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第893話 cocoon(6)

――相談するなら、どうしようもなくなってから来られるより、今のうちから言って欲しいもんだけどね。  口先では引き続きの不機嫌を振る舞うが、おそらく涼矢にはバレていることだろう。 「どうしようもなくならないようにやろうとしてるんだから、温かく見守れよ。」 ――あっそ、へいへい。 「あ、そうだ、銀婚式のこととは話変わるけど、ひとつお願いがあって。」 ――言ってみたまえ。私にできることならなんでもしてしんぜよう。  わざとらしい口調はスルーして、涼矢は言った。 「手紙を書いてよ。直筆の。」 ――まさかあれか、花嫁からの手紙か。俺が佐江子さんに書くのか。 「違う違う、銀婚式の話じゃないってば。」 ――じゃあ何。 「単なる俺の願望。和樹の文字が見たい。」 ――何のために。 「和樹の字、好きだったなと思って。でもあんまり見る機会がないから。」 ――俺の字なんて別にうまくもない。バイトで板書するのも嫌なぐらいだよ。 「あそっか。塾では書くよな。生徒が羨ましい。」  直筆の文字が見たいと言われて、和樹は涼矢とは年賀状すらやりとりしていないことに気がついた。涼矢に限らず、新年の挨拶はスマホでメッセージを送り合って済ませてしまうことがほとんどだ。奏多などは律儀にハガキを寄越してくるので、面倒ながら渋々返事を出すけれど。 ――涼矢も返事くれる? 直筆で。 「えー。俺、自分の字、嫌いだからやだ。」 ――それはずるい。つか、おまえのほうがよっぽどきれいな字、書くだろ。 「俺の字なんて見たことある?」 ――あるよ、部活の時とか、あと、俺んち来た時に勉強道具持ってくるだろ。 「まさかノート盗み見た?」 ――テキストにもいっぱいメモしてあったし。 「勝手に見んなよ。」 ――ストーカーやってたおまえが言うんじゃねえよ。 「ストーカーと言われるほどのことはやってない。」 ――嘘だ。 「エミリのストーカーみたいに、つきまといも待ち伏せもしてないだろ。ポストの郵便物だのゴミだのを漁って個人情報を盗もうとしたこともない。」 ――当たり前だ、馬鹿。でも、それに近いことはやってただろ。俺の誕生日とかいつの間にか知ってるし。 「好きな人の誕生日を調べるのがストーカーなわけ?」 ――ああ、もういい。おまえとこの手の話して勝てるわけないし。手紙ね、手紙。書けばいいんだろ? 「書けばいい、なんてのじゃなくて、ちゃんと心を込めたやつな。」 ――込める込める。今のこの、何とも言えないイラッとした思いの丈をぶつけてやる。 「いいよ、それでも。和樹が俺のために書いてくれたものなら。」 ――それ、そういうのがストーカーっぽいんだよ。 「そうかな。いじらしいだろ。」 ――自分で言うな。  和樹はそう言って笑った。――いじらしい。確かに長いこと片想いに耐えていた涼矢をいじらしいと思ったこともある。でも、今は違う。俺に対してだいぶ図々しくなった涼矢。いじらしいどころかいつも一歩も二歩も俺の先を歩いていて、こっちが焦ってしまう。  この日は結局、涼矢への手紙は書かずじまいだった。冬期講習のない大晦日になってようやく、和樹はコンビニでレターセットを買った。店頭には年賀はがきが並んでいて、このタイミングで手紙を書くというのも妙な気がしたが、これ以上先延ばしにしたらきっとずっと書かないだろう。  近隣はアパートが多い。帰省する人が多いのか、普段以上に静まり返っている気がする。何か音が欲しくてテレビをつけると、どの局も今年の総決算かバラエティ番組だ。 ――今年を振り返る、ねえ。  今年の初めは何をしていただろう。帰省して、涼矢と初詣に行った。それから、バレンタインデーにチョコをくれた菜月をきっかけにして、明生に恋人の存在がバレた。明生とはディズニーランドにも行った。エミリと明生に涼矢とのことを根掘り葉掘り聞かれたのは恥ずかしかったが、同時に話せる相手がいるのは嬉しくもあった。そうだ、海や琴音といった、オープンにできる相手が増えたのも今年だ。若林先輩と、香椎先輩もそうだ。涼矢のかつての恋の相手は、穏やかながらも芯の強そうな人で、どこか涼矢と似ていた。彼が涼矢の想い出を語る時、嫉妬よりも安堵を覚えた。涼矢が過去の恋愛で傷つくのは見たくない。今の涼矢、これからの涼矢のことなら俺がなんとでもする。でも過去のことは手出しができないから。あの家庭教師にしても、香椎先輩にしても、涼矢を大切に思ってくれていたのは間違いないのだと、そう思いたい。  知らず知らずのうちに、考えるのは涼矢のことばかりだ。寝ても覚めても恋人のことばかり考えているなんてよほどの恋愛体質だと思うが、果たしてこれは恋愛感情なのだろうか、とも思う。  もちろん涼矢のことは好きだ。性的な意味も織り込み済みの恋愛感情は確実にある。でも、それだけかと問われれば、少し違う感情もある。笑い合う友人、支え合う仲間、高め合うライバル。高校時代に培ったそういった結びつきは、恋人になったからといって消えるわけではない。それぞれが入り混じった上での現在の関係だ。 ――俺たちは、この先もまだ変わるのかな。  和樹はまだ一文字も書かれていない便箋に目を落とす。 ――次、変わるとしたら。 ――ただいまと言い、おかえりと言う、そういう関係に。つまり、家族に。  和樹はペンを走らせ始める。

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