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第80話 彼らの事情(20)

 和樹は立ち上がり、今度は普通の声で言った。「掃除なんかやめやめ。こっち来て。」 「何。」 「エロビデオ見るより楽しいことがあるだろ。」和樹はベッドをポンポン叩く。 「昨日あんだけやって、またかよ。」 「俺もさすがに腰痛えわ。」 「じゃあ、ちょっとは大人しくしとけよ。」 「うん、大人しくするから、来て。」和樹はベッドに横たわり、涼矢のスペースを示すように、またポンポン叩いた。 「絶対それ嘘だし。」そうは言いつつ、和樹の隣に横になる。  和樹は涼矢をハグした。「嘘じゃない。こうしていたいだけ。何もしない。」 「何も?」涼矢は挑発するように上目遣いで和樹を見た。  即座に和樹がキスをする。「キスぐらいはする。でも、それだけ。」 「キスとハグだけね。」 「そう。あ、でも、手をつなぐぐらいはいいよな。それだけ。」手を握った。更にその手にキスをした。「これは、キスだけ、の範囲だから。」 「それだけ詐欺か。そのうち、変なとこにキスして、キスしただけって言うんだろ?」 「変なとこってどこ?」和樹がニヤついた顔で聞いた。 「今、和樹が想像したとこだよ。」 「うわ、やらしい。」 「おまえの想像が、だろ。」涼矢も和樹の背中に腕を回した。 「あ、腕、出して。」 「腕?」涼矢は背中に回したばかりの腕を、天井に向けて突き上げるようにした。その隣に、和樹は自分の腕を並べた。 「涼矢って、やっぱり白いな。」 「おまえは年がら年中黒いよな。現役の頃ほどではないけど。」 「部活やめたらもうちょっとは白くなるかと思ったけどな。地黒だったらしい。」  涼矢はハッとして和樹を見る。「……こういうこと、前にもあった?」 「あった。」 「ファイルしまおうとして、腕の色の話になって……。てことは、初めてうち来た時か。」 「おまえが俺に告白した日と言え。」 「るせ。」涼矢は照れて、和樹と反対側に顔を向けた。 「おまえのファーストキスの日。」 「ファーストキスじゃねえし。」 「嘘、あの反応はどう見てもそうだろ。チビの頃にママとしたとか、幼稚園のお友達とチュッチュしたとかはカウントしねえんだぞ?」 「……。」 「図星か。」 「もう、そういうのいいから。」 「おまえの絵を初めて見たのも、あの時だな。」 「……そうだね。」 「すげえ前のことみたい。けど、半年ぐらいしか経ってねえんだな。」 「うん。」 「あの絵、もらったやつ、ここに来た最初は、あのへんに飾ってたんだ。」和樹は壁の一角を指す。「でも、日が射すし、色褪せそうだったから、外した。ちゃんと大事にしてるからね。」 「ありがとう。」  あの絵。涼矢が得意のCGで描いたイラスト。深い青の。海の中のような、宇宙空間のような、静かで、でも、ところどころに色とりどりに煌めく光を散りばめている絵。涼矢自身のようだと和樹が思った絵。  涼矢に告白されて、そして、二度と会わないと言われた日。和樹は涼矢から、その青い絵を渡されそうになったが、突き返した。それを受け取ったら、引き換えに涼矢に二度と会えないことが決定してしまう気がしたから。そして、初めて肌を重ねた日、改めてそれを受け取った。思いが通じると同時に離れなければならない2人を、結び付けてくれる気がしたから。そして和樹が上京する日の朝、それと対になるイラストをもらった。夕焼け空みたいな温かなオレンジ色の。柔らかな曲線が鳥にも雲にも花にも見える絵。それが俺のイメージなら嬉しいと、和樹は思った。 「俺は絵とかゲージツとかあんまり分かんないけど、あの絵は、好きだ。最初、一目見た時から。」 「あんなの、素人の落書きで、恥ずかしいけど。」 「俺、たぶん、何回かおまえのこと好きになってて。」 「え?」涼矢はまた和樹のほうに顔を向けた。和樹は天井のほうを向いていたから、横顔が見えた。 「最初が、あの絵を見た時だ。最初は単純にすげえ良い絵だなって思って、それから、こういう絵を描く人ってどんな人なんだろうって思った。そしたら、おまえが描いたって言うし。」和樹は夏休みの思い出を語るように楽しそうに話し続ける。「それっておまえが告白する前だろ。だから俺、おまえに好きだって言われたから、意識するようになったんじゃない。その前から、俺はおまえのこと、気になって、もっと知りたいと思った。」 「2度目は?」 「キスした後かな。おまえの反応が可愛すぎた。」 「俺、もう覚えてないからね。つか、あの日のことは記憶回路が壊れてて空白。」 「頭真っ白とか、そういうのがもう、可愛いだろ。……でもさ、あれ、俺にとっても初めてのキスだったの。」 「バレバレの嘘言うなよ。」 「いや、当然、それまでにキスの経験はあったよ? でも、実は自分から先に迫ったのは、あれが最初。それまでは、つきあってからの最初のキスって、ぜーんぶ相手の子からだった。俺、肉食系の女とばかりつきあってたみたいで。」 「楽なんだろ、そういう相手って。相手の言いなりにしてればいいから。始まりも終わりもキスも相手の出方を見て、『きみがそうしたいならいいよ』って、相手のせいにしてたんだろ、どうせ。」 「うっ。痛い、痛いよ涼矢くん、胸がっ。」和樹はわざとらしく胸のあたりを押さえてみせた。 「ひどい男。」 「今、良い話をしてたつもりなのに。俺が、あの絵に始まり、何度もおまえのこと好きになったって言う素敵ストーリー。」和樹は世にも情けない表情で涼矢を見た。 「分かってるよ。」今度は涼矢が天井のほうを向いた。「で、3度目もあるの?」 「なんだよ、気になるの?」 「いいだろ、聞いたって。おまえから言い出したんだから。」 「んもう、涼矢くんたら可愛いんだからー。」和樹は涼矢の頬をつついた。

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