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第113話 Only you(1)
涼矢は身体の向きを変えて、冷蔵庫にもたれるように立ち、ベッドに腰掛ける和樹を見た。
「そうだね。親父もおふくろも、きっとそう言う。でも、こどもが欲しいって気持ちは、大半の人には理屈抜きの、生き物としての本能なわけだろ。それができないってことは、理屈抜きで罪悪感になるんだよ。……だから、マスターに、こどもに俺の名前をつけたいって言われた時、そんなのだめだって思った。あんなに望んで、苦労してやっと授かった子なのに……それだったら尚更、俺みたいな奴の名前をつけちゃだめだろって。マスターにふさわしい子は、そういう子じゃないはずだって思った。」
「でも、おまえがいいってさ。」和樹は笑った。「カッコよかったよなあ、あの時のマスター。それがどうかしたんですか、って。……俺には言えねえわ。や、俺だってそう思うけどさ、俺が言ったところで、薄っぺらくて。……マスターは、おまえみたいな子になってほしいって、本当にそう思ってんだよ。それは信じていいと思うよ。」
「うん……。」
「まあ、俺に言われなくても、だな。だからおまえ、泣いたんだろ?」
「恥ずかしいからやめて。」涼矢は赤面する。
「そうだなあ。いつか科学技術が発展して、男同士でも妊娠できるようになったら、俺も、俺に似た子よりはおまえに似た子がいいなあ。」和樹はのんきにそんなことを言い出した。以前のそんな態度は「天然」だったが、最近は少し違う。演技とは言わないけれど、ある種の道化役が涼矢には必要で、それが今の自分が涼矢にしてやれる、最大の役割なのだという自覚も混じった上での言動だった。
「だから、俺はいやだってば、自分に似た奴がほかにもいるなんて。」
「えー、そうか?」
「ネクラの粘着質の変態なんて育てたくない。」
「大丈夫、俺が育てる。そういう奴の相手、慣れてっから。」
「そうしてくれ。」
「ああ。……あ、ホントだ。」
「えっ?」
「おまえさっき、倉田さんに共感するところがあるって言ってただろ。倉田さんも今のおまえと同じこと言ってたじゃない? 奥さんがこども欲しいなら協力してもいいけど、自分は育てる気はないから父親にはならない、奥さんに任せるって。妙なとこで通じるところがあるんだな。」
「ゲイあるあるなんじゃないの。」涼矢が冷めきった目をして言う。
「なんだその、自虐。」
「自虐か。これでも相当マシになったつもりなんだけどね。」涼矢は和樹の隣に腰掛けた。「マシになったのは……自分のこと、ちょっとは好きになれたのは、おまえのおかげなんだから、そのおまえがそんなこと言わないで。」
「すべて和樹様のおかげです、何でも言うこと聞きますと、俺様の前でひれ伏したらな。」和樹は笑いながら言った。
「喜んでやるけど。」涼矢は腰を浮かして、床に降りようとした。和樹は慌てて腕をつかんで制止する。
「やべ、おまえにこういうこと言うと、ロクなことになんねんだった。」
「え、やらなくていいの?」
「やらなくていい。むしろやるな。」
「犬と呼んでくださいぐらい言ってやるのに。」
「おまえのそういうの、マジで怖い。」
涼矢はふいに和樹にキスをした。「怖いってね、すごーく興味があるってことなんだって。怖いもの見たさって言うもんね。」
「黙れ、犬。」
「すごくいいなあ、それ。」
「ヘンタイ!!」
涼矢は和樹に腕をまわして、ベッドに押し倒した。「それから?」
「なっ……!」
涼矢は和樹に顔を近づける。和樹はキスされるのかと思って身構えたが、涼矢は鼻の頭をペロリと舐めてきた。
「犬はちゃんと躾ないと、そのうち噛みつくぞ。」
「じゃあまず、"お座り"だ。いや、"待て"か?」
「待てない。」涼矢は今後こそキスをした。
「……とんだバカ犬だな。」
「飼い主に似たんだ。」
その日の夕方のことだ。
涼矢がパソコンを立ち上げて間もなく、「えっ。」と声を上げた。
「どうした。」勉強モードに入った涼矢の邪魔をしないように、ベッドの片隅で本を読んでいた和樹が聞いた。
「哲からメール。」
「この間の返事じゃないの。なんか、レポートやってんだろ。」
「そうじゃない。倉田さんの連絡先教えてくれって。」
「なんで? スマホ使えないの?」
「らしい。それでPCのアドレス宛に。」
2人は同時にゴミ箱を見る。幸い、例の煙草を捨ててから、ゴミ捨てはしていない。だが、その上には汚れて丸めたティッシュや使用済みのコンドームを中心とした新たなゴミが投入されている。
「おまえが出せ。」と涼矢が言った。
「やだよ。」
「おまえが受け取ったもんだろ。」
「おまえが捨てたんだろ。」
「あ、そうだ、おまえ、倉田さんのアカウント見つけたって言ってたな。倉田さんから哲に連絡するように言えばいいんじゃないか?」
「でも、哲のスマホ使えないんだろ。」
「あ、そっか。じゃあ、哲のPCメールアドレスを伝えて、そっちに……って、めんどくせえなあ。」
「涼矢のお友達なんだから、なんとかしてやれよ。」
「ユアフレンドだろ。」
「あーもう。」和樹はベッドから降りて、ゴミ箱を抱えた。
「ありがとう、和樹。」
「ちゃうわ。ほら、俺がこのように持っていてあげるから、中を漁るがいい。」
「やだよ。」
「おまえ犬だろ。ここ掘れワンワンだろ。」
「今それ言うのは卑怯だ。」
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