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第79話 彼らの事情(19)
翌朝、和樹が目覚めると、隣で寝ていたはずの涼矢はいなかった。が、シャワーの音が聞こえてきて、いない理由が分かった。和樹はベッド上から手を伸ばしてリモコンを取り、テレビをつけた。日本初上陸のスイーツをお天気お姉さん出身のタレントがレポートしているようだ。別にそれが見たいわけではないが、なんとなく見る。
「あ、おはよ。」涼矢がタオルで頭を拭きながら出てきた。
「はよ。」
「何見てんの。」
「なんか、新食感のスイーツ、だって。」
「ふうん。」涼矢はベッドに腰掛けた。
「うわ、単品で1,600円かよ。たっけえな。」
「場所代込みだろうね、こういうのがやたら高いのって。渋谷とか表参道とか。」
「だよな。」和樹はやっと起き上がった。「俺もシャワーしてこよ。」ベッドから離れる間際に、涼矢にキスをする。涼矢も当たり前のようにそれを受け容れる。当たり前のように「おはようのキス」ができることと、キスする瞬間漂ってくる香りが、自分が使っているシャンプーのものであることが嬉しい。
和樹がシャワーを終えて出てくると、テレビは消されていて、涼矢はイヤホンで何か聴きながら朝食の準備をしていた。朝食というには遅すぎる時間になっていたが。
「何聴いてんの。」和樹はイヤホンの片方を取り上げて、自分の耳に当てた。「うあっ!」思わず驚きの声を上げたのは、それが思いのほか大音量のロックだったからだ。
「朝にぴったりなんだよね。」と涼矢。
「デスメタルのどこが。」
「すぐ目が覚める。」
「爽やかさの欠片もない。」
「そういうこと言うと思ったから、イヤホンで聴いてる。」
和樹は涼矢のイヤホンを両耳取り上げた。「デスメタルじゃなくても、今はイヤホン禁止。」
「なんで。」
「俺が淋しがるから。」
「なんなの、その、昨日からのさびしんぼうキャラ。」
「代わりに俺が歌ってやるよ。」和樹はデスボイスで今聴いていた曲を歌ってみせた。
「あ、結構サマになってる。この曲、知ってた?」
「知らねえけど、デスメタルなんてどれもこんな感じだろ。」
「曲によって全然違うよ。でも、ちょっと聞いただけで、そこまで歌えるのって大したもんだな。和樹の意外な才能発見。」
「就活の面接で言ってもいいかな? 『特技はデスメタルのボーカルです。』」
「そうですか。では、やってみてください。」涼矢はかけてもいないメガネを持ち上げる仕草をして、面接官の演技をした。
和樹は再びデスボイスで一節歌った。歌ったところで言う。「間違いなく不採用だよな。」
「俺が面接官なら合格だけど。」
「デスボイスの魅力で。」
「いや、顔が好みだから。」
「デス関係ねえし、セクハラ面接だし。」
「心の中で思うだけならセクハラじゃないよ。俺が本気でセクハラしようと思ったらおまえ。」
「あ、それ以上の説明要らない。」
「……とりあえずこれテーブルに持ってって。」
渡されたボウルにはどろどろの液体が入っていた。「何これ。」
「ホットケーキの生地。」涼矢はホットプレートをセットする。「本日のブランチはセルフで焼くホットケーキ。」
「セルフなんだ。」
「うん。せっかくホットプレート買ったし、活用しようと思って。」
「俺、甘いものはメシになんねんだけど。」
「大丈夫、これ砂糖控えめ。ホットケーキってより、パンケーキって言うのかな? あと、トッピングも甘いのだけじゃなくて、ベーコンとかスクランブルエッグとかも用意した。あ、チーズもいいかな。確かこの間の残りがまだ……。」後半は独り言のようになって、冷蔵庫からチーズを出す。
