第71話 彼らの事情(11)
「……おまえは、どうして、そうやって。」
涼矢は和樹の背後に立つ。「何か?」
「……意地の悪いことを……。」
「へえ?」涼矢は後ろから和樹の耳に口づけた。「俺、意地悪? おまえに苦労させたくないって言ってるのに?」
「……。」
涼矢は和樹の肩を抱いて、強引に自分の方を向かせてから、抱きしめた。「俺は嫌だけどね。これからも抱きたい。おまえはどうなの?」
和樹からキスをした。
「これが答え?」涼矢が笑う。
「俺の答えなんか最初から分かってるだろ。そういうところが意地悪だって言ってんだ。」
「俺は意地が悪い。おまえは、答えを誤魔化してばかりで、ずるい。」
「どっちもどっちで、お似合いだろ?」
「ああ。」涼矢は和樹から離れて、ポットでお湯を沸かしはじめた。ドリップコーヒーの袋を出したから、コーヒーを淹れるつもりなのだろう。「飲む? ホットだけど。」
「うん。」和樹は自分だけパンツ一丁だったのを思い出して、服を着た。それからアイロンを探す。テレビや電子レンジと同時に買ったが、まだ一度も使っていない。箱から出すことすらしておらず、外箱のままどこかに積まれているはずだった。心当たりを一通り見て、最終的に冷蔵庫の上に置いてあるのを見つけた。何故そんなところに置いたのか、全く記憶がない。
ポットからボコボコと沸騰音が聞こえてくる。それとは別の音がどこからか聞こえた。「涼矢、スマホが鳴ってる。」
「ん。」涼矢はバッグからスマホを出した。「あー、明日の連絡だ。18時に吉祥寺のレストラン。4人で予約してあるって。」
「了解。」
「了解、と。」涼矢は返信する。
「4人でメシ食うってことだな?」
「そういうことだね。」
「カラオケ行こうだのクラブ行こうだの言われなくて良かったな?」
「哲はそういうとこ行ってるかもしれないけど、俺が好きじゃないの、知ってるから。」
「おまえのこと、よく知ってんだね。」
「変な嫉妬はするなよ。」
「してない。してたけど、今はしてない。……で、結局その彼氏は、どういう彼氏なのかわかった?」
「さあ? こっちからも聞いてないし。」
「テツはおまえのこと気にしてくれてんのに、おまえは全然なんだな。」
「哲の彼氏とか、俺には関係ないし。」
和樹は笑った。「興味ない奴には、とことん無関心だな。」
「……悪い癖だね。」
「いいことだ、俺にとっては。あっちこっちに興味持って愛嬌振りまかれたんじゃ、身が持たない。」
涼矢は苦笑いしながら、コーヒーを淹れた。
2人でコーヒーを飲み、ひと息ついたところで、和樹は箱を示して、「アイロン、見つけた。」と言った。
「新品じゃないか。」
「そうだよ。レンジとかテレビとかと一緒に買った。」
「一度も使わず?」
「うん。」
「もったいない。……ちなみに、アイロン台は……なさそうだな。」
「ないな。ないとできない?」
「いや、大丈夫だと思う。」言いながら、涼矢はベッドのところまで歩き、マットレスの硬さを確かめた。「このベッド硬めだから、ここでできる。」
「なるほど。」
「で、どのシャツ?」
「これ。」和樹はシャツを3枚ばかり、ベッドに置いた。
涼矢は1枚ずつ、裏側の洗濯表示のタグを見た。そのうちの1枚を手に「これ、良いシャツだな。」と言った。
「そう? それは確か、ママズセレクト。」
「さすがモデル。」
「元、な。」和樹の母親は若いころ読者モデルだった。和樹の派手な顔立ちは母譲りだ。
涼矢はアイロンを箱から出して、準備を始めた。"汚れた"シーツははがして、バスタオルを敷く。
「明日はどれ着て行くの?」そう言いながら、早速アイロンを掛けはじめた。
「うーん。今、涼矢が褒めてくれたそれ、好きなんだけど、シルエットがタイトで、胸回りがちょっときついんだよね。着られないことはないんだけど。」
「和樹、大胸筋も背筋も割とあるもんね。」
「これでも少しは落ちたんだけどさ、腕や腿の衰えっぷりと比べると、胸はそれほど痩せないな。」
「今、全国の女子の何割かを敵に回したぞ。」
「今の話を、いったいどこで全国の女子が聞いてるんだよ。」
「盗聴されてるかも。」
「おまえしかいねえよ、俺の話を盗聴する奴なんて。」
「まだ盗聴器はつけてない。やったのは無断録音だけ。」
「まだって言うな。」
涼矢は掛け終わったシャツを指し示して言った。「これ終わった。ハンガーに掛けて。」
「お、サンキュ。」和樹は針金ハンガーをどこからか3本、持ってきた。涼矢は次のシャツに取り掛かる。
和樹はシャツを掛けたハンガーを、テレビやオーディオ製品の置いてある、ワイヤーラックの最上段のワイヤーにひっかけた。室内にはそこぐらいしか掛けられるところがない。
2枚目、3枚目も同様にアイロン掛けを済ませた。
「替えのシーツ、あった?」涼矢がそう言うと、和樹はパッケージに入ったままのシーツを見せた。
「アイロン探してた時に見つけた。」
「じゃ、それもついでにアイロン掛ける。」
「新品だよ?」
「折りじわついてるから。」
「へいへい。」和樹は新しいシーツをパッケージから出して、涼矢に渡した。
涼矢はアイロンの一部をパカッと外し、シンクに向かった。
「何してんの。」
「スチームにする。そのために、ここに、水入れんの。」
「ふうん。」
興味のなさそうな和樹とは対照的に、心なしか涼矢はウキウキとアイロン掛けを続けた。
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