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第106話 空蝉(10)

 和樹はベッドの上で寝そべったままずるずると方向転換をして、涼矢の背中に手を伸ばした。 「うわ、何?」涼矢が驚いて振り向いた。 「難しい問題?」 「え?……ああ、うん、ちょっとね。立場によって解釈が変わって……って、説明はいいか。」 「メリーバッドエンドみたいなこと?」 「そう言われると、似てるかな。」涼矢は勉強の邪魔をされたことはまったく気にしていないようだ。やはり、初期段階の対応が正しかったのだろう。 「俺もそういうこと、考えてたところ。」 「そういうことって?」 「哲と倉田さんとか。その奥さんとか。奥さんの恋人とか。もしかしたら将来生まれるかもしれないこどもとか。正しいとか正しくないとか、誰の立場で考えるかで、全然変わるよなあって。」  和樹は、自分の言おうとしていることが涼矢にうまく伝わるか心配だったが、涼矢はすんなりとその意図するところをキャッチしたようだ。「ああ、そうだね。誰の立場ってのもあるし、どのタイミングでってのもあるだろうし。昨日は正しかったことでも、今日になったら間違いってことだってあるわけで。ま、哲は哲で答えを出すんだろうよ。俺たちが考えることじゃない。」 「じゃあ、俺たちは?」 「え?」 「俺たちが正しいとか正しくないとかって、誰が決めるの。俺とおまえが良ければそれでいいのかな。それは誰かにとってはバッドエンドの可能性もある? 今はそれで正しいって思ってても、明日になったら間違いになるかもしれない?」 「和樹の癖に難しいこと考えるなよ。」 「なんだよ、和樹の癖にって!」 「第一、それはもう、おまえが結論出してくれたじゃないか。」 「俺が?」 「ハッピーエンドだって。そう決まってるって。だから、正しいんだろ?」 「でも、他の誰かにとっては正しくないのかも。」 「だとしても、俺は、おまえがハッピーだったらそれでいい。他は、無視する。」 「無視かよ。」和樹はつい笑ってしまう。 「そう、無視。どうせ関わった人全員にとって正しいことなんかないんだから、それでいい。」 「すげえ割り切り方だな。」 「俺は和樹みたいに、誰にでも優しくなんてできないから。」 「優柔不断で八方美人なだけなのかも。」 「……そうでもないよ。」その通り、と肯定するかと思ったがそうではなかった。 「考えれば考えるほど分かんねえなぁ。おまえの言ってることも、自分で考えたことも。」 「分かんなくていい。つか、おまえが考えるとイソップのムカデみたいになるぞ。」 「なんだそれ。」 「どうやったらそんなにたくさんの脚を自在に操れるんですか?とカエルに聞かれたムカデは、脚の順番を意識してしまったせいで混乱して、歩くこともできなくなるんだよ。何も考えてなかった時には、自由に動けたのに。」 「……。俺、ムカデ?」 「だな。んで、俺は余計な質問をするカエルタイプだな。」 「あ、それは納得。」  涼矢はコツンと軽く、和樹の頭を小突いた。ニコリともせず。ハハッと笑ったのは、和樹のほうだ。その和樹を涼矢は真顔のまましばらく見つめていた。かと思うと、急に立ち上がり、バッグを手にした。和樹は追加の勉強道具でも出すのだろうと思って見ていたが、涼矢が出したのはメガネだった。それをかけながら、ベッドに近づいてくる。 「な、何? どしたの?」和樹はひるんだ。 「八つ当たりしたから悪かったと思って。その埋め合わせにサービス。」涼矢は、和樹の顎を自分に寄せて、キスをした。 「なっ……。」突然のことに頭が追いつかない。「八つ当たりって? さっきのは、あれだろ、俺が倉田さんのことでおまえを笑ったから、それで怒ってん……。」 「おっさんの話じゃない。別件。」涼矢は、うつぶせだった和樹をひっくりかえして、仰向けにした。 「え?」 「従妹のお腹の子の父親が俺じゃないって、どうしてみんなに分かってもらえたかと言うとね。」 「お、おう。」涼矢は何を話し出す気だ。 「従妹の俺への悪口があまりにひどかったのと、産まれてきた子の外見が、明らかにアジア人のそれではなかったから。」 「は?」 「陣痛で苦しんでるさなかに、叔父や叔母が詰め寄ったわけ。誰の子だ?って。その時の従妹は陣痛でギャーギャー騒いでてそれどころじゃないのにさ。そんな時に叔父がまさか涼矢か?なんて言ったもんだから、従妹が切れて。涼矢みたいな、ネクラでオタクのチビなんか大嫌いだと叫んだ。」 「ちょ、……えっ? ネクラは分かる。けど、オタクとチビは、違うだろ。」 「ネクラは分かるのか。……まあいいや。オタクってのは、たぶん、うちにある、ジオラマとかプラモを見たことがあるからだと思う。従妹とは、うんと小さい頃はそこまで仲悪くなかったんだよ。親同士はギクシャクしているところはあったけど、こどもはね。何かの都合で、従妹だけうちで預かったことがあって……その頃は、俺、チビでひ弱だったから、その印象が強かったんだと思う。」 「まあ、そうだとして、そこまでひどい悪口でもない気が……。」 「チビの続きがあってさ。チンコが小さいとも言われた。」 「……。」

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