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第74話 彼らの事情(14)
カレーに入れるような野菜は一通り揃っていたが、肉とカレールゥがなかったので、2人で買い出しに出た。夕立で道路は濡れている。和樹がコンビニで済ませようとするのを、涼矢は割高だからと制して、スーパーに向かった。買い物を終えての帰り道、和樹はある店の前で足を止めた。
「ケーキ食べたいの?」涼矢が言った。そこがケーキ店だったからだ。店構えはこじんまりとしているが、インテリアは今時のおしゃれな感じで、外からでも見えるショーケースの中のケーキも、なかなか凝っていそうだ。
「涼矢の誕生日、ケーキ食べなかったなと思って。家で食べた?」
「食べないよ、誕生会する年でもないだろ。それに、1ヶ月以上前だよ。お皿もらったし、もう、充分。」
「いいよ、食べようよ。俺1人の時は、ケーキなんて食わないし、こんな時でもなきゃ。」和樹は涼矢の返事を待たずに店内に入って行った。
女性の店員が「いらっしゃいませ」と朗らかに挨拶をしてきた。奥には厨房設備が見える。工場から冷凍で運ばれてくるのを売るだけの店とは違い、きちんとこの店で作っているようだ。壁には雑誌等で取り上げられた時の記事が貼られていて、それによると、フランスの老舗洋菓子店での修業を経て、帰国後は有名ホテルでパティシエを勤めたという輝かしい経歴の人物が独立して出した店らしい。道理で値段も予想してたよりも高い。和樹はホールケーキを買うつもりだったが、一番小さな号数でも予算オーバーだ。
「俺、ミルフィーユ。」要らないと言っていた割に涼矢が即決した。食べたいものを言っただけなのか、ホールケーキが買えないことを察したのかは定かではない。
「それ、キャンドル立てられないからダメ。」
「立てなくていいよ。」
「ええ……。」あからさまにがっかりする和樹。
「……じゃあ、ガトーフレーズまたはガトーショコラ。」
「どれ? ああ、これか。ショートケーキ、と、チョコケーキ。」
「何故言いなおす。」
「日本語じゃないとピンと来ねえ。」
「ショートケーキもチョコケーキも日本語じゃない……いや、いいのか。和製英語かな。」
「いちいちうるせえ。」和樹は店員に話しかける。「すいません、この、ショートケーキとチョコのケーキください。」
「おひとつずつでよろしいですか?」
「はい。」和樹は「ほら見ろ、通じた」と言わんばかりに、涼矢に勝ち誇った顔を見せつけてから、再び店員に向き直った。「あと、キャンドルってつけてもらえます?」
「有料になりまして、こちらの、5本入りで150円ですが、よろしいですか?」店員はサンプルのキャンドルを見せた。
「はい。」
「お持ち歩きのお時間は。」
「10分かからないぐらい。」
「20分以内でしたら、無料の保冷材おつけしておりますので、入れておきますね。」
「あ、どうも。」
帰宅して、ケーキは冷蔵庫に箱ごとしまう。肉とルゥはそのまま出しておく。涼矢が早速調理に取り掛かる様子だったからだ。
「何か手伝う?」
「うーん。とりあえずごはん炊いて。」
そう言われて、和樹は昨日の残りも少しあったので、2合の米を炊飯器にセットした。無洗米だから、水を入れてスイッチを押すだけの作業だ。
「あとは?」
「和樹ってさ、普段、カレーも作らないの?」
「作ったよ。2回ぐらい。」
「ちゃんとできた?」
「まあ、そこそこね。」
「だったら、この先、やってみる?」涼矢はじゃが芋の皮をむき終わったところだ。
「涼矢は?」
「後ろから見てる。」
「やだよ、そんな、チェックされてるみたいな。」
「じゃあ、あっちにいる。」涼矢はベッドのほうを指した。
「つまり俺が作れってこと?」
「俺の誕生日ディナーだろ?」
「……分かった、いいよ。でも、多少の失敗には目をつぶれよ?」
「ああ。」
涼矢はベッドに移動した。「できるまでの時間、勉強してたら、淋しい?」
和樹はムッとした。「ええ、淋しいですよ。だから絶対勉強するな。テレビつけて、賑やかな、お笑いとかバラエティーにして。そうじゃないと俺、淋しくなるからね! 淋しがり屋だからね!」
涼矢は苦笑して、和樹の言う通りに、お笑い芸人が何人も出てくるバラエティー番組にチャンネルを合わせた。
和樹はたどたどしい手つきではあったが、意外に丁寧に野菜の下ごしらえをした。テレビが盛り上がると、チラチラと画面を見て笑ったりもする。そのうち、「涼矢って、お笑い番組なんて見なさそう。」と言い出した。
「そんなことないよ、たまに見る。」
「好きな芸人いる?」
「いるよ。と言っても、俺が好きなのって落語とか新喜劇とかだから、和樹はあんまり知らないと思うけど。」
「……意外すぎる。」
「そうかな。佐江子さんが好きなんだよね、そういう、ベタなお笑いが。こどもの頃に寄席に連れていかれたな。意味もよく分かんないのに、廓噺聞いて笑ってたり。」
「廓噺?」
「遊郭の話だよ。要は男女の色っぽい話。でも、普通にテレビのこういうのも見るよ。見る時間があまりないだけで。」
「へえ。」和樹は玉ねぎを炒めはじめた。本人の口からそういう話を聞き、涼矢が言うからにはそれはハッタリではなく本当に好きなのだろうと思いつつも、涼矢とお笑いが結びつかない和樹だった。
それでも、確かに涼矢はその番組を、大笑いこそしないが、楽しそうに見ている。和樹はそのことにホッとした。強引にそんな番組をつけるよう要求してしまったが、眉間にしわ寄せて「こんな低俗な番組が好きなのか?」などと迫られたら、お互いに気まずい思いをするところだった。
そうして、ついに鍋からスパイシーな良い香りが漂ってきた。
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