のんびりと起きて、ブランチを食べる。一見だらだらと過ごしながら、2人とも夜のことを考えていた。和樹が初めて哲と会うことになる夜。
「何時に出る?」と涼矢が聞いた。
「地図調べたら駅からちょっと離れてる店だったけど、ここを30分前に出れば余裕だと思う。だから、5時半ぐらいかな。」
「分かった。」
「まだ半日もあるのに、何、その、緊張した顔。だいたい、初対面なのは俺のほうだっつの。」
「そんなに緊張してるように見える?」
「うん。」
「なんか……お嬢さんをくださいと相手の親御さんに会う時ってこんな感じ……? いや、それは違うな。お見合いに臨む時の……でもないし。あれか、女の子が、女友達に自分の彼氏を査定してもらう気持ち……?」
「俺がテツに査定されるの?」和樹は不服そうに言う。
「ああ、ごめん、その例えも違ったな。」
「単に、友達とメシ食うだけの話だろ。」
「そう……だよね。」涼矢はふらりと立ち上がると、突然また床に這いつくばっての拭き掃除を始めた。
「あ、またシンデレラになってる。」
「何かやってないと落ち着かない。」
「おまえがそんなんしてると、俺が落ち着かないんですけど。」
「お気になさらず、どうぞごゆっくり。」
「んじゃ、ビデオ屋で何か借りてくるかな。」
「ビデオ見るの嫌だって言ってなかったか。」
「だって、おまえが相手してくれそうにないから。」
「トイレとか風呂を掃除するとか。」
「嫌だよ。したばっかだし。」
「そのへんは毎日やったっていいぐらいだと思うけど。……ま、ちょっと待っててよ、もうすぐ終わるから。」
「終わったら何してくれんの。」
「おまえの遊び相手。」
「どんな?」
「何がいいんだよ。オセロか? 対戦ゲームか?」
「そんなもん、うちにあるわけないだろ。」
「腕相撲でもするか?」
「アホか。」
「文句ばっかり言わないで、提案しろよ。」
「じゃ、やっぱりビデオでも見て……。」
「いいよ。和樹が一番そそられるタイトルのAV借りてきて。おまえの性癖の勉強のために。」
「何その罰ゲーム。」
「ゲイビじゃなくていいよ。巨乳好きなんだろ? そういうのでいいから。」
「俺が巨乳好きという情報はどこから聞いた。」
「おまえが自分でペラペラしゃべってたじゃないかよ、部活の時とか、更衣室で。」
「あ、そっか。」
「俺がどういう気持ちでそれを聞いていたか、思い出すだけでも泣けてくるわ。」涼矢は床を拭き続けていて、和樹からその表情は見えない。
「……。」和樹は涼矢の近くにしゃがんだ。「それってさ、もう冗談にできるから言ってんの? そんで、それ聞いても俺も笑い飛ばせると思ってる?」
「……。」涼矢は手を止め、黙り込んだ。
「そうじゃねえよな? 自分で言って傷つくなら言うなよ。それとも、俺に思い知らせてやりたかったわけ? 俺がどんなに鈍感で、おまえにひどいことしてたのか。」
「そんなつもりは……。」
「それでホントに俺がそういうエロビデオ借りてきたら、おまえはまた傷つくんだろ? 自分が傷つくのわかってて、なんでそういうこと言うの? おまえこそマゾなんじゃねえの?」
「……考えすぎ。冗談だって。」
和樹は涼矢の顔を上げさせた。「そんな顔で冗談言ったって笑えねえよ。」和樹は涼矢の額に自分の額をくっつけて、内緒話でもするように、小声で言った。「あのさ、涼矢くん。俺はね、確かに大きいおっぱいは大好きなんだけど、今は、きみのあの奥ゆかしい胸に一番そそられるわけよ? 俺をそういう人にしたのはきみなんだからね、ちゃんと責任取ってくれないと困る。もうそんな冗談、言っちゃだめだよ?」
涼矢は頬を赤らめて、コクリとうなずいた。
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