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第892話 cocoon(5)

 涼矢はリビングのカレンダーを見る。正継の帰省の予定などの、佐江子のメモ書きがところどころにある。自分の予定はスマホで管理していて、書きこんでいない。正継は硬筆のお手本のような文字を書くが、佐江子は慣れないと読み取れない程度に悪筆だ。このメモ書きも涼矢だから意味が通じる。だが、父よりも母の文字のほうが好感が持てる、と涼矢は感じていた。自分は母よりはマシだと思うが、父ほど達筆ではない。神経質な右肩上がりの文字は、自分の性格が現れていて嫌いだ。思えば正継の文字も、その性格を反映したような隙のなさが息苦しくて苦手なのかもしれない。  和樹の直筆を見る機会はほとんどなかったけれど、水泳部時代には交替で日誌を書いていたから、多少は目にしたことがある。字形の美しさは可もなく不可もないといったところだが、ひとつひとつが大きくて、伸びやかな字だった。 ――やっぱり文字には人柄が反映されるんだな。  ということは自分のあの神経質な字もまた内面の表れなのだと改めて思い、ふう、とため息をついた。  リビングにいたのは佐江子にテレビドラマの録画予約を頼まれたからだ。深夜枠のドラマだから帰宅後に見るつもりだったのが、仕事の雲行きが怪しく、帰宅時間が読めなくなったらしい。無事に録画設定をして、再び自室に戻る。  机の上に置いたスマホのランプが点滅していた。画面の通知を確認すると和樹からの不在着信だった。早速かけ直す。 「もしもし、ごめん、ちょっと席外してた。」 ――忙しい? 風呂入った? 「入った。忙しくないよ、おふくろに頼まれてドラマの録画予約してただけ。」 ――佐江子さんは忙しいんだ? 「いつも通りね。」 ――そんなに忙しくて、銀婚式、できそう? 「それも決めなきゃなあ。」 ――何か進んでる? 「何にも。つくづく向いてない。自分が先頭に立って企画するとか。」 ――正月を外すとなると、最優先なのは親父さんの帰省の都合じゃない? 「だよね。親父、三月に異動になるんだよな。」 ――決まってんの? 「二、三年で異動なんだよ。札幌がもう三年目だから。本人はもう薄々知ってるはずなんだけど、そういうこと身内にも絶対言わないんだよね。」 ――おまえと似てる。 「似てねえよ。」 ――似てるよ、又聞きしたような不正確な話はしないだろ。他人の個人情報にも厳しいし。 「それは常識だろ。」  和樹は吹き出す。 ――ま、おまえらしくていいよ。……とにかく、二月三月じゃ連休も限られてるんだから、早めに考えないと。俺らはいいけどさ、みんながみんな学生並みに休めるわけじゃないんだから。 「努力はするけど、ぐだぐだになったらごめん。」 ――そうなる前に言えよ、できることがあれば手伝うし。 「いや、一応、俺の親のことなんで。」 ――やっぱそうなるよな。 「やっぱりって?」 ――いやいや、こっちの話。 「俺の親の銀婚式で、どうしてそっちの話になるんだよ。」 ――おまえも大概しつこいよね。 「はい?」 ――涼矢に察しろって言っても無理か。 「なんだよ、さっきから失礼だな。俺、何かしたか?」 ――おまえは悪くないよ。俺がね、今ちょっと自己嫌悪。 「どうして。」 ――だから、言いたくないっつってんの。 「何が『だから』だよ。和樹が自己嫌悪になるような会話してないだろ。俺ならともかく。」  和樹はひとつ大きなため息をつく。 ――おまえは、先頭に立って仕切るのが苦手で。 「ああ、そうだよ、悪かったな。和樹ならもっとうまくやれるんだろうけどな。」 ――でも俺に頼りもしない。 「……だって、俺の。」 ――おまえの親の話だもんな。 「ああ。」 ――俺には関係ないもんな。 「いや、関係ないことはないけど。」 ――けど、相談しようともしない。 「迷惑だろ。」 ――迷惑なわけあるか。  思いがけず強い口調になってしまう。 「もしかして、そのことでそんな風になってるわけ? 俺が和樹に何も相談しないから?」 ――ああ、そうだよ。おまえだけじゃなくてさ、明生だって、おまえや他の先生には相談しても俺には何も言わない。 「それは……。」 ――分かってるよ、俺じゃ頼りにならないんだろ。 「それですねるなんて、和樹らしくもない。」 ――らしくもないって何だよ。ああ、どうせ俺はいつもヘラヘラしてますよ。そんな奴だから、いざという時には役に立たないと思われてる。 「今の和樹、すげえ面倒くさいぞ。」 ――おまえに言われたくねえけどな。 「ひっでえな、フォローしてんのに。」 ――どこがフォロー。 「あ、まだフォローはしてなかったか。」 ――いいよ、フォローなんて。どうせね。 「和樹はラスボスだから。」 ――は? 何言い出す気だ。 「いや、ラスボスとは違うか。つまり、最後の砦として頼りにしてるよ、俺はね。でも、その前に自分でやれることはしておきたいっていうか。」 ――本当かよ。 「本当だよ。明生くんの考えは知らないけど、少なくとも俺はそう。」  明生も同じ気持ちだろうとは言わない涼矢に、和樹はつい顔がニヤけた。

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