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第894話 狐火 (1)
大晦日に東京で投函された手紙は、年明けの三日になって涼矢の手元に届いた。消印を見てそれを知った涼矢は、案外早いものだと思う。電子的なリアルタイムの会話に慣れ、ポスト投函の手紙は時間がかかると思い込んでいたけれど、郵便業者が一年のうちでも一番忙しそうなこの時期に三日で届くなら充分早い。もっとも、その間に迎えた年明けの挨拶は、既にスマホで済ませてしまった。その時には一言も手紙を出したことを教えてくれなかった和樹だ。サプライズのつもりだったのだろうか。だとしたら和樹にとってのこの三日間は「いつ届くだろう」とドキドキ待っていた「長い三日間」だったかもしれないが、それでも三日だ。
――和樹との物理的距離なんて、そんなもんだ。
その距離がどうしてこうももどかしいのか。そんなことを考えながら、糊づけされた封の部分をびりびりと引き剥がした。その乱れた断面を見てからレターナイフの存在を思い出したがもう手遅れだ。
――拝啓 涼矢様
ご丁寧にそんな言葉で始まっていたのは不意打ちで、涼矢はフッと声を出して笑った。
『拝啓 涼矢様
この手紙が届く頃には年が明けているでしょうか。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
と書いたらもう書くことがなくなっちゃったな。
急に手紙を書けなんて言われたので困ってるよ。塾では生徒に散々作文書かせているけど、いざ自分が何か書くとなると難しい。添削されたらひどい結果になりそうだ。
えーと、そうだなあ。お正月を一人で過ごすのは初めてなんだけど、やっぱり淋しいもんだ。うちのまわりは一人暮らしが多いから、お盆や年末はなんとなく人が少なくなる気がする。あとスーパーの食べ物が高くなる!! 年末年始仕様なんだろうけど結構死活問題。高級食材買ってる家族連れの横で、インスタントラーメンに手を出すのは心が折れそうになるぞ!! なので、何を考えたのか、モチと伊達巻を買ってしまった。あとお茶漬けの素を買った。海(サークルの友達)から、お茶漬けの素でなんちゃって雑煮が作れるって教えてもらったんだ。これが届く頃には俺はひとり淋しくお茶漬け雑煮を食べていることだろう。
かわいそうだと思ったら、会ったときにうまいもの食わせてくれ。
では、寒さ厳しき折、体には気をつけてお過ごしください。
敬具』
最初と最後だけ体裁を整えた手紙に涼矢は吹き出しそうになるが、何故か同時に泣けてきて、嗚咽のような声が出た。
年始に電話で話した時、そんなものを食べているなんて言ってただろうか。涼矢はその時の会話を思い出そうとした。確か、実家から恵が手作りしたおせち料理が送られてきたと言っていたはずだ。一人分ではあまりにわびしいと思ったのか、多めに入れてきたので食べきるのが大変だと愚痴混じりに言っていた。
涼矢は、和樹が手紙に書いてあるほどの淋しさを抱えていないことを祈った。実家から送られてきたものが食べきれなくて大変だと愚痴るぐらいでいい。
涼矢は和樹に電話をかけた。数コールの後に留守番電話に切り替わる。――そうだ、もう冬期講習が始まっているのだ。年明け早々に正月気分でもいられない状況は、今の和樹にとってはむしろ淋しさが紛れていいかもしれない。涼矢はメッセージを残さずに切った。夜にでもかけ直せばいいことだ。
夕方、かけ直す前に和樹からのメッセージが来た。授業が終わった、とあるのを見て、涼矢は即座に電話をかけた。
「手紙、届いたよ。」
――ああ、届いた? やっぱり年賀状シーズンだから時間かかったな。
和樹はどことなく照れくさそうだ。
「大晦日に出して今日届いたなら早いだろう。」
――そっか。年明けちゃったもんだから、なんかすげえ昔のような気がしてたわ。
「はは、分かる。」
――俺、変なこと書いてなかった?
「もう忘れたのかよ。」
――何書けばいいかすげえ悩んだことだけ覚えてる。あ、お茶漬けの素でお雑煮が作れる話、書いたよな?
「書いてた。食べた?」
――食べたけど、なんかな、いまいちだった。普通に餅は餅で、お茶漬けはお茶漬けで食ったほうが美味い。
「伊達巻は?」
――食べた食べた。そしたらさ、おふくろからのおせちにも伊達巻入ってたからダブった。
「お母さんのは、手作り?」
――うーん、たぶんそうかな。焼き目が売り物みたいにきれいじゃないから。あと、味があっさりしてる。売ってるのはすんげえ甘かった。
「お母さんの方が美味しいんだ?」
――あー……。まあ、そうな。強いて言えばな。慣れてる味だからな。
「素直にお母さんのほうが美味しいって言えばいいんだよ、そんなの。おふくろの味なんだから。」
――涼矢んちのおふくろの味は、涼矢の味なんだろ?
「ははっ、そうそう。佐江子さんはね、ちょっとアレだから。まあ、うち、元々お雑煮もおせち料理も作らないし食わないから、俺も作らないけど。」
――そう言やそんなこと言ってたな。
「そのうち和樹のお母さんに教わらなきゃね。都倉家の伊達巻の味。」
――嫁として。
「そう、嫁として。」
そんな会話をしながら、恵と一緒にキッチンに立って料理を教わる日が来るなど想像も付かない、と涼矢は思う。
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