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第83話 彼らの事情(23)
朝食が遅かったせいもあるが、昼食を食べていなかったことに気づいたのは、午後4時を回った頃だった。
「腹減った。」と和樹が言った。
「そうだよね。どうしよ、今がっつり食べてもなあ、すぐ哲とのメシだもんなあ。」
「おまえは入るだろうけどな。痩せの大食いめ。あっ、でも、確か焼肉食べ放題だったよな。むしろ極限まで腹を空かせて行くべきか。」
哲の指定した店は、学生客にも人気の大衆的な焼肉店だった。バーの店長とつきあっているなどと聞いていたから、カフェバーのような、ちょっと大人っぽい店を予想していた和樹は意外に思ったのだけれど、後で涼矢から「一緒に回転寿司に行った時、重ねた皿の数が同じだった」と聞いて納得した。
「食べ放題だからってあんまり……。」
「はいはい、ガツガツしたらみっともないですよねー。育ちの悪さが出ちゃいますよねー。でも食うけどねー。」
涼矢は和樹に返事もしないで、冷蔵庫へと向かった。「なんか、軽く食べる?」
「何ができる?」
「うーん。すぐにできるのは……和樹が冷凍しといてくれたごはんあるから、それでおにぎりと……あと玉子焼きとか。」
「受験生の夜食みたい。」
「あ、そういう夜食だったんだ?」
「だった。それでいいよ。」
「でいいよ、とは何事だ。」
「すいません、それ、が、いいです。作ってください、お願いします。」"が"を強調して言い直した。
「海苔なんてないよな?」
「ない。」
「じゃ、おにぎりは海苔なしでね。」
「うん。」
涼矢は冷凍ごはんを電子レンジに入れると、ボウルに卵を割り入れた。
「玉子焼きは、しょっぱい系? 甘い系?」
「前に、涼矢が作ってくれた弁当に入ってたやつ。あれがいい。」2人で自転車で遠くまで走った。遠くに海を見ながら、涼矢の弁当を食べた。昔の涼矢の辛い恋がひとつ、昇華された日のできごと。
「あれは出汁巻きなんだけど……めんつゆで作るけど、それでいいよね?」そのめんつゆすら、涼矢が買い出しの時に買っておいたものだった。和樹に、かつおぶしだの昆布だのいりこだのを揃えてやったところで、無駄になるだろう。まだ「3倍濃縮めんつゆ」のほうが使い道がありそうな気がした。
「お任せします。」
やがて、テーブルには、おにぎりと玉子焼きが並んだ。
「おにぎりに玉子焼きと来たら、ヴィジュアル的にはタコさんウィンナーが欲しくなるな。」と涼矢が独りごちる。
「ウィンナーだったら焼肉屋にもあるよ、きっと。」
「いや、食べたいかどうかじゃなくて、見た目としてね。」
「そこだよ、そういうところからおまえの面倒くささが始まるんだよ。食って美味けりゃいいじゃん。」
「そういうところから、おまえの無神経さが始まるんだ。」
「はいはい、もうやめよ、そういうの。」
「おまえが言い出したくせに。」
「玉子焼き、美味しいよ。でも、あの弁当のほうがもっと美味しかったかなあ。いや、これも充分美味しいんだけどさ。」
「そこが分かってくれればよろしい。あれはちゃんと出汁取って作った出汁巻玉子だからね。」
「俺って違いの分かる男だろ?」和樹は見得を切るように格好つけて言った。
「ああ、はいはい、そうですね。じゃあ、おにぎりは何のおにぎりか当ててみようか?」
「えー、なんだろ。とりあえず葉っぱが混ぜ込んである。」
「葉っぱ! 公園の草ちぎって入れたみたいに言うなよな。」
「あとゴマ。あ、真ん中にちっこい魚いた。」
「雑だなあ、もう。葉っぱってのは、小松菜刻んだの。小魚はうちから持ってきた。俺が作ったんじゃないけど、ちりめん山椒な。まあ、ちりめんじゃこの佃煮だな。親がお中元でもらったやつだから、結構な高級品だと思う。」
「美味いっす。」
「説明総スルーされたけど、美味しいなら良かったです。」涼矢も食べる。大口を開けているわけでもなく、慌ただしく食べている印象もないのに、何故か3口ほどでおにぎりひとつが消えていく。
「受験生の夜食か。」と涼矢が呟いた。
「あ、それ褒め言葉だからね。なんかね、妙に美味いんだよね、こういうのって。」
「うん。俺は夜食なんか作ってもらったことないけど、なんとなく伝わるものはあるよ。」
「逆におまえが佐江子さんに作ってあげていそう。」
「マジでそうだった。佐江子さん、今よりもっと忙しい時期があったのね。家には風呂と寝るためだけに帰ってくる感じで、カップ麺と菓子パンしか食べてないって言うから、俺がこういうのとか、雑炊とかうどんとか作ってやって。ああ、そうだ、それって俺の高校受験の頃で、俺、ついでに自分の夜食として、それ食ってたわ。思い出した。」
「中3時点でそれかよ。受験生だっつのに、過酷だな。」
「それでも俺は給食があったからね、まだマシだった。おふくろは俺のおかげで生き延びてたと思う。ま、何事も無駄な経験ではないよ。俺、そのおかげでおにぎり作るの超スピーディーになったもん。早くしないと佐江子さん寝落ちしちゃうから、急いで作る癖がついて。俺より早く握れる奴見たことない……と思ってたけど、ミヤさんがすげえ早くて驚いた。」
「そういやバーベキューの時、おにぎり製造マシンみたくなってたな。」
「被災地にボランティアに行った時に身に着けた技術だって。」
「そんなこともしてたのか……。あの人の本性ってホント分かんねえわ。」和樹はチラリと涼矢を見る。「おまえもよく分かんねえとこ、あるけどな。」
涼矢はニヤリと笑う。「何もかも分かってる相手なんて、つまんないだろ?」
和樹もやり返す。「じゃあ、俺はつまんないんじゃない? おまえ、俺のことは何でもお見通しみたいだから。」
「お見通しなわけないだろ。和樹に関するデータなら、おまえ以上に持ってる気がしてるけどさ、おまえの考えることなんか、ホントにもう全然分からない。」
「なにげにいま怖いこと言った。何その、俺より俺のデータ持ってる的な。」
「ひとつ教えてあげよっか?」
「な、なんだよ?」
「ホクロがある。足の付け根というか、お尻というか、かなーり際どいところにね。」
「え。」和樹はとっさに自分の短パンに目を落とす。
「バレリーナ並に体が柔らかくないと、自分じゃ見えないと思うなあ。」
「そんなこと言われたら気になるだろ、まったく。」
「下を舐める時、最初にキスするとこだよ。俺、そこをスタートの目印にしてるから。」
「なっ!」和樹は瞬時に真っ赤になった。
「次の時、意識してみてね。」涼矢は投げキッスのようにチュッと唇を鳴らすと、食べ終わった「夜食のような軽食」の皿を片づけはじめた。いつもなら和樹が片づけ担当として率先して動くところだが、フリーズして動けないようだ。
時間差で「ほんっと、何考えてんだか、分かんね。」と呟いてから、ようやく和樹は立ち上がり、涼矢に替わり、皿を洗い始めた。
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