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第100話 空蝉(4)

 劇場のチケット窓口では、モニターで座席表を確認しながらチケットを買うことができる。目当ての映画の入りは6割ほどで、端のほうの席にはまだ余裕があった。和樹がモニター上で最後列の端の席を2つを指して、「ここでいい?」という意味の目配せをすると、涼矢はうなずいた。スクリーンは斜め方向から見ることになるが、その席の周囲には空席が目立ち、よそのカップルと至近距離になる確率が少しだけ低そうだったのだ。硬派なサスペンス映画を見に来るカップルがどれだけいるかは分からないが。  やがて映画が始まった。予想したように、和樹たちの周りは空席のままで、それこそ手も握り放題ではあったのだが、作品は前評判通りにずっしりと見応えのある内容で、心理戦にハラハラする場面も多く、手を握るだのという方面でドキドキする気にはなれないまま終わった。  また、長編小説が原作で、ラストシーンが原作とは変えてあるという触れ込みだった。和樹は原作を読んでいたが、涼矢は未読。だが、映画を観ている最中、お互いそのことは知らずにいた。実際の作品では、原作では後味の悪さの残るエンディングだったのが、ハッピーエンディングに変えられていた。その分、話の深みがなくなったという評価もあるが、和樹は映画版の結末のほうを気に入った。 「ラスト、こっちのほうが好きだなあ。」映画館を出て駅に向かう道中で、和樹は涼矢に話しかけた。 「こっちって?」 「原作読んでない?」 「読んでない。」 「俺、読んだんだけど。……あ、ネタバレ平気?」 「いいよ。」 「原作は、あの犯人が最後まで黙秘するんだよ。だから、ヒロインは誰を恨んだらいいのかわからないまま、終わる。」 「救われないなあ、それ。」 「そうなんだよ。ほかにも、施設の仲間にも犠牲になった人がいて、その人は結局事故ってことで処理されて浮かばれないし、何かと読後感が悪くてさ。まあ、だからこそ謎解きが複雑になっておもしろいところではあるんだけど、気持ちとしてはスッキリしないんだよね。」 「それは確かに、おまえなら映画版のほうが好きそう。」 「つまり、俺が単純馬鹿って言いたいわけだな?」 「違うよ、和樹は……ハッピーエンドが好きそうだから。」 「ああ、そうね。どうせならハッピーに終わるのがいいよね。え、普通そうなんじゃないの?」 「俺は、フィクションなら結構悲劇的なほうが好き。」 「ひねくれてるもんなあ。」 「るせ。……メリーバッドエンドってのもあるよね。」 「何だ、それ?」 「周りから見たらバッドエンドなんだけど、本人にとってはハッピーエンド、みたいなやつ。視点が変わることで解釈が変わる。たとえば好きな人を殺して、蝋人形にして自分の手元に置いたとして、殺した奴にとっては永遠に好きな人を手に入れてハッピーだけど、殺された人やその他の人から見たらバッドだろ。」 「そのたとえ話、怖いよ。」 「じゃあ、こういうのはどうだろね? ある男がいる。好きな相手も男で、思いが通じて恋人になれるんだけど、その男には老い先短い親がいて、息子の結婚や孫の誕生を何よりも楽しみにしているのだった。」  和樹は足を止めて、涼矢を睨みつけた。涼矢も立ち止まる。「おまえ、趣味悪いぞ。」人混みの中で立ち止まったものだから、何人もの人が和樹と涼矢にぶつかっていった。特に涼矢はよけるふりすらせず、ただ棒立ちしていたから、イライラをぶつけるようにわざと体当たりするようにぶつかってきては、舌打ちする者までいた。 「……ごめん。展覧会で車椅子のおばあちゃんたち見てから、ずっとそんなこと、考えてた。ああいうのっていいなって思うけど……。」  やっぱりか。和樹は心の中でため息をついた。「ええと。まず、ここは通行人の邪魔だから、端に寄れ。それで、3分待て。」  涼矢は素直に端に寄った。和樹もその隣に立つ。  3分経たないうちに、和樹が口を開いた。「その話の続きはこうだ。――だけど、親がそんなことを楽しみにしているというのは、その、ひねくれやの息子の思い込みに過ぎなかった。当たり前のことだが、親の本当の幸せは、我が子が幸せでいることだった。愛しあう息子とその恋人の幸せそうな姿を見て、親は幸せだった。つまり、みんな幸せになりました。」和樹は一息にそう語り、もう一度、涼矢を睨みつけた。その目は、赤く、潤んでいる。「フィクションでも、ノンフィクションでも、このストーリーは、そうなる。分かったか、バーカ。」  涼矢はうなだれて、しばらく黙っていた。そんな風にうつむくと、いつもなら前髪が隠しているであろう目元も、今日は見える。涼矢の目も、潤んでいた。「ごめん。」と小さく呟いた。 「……帰るぞ。」和樹は涼矢の手を取り、引っ張るようにして歩きだした。人目も気にせず、そのまま駅へと向かおうとする。涼矢が手を離そうとすると逆に強く握ってきた。「ちゃんと握ってろよ。そうしないと、おまえ、すぐ迷子になっちゃうから。」  和樹は怒り半分で涼矢の手を引く。いったいいつになったら、涼矢は安心して俺を信じてくれるんだ。どこに連れていけるのかは分からないけど、俺はおまえを1人で迷子にさせるつもりなんかないのに。4ヶ月離れていても、気持ちは離れなかった。まっすぐ俺のところに来てくれた。その気持ちを、どうして一緒にいる今、あやふやなものにしてしまえるんだ。たかが老夫婦を見かけたぐらいのことで揺らいでしまうんだ。  電車に乗って、ようやく和樹は手を離した。2人とも無言だ。新宿駅で山手線から総武線へと乗り換える間も。その電車が西荻窪の駅に到着しても。  ようやく和樹が言葉を発したのは、駅を出て、アパートに向かってしばらく歩きだしてからのことだ。ある曲がり角で、アパートとは違うほうへと曲がって、言った。「コーヒー、おごれよ。あの店の。」 「うん。」涼矢はまだ元気はないが、素直にうなずいた。  2人で例の喫茶店に向かう。  ところが。  店の扉は閉ざされていた。「臨時休業」の張り紙がしてある。慌てて書いたようで、手書きの文字だ。

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