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第82話 彼らの事情(22)
抵抗しないどころか、積極的に涼矢の舌に応えた。煽られるままに、また涼矢のTシャツの下の素肌に手を伸ばすと、涼矢にその手を払われた。
「何してんの。」
「何って、そりゃ。」
「キスとハグだけだろ?」
「え。まだそのルール? それもう終わったよね? 今の流れは、その先行く感じだったよね?」
「一言もそんなことは言ってない。」
「マジで? キス止まり? つか、おまえも勃ってるよね?」和樹は膝で涼矢の股間を確かめる。さっきから脚に当たるそこの感触からはそのはずだったし、確かめてみた結果も、やはりそうだった。
「勃ったらやるって決まってるの?」
「やらない理由もない。つか、やるでしょ、この状況は。」
「やりません。」
「なんで。」
「気が乗らない。」
「はぁあ? こんな勃たせておいて何言ってんの?」
「そのうちなんとかなる。」
「いいじゃん、お互いやりたいんだからやれば!」
「マジでケダモノ発言だな。俺、今、例の、セフレ扱いして、おまえを振った年上のお姉さんの気持ちがすっげよく理解できるわ。」
和樹は「う」とも「ぐ」ともつかない音を発したきり、それに続く言葉は言えなくなった様子だ。
「俺、ちょっと嬉しかったのに。」涼矢は無理に笑おうとしているようだが、全然笑えていなかった。口の端を歪めただけだった。
「……何が。」消え入りそうな声で和樹が言う。
「キスとハグだけって言われた時。実際、そうして、ごろごろして、しゃべって、それだけでも結構楽しいもんだなあって思ってた。」
「……それは、俺だって……。」
「特別なことしなくてもいいんだって――、一緒にいてもいいんだって思った。」
和樹の脳裏に、さっき涼矢が言っていた元カノ・ミサキの言葉が蘇った。
最後は『どうせ体目当てなんでしょ』と罵倒されて振られた。先に誘ってきたのはミサキだった。外で会うのはお金がかかるからと、1人暮らしの自分の部屋で会えばいいと言ったのもミサキだった。セックスにも積極的に思えた。だから、「そういう付き合い方」は合意なんだと思っていた。年上で、既に働いていた彼女はとても大人に見えて、彼女の言うとおりにしていればいいと思っていた。でも本当はミサキも、今の涼矢みたいに思っていたのかもしれない。いや、思っていたに違いない。
そして、最低なことに、「体目当て」という指摘はあながち間違っていなかった。彼女のことは好きだったけれど、それ抜きでも愛せていたかと聞かれると、たぶん、無理だった。出会ってすぐにそういう仲になった。ありていに言えば「この女はすぐにヤラセてくれる」から付き合ったし、好きだった。最低だ。
でも、さすがにそうやって振られて、反省した。その後に付き合い出した綾乃のことは、だから、自分なりに精いっぱい大事にした。したつもりだった。でも、やっぱり、綾乃にも言われた。「つきあっていても、ずっと片思いしてるみたいで辛かった」と。
涼矢に対してはもっとうまくやれるつもりでいた。
過去の反省を生かして、ちゃんと考えて行動しようと思っていた。
でも、どこかで、同じ男だから大丈夫だと高を括っていた。涼矢なら、過去の彼女たちのような気遣いは無用だろうと勝手に思っていた。その、「過去の彼女たちへの気遣い」すらままならなかったくせに。
何故涼矢はそんなことじゃ傷つかないと思ったんだろう。
特別なことをしないで一緒にいる、何故涼矢のそんなささやかな喜びに気づいて、大切にしてやれなかったんだろう。
俺は、何度間違えれば、好きな人のことをちゃんと大事にできるんだろう。傷つけないでいられるんだろう。
2人とも黙り込んだまま数分間が過ぎ、口を開いたのは、また涼矢だった。
「……でも、そんなこと言ってたって、あんなことされれば勃つし。俺だってしたくなるし。そういう自分もやだ。自己嫌悪。だから、今はしたくない。」
結局、涼矢にそこまで言わせてしまった。
正直、心の片隅には、この期に及んでもなお、またこいつ面倒くさいことを言い出した、と気持ちがある。今までの自分なら涼矢に反論したかもしれない。でも、この半年間のつきあいで分かったことがある。そうやって場当たり的に反論して、良い結果に結びついた試しがないってことだ。涼矢はいつも自分より先のことを考えていて、自分の幼稚さを思い知らされる。そんなことを繰り返してきた。
「分かった。」本当はよく分かってない。本当はよく分かってないことは、涼矢にも見透かされてると思う。でも、そうとしか言えなかった。
次に和樹は、謝るべきかどうかを逡巡した。でも、それはやめた。口先の分かったに引き続き、口先の謝罪をしたところで、涼矢の心に響くはずがない。正解の行動は分からないけど、それが不正解であることは分かる。
「めんどくせえ奴。」と涼矢が言った。
「は?」
「……って、思ってるだろ?」
「……。」ほら来た。マジでめんどうくさい。……と、ちょっと思ってしまう。
「自分でもそう思う。」涼矢が手を伸ばしてきた。和樹は無意識にその手を握る。「こういう自分は好きじゃないんだけど、長年の習性で。少しずつ、なんとかしていくつもりはあるから、気長に待っててよ。」
「はは。」和樹は思わず笑ってしまった。「俺もだ。俺も、こういう、考えなしのとこ、ダメだって分かってる。治そうとは思ってる。だから、そっちも待ってて。」
「ん。」涼矢は穏やかに微笑んだ。
なんだ。正解なんて、こんな単純なことだった、のか。
「……ハグはいいんだよな?」
「うん。」
和樹は涼矢を抱きしめる。
それから2人は、キスして、ハグして、だらだらして、時々どうでもいい会話をして、いつしか、夕方になった。
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