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第99話 空蝉(3)
「あ、ねえ、これは?」和樹はスマホで上映中の作品を検索し、その中からサスペンスの邦画のタイトルを挙げた。PRのためだろう、少し前から主演俳優がよくテレビ番組に出ている。
「それ、おもしろそうだよね。」
「俺、この俳優好きなんだ。カッコよくない?」和樹が主演の名前を言うと、涼矢が上目遣いに和樹を見た。和樹もその視線に気づく。「あ、俺のほうがカッコいいと思った?」
「うん。」
「ははっ。」和樹はストローでアイスコーヒーをかき回しながら笑った。あまりに美味しくないので、普段は入れないミルクとガムシロップを入れて味を誤魔化すことにした。かき回すとミルクがマーブル模様を描きながらコーヒーと混ざっていった。「きみは俺をほめることにためらいがないよね。」
「そっちは最近、ほめられることに慣れてきたよね。照れも謙遜もない。」
「……ほめてはくれるけど、それと同じかそれ以上に馬鹿にもするよな?」
「そうかな?」
「そうだよ。」
「和樹は完璧だと思ってるけど。」
「そう思ってる相手に寝技かけるかよ。」
「あれは……スキンシップ?」
「嘘つけ。」和樹は笑って、コーヒーを飲む。慣れない甘さがした。
「甘そう。」
「甘い。いつもはガムシロなんか入れないから、変な感じする。」
「ガムシロの甘さって独特だよね。」
「人工的な。」
「哲は平気で2、3個入れる、ガムシロ。あいつ味音痴だから。」
「極端に甘いのとか辛いのとか好きな人っているよね。」
「その味に慣れると、どんどんエスカレートするんだろうな。」
「慣れって怖いねえ。」
「ほめられ慣れるのもね。あとメガネとか。やっぱり慣れないほうがいいんだよ。」
「メガネはいいだろ、別に。」
「固執するなぁ。」涼矢は笑う。「自分でかければ? 伊達メガネ。」
「嫌だね。俺がそういうのすると、某チャラ男芸人みたいになる。」
「あ、かけたことあるんだ。おかしいな、見たことない。」
「おかしくはないだろ。どれだけ俺を把握したいんだよ。メガネ屋で試しにかけただけ。チャラいってすげえ不評だった。」
「ああ、デート中に。彼女に。」
「せっかく婉曲に言ったのに……。」
「お気遣いありがとう。でも平気。」涼矢はにっこり笑う。「やっと、元カノの話されても、それほど心は痛まなくなった。」
「ちょっぴりは痛めてるんじゃねえか。」
「ちょっぴり痛いぐらいがいいんだよ。」
「なんか、やらしい言い方。」
「それは受け止める側の問題だろ。」
「納得行かないな。……さて、行くか。」
結局コーヒーは半分残して、2人は映画館へと向かった。
雑踏の中で、何故か涼矢は自分からメガネをかけた。
「何で?」
「あまりに人が多くて怖い。フィルター代わり。」
「よく分からない理屈。」
「サングラスだったら、もっといいのかも。他人の視線が、なんかさ。」
「ああ、そういうの。」
「でも、かけてると頭痛くなるし、困ったもんだな。」
「とりあえず俺は喜ぶ。」
「はいはい。」
そんなことを言いながら歩いていると、背後から声がした。「ちょっと、きみたち。」
振り向くと、30歳前後の男がいた。「モデルなんて興味ない?」
スカウトマンだ。
「あー、すんません、もう、所属してるとこがあるんで。」和樹は営業スマイルで答えた。
「そうなんだ。そっちのメガネの彼も?」男は涼矢に向かって言う。
涼矢が戸惑っていると、和樹が答えた。「同じ事務所なんで。」
「そっかあ。でも、興味あったら話だけでも聞きに来て。うちは割と大きいショーにも出てるし、俳優の養成もやってるから、そっち方面にも強いよ。」男は名刺を出して、2人それぞれに渡した。
「はい、どうも。」和樹は軽く会釈すると、涼矢の腕を引っ張って早足で歩き出し、その場を離れた。
しばらく歩き続けて、男からだいぶ離れたところまで来ると、涼矢が口を開いた。
「和樹さん、い、今のは。」
「スカウト。」
「随分、慣れてたね。」
「うん、何回かある。いろいろ試したけど、もうやってますって言うのが一番早く諦めてくれるっぽい。」
「すげえ。」
「おまえも声かけられてただろ。」
「俺は、つ、ついでで。俺に何も言わないのはかわいそうって思われただけで。」
「あの人たちだって仕事なんだから、そんなんで声かけねえよ。現に、今まではツレがいても俺だけしか声かけてこなかったよ。それに、ホストだったり美容院のカットモデルだったりで、全部が全部、そんな芸能人のスカウトじゃないよ?」
「へ、へえ。」
「何緊張してるの。」
「都会怖い。」
「あはは。」
「和樹がそんな東京に染まっていってしまう……。あのさ、ドラッグとか、ダメ、絶対。」
「バーカ。そんなんしねえよ。」
「俺、本当に3年後に東京暮らし、できるかなあ。」涼矢は、大学を卒業したら、東京のロースクールで勉強するつもりだ。それはもちろん、和樹が東京で就職することを見越してのことだ。
「できるよ。俺、いるし。」
「……。」涼矢は唇を噛みしめる。
「何だ、変な顔して。」
「顔がニヤケる。」
「は?」
「何でもない。」
涼矢の頬が赤くなっているのを見て和樹は理解する。ああ、3年後に、俺がいるって言ったからか。だって、いない未来なんて、考えられないだろう。東京じゃない未来はあるかもしれないけど、俺らのどちらかがいない未来は、俺には、ない。おまえにだってないだろう、涼矢?
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