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第896話 狐火 (3)
和樹は小さく喘ぎながら果てた。ひとりでする時はあっという間に終わってしまう。涼矢がいれば何時間でも快感をむさぼり続けられるのに。ピアスもバイブも所詮涼矢の依り代に過ぎないのだと思い知らされる。どんなに強い刺激を与えたところで、実体がそこになければ虚しい。
愛されているんだろう、と思う。それは疑わない。こんなに離れていてもそう信じられる自分は幸せなんだろうとも思う。それでも、今、この瞬間に涼矢の腕の中にいられないことは淋しく、もっと言えば悔しい気さえする。
――腕の中、か。
付き合いだして二年。それ以前の自分なら信じがたいことだが、当たり前のように涼矢を受け入れている。自慰の際の想像ですら自分が「挿入する側」でなくなったのはいつからだろう。もちろん、「そっち」を望めば涼矢は必ず「いいよ」と言うし、挿入すれば相応の快感はあるし、涼矢だって気持ち良さそうに見える。ただ、バイブの挿入には抵抗を示した。その理由が「和樹の形だけを覚えていたいから」などと言われれば、文句の言いようもない。
ではバイブを使うたび、涼矢の形を忘れてしまうのだろうか。もう何度か利用している。最初の頃にはあった羞恥心もほぼない。そこに挿入されるものが指だろうがプラグだろうがバイブだろうが大差ないと思うようになった。仮に涼矢がオナホールを使ってると聞いたってどうとも思わない。マスターベーションはマスターベーションに過ぎず、射精そのものは排泄行為でしかない。そう言えるのなら今の自分の行為は前立腺に物理的な刺激を与えただけのことだ。それによって自分の体の奥深くに刻まれた「涼矢の形」が変えられたりはしないはずだ、と和樹は思い込もうとする。
バイブの刺激は、決して涼矢の挿入の代わりにはならないのだ。涼矢なら、その指先で優しく愛撫されるだけで、あるいはその体温を感じるだけで満たされることだってあるけれど。
――涼矢がこの部屋にいる時は、気がつくと二人でくっついている。別にいつもいつも性的な意味で触れあっているわけじゃない。だらりとベッドに横たわって雑誌を読んでいる俺。同じベッドをソファ代わりにして座り、イヤホンで音楽を聴きながらテキストを広げている涼矢。そんな風にお互い会話もせずに過ごすこともよくあるけど、ひとつしかないセミダブルに人並み以上にでかい男二人でいれば自然と体のどこかが触れるのは当たり前で、俺の足に涼矢の足が乗っかっていることもあれば、俺が涼矢のあぐらを枕にしていることもある。そのたびにいちいち性的に興奮していたんじゃさすがに身が持たない。
それでも、そんな時間は何にも替えがたいほど愛しいのだ。これといったこともせず、ただ二人で過ごす時間が。
二人で暮らすようになれば、そういった時間の有り難みも薄れてしまうのだろうか。そう自問自答して、そんなことはない、と和樹は思った。ついでに、バイブを使ったからって涼矢のペニスの「有り難み」が失せるわけでもないだろうとも思い、その直後に自分の考えていることの馬鹿馬鹿しさにひとり苦笑いをした。
それから間もなくして大学は試験期間に突入した。涼矢の大学と年間のスケジュールはさほど変わらず、二人の日々の定時連絡も短い時間で切り上げるようになっていたが、どんなに短時間であれ短いメッセージであれ、毎日のコンタクトを欠かすことはなかった。
――あいつも毎日まめに連絡してくれるよなぁ。
遠距離恋愛を乗り越える覚悟があると伝えたくて、「毎日電話する」と言ったのは自分で、涼矢は「電話は苦手」とそれを拒否したはずだった。蓋を開ければほぼ毎日涼矢のほうから連絡が来る。涼矢が通話放題のプランに入っているから、というのが理由ではあるが、そうでなくても涼矢はきっとそうしていただろうと思う。
――意外とあいつのほうが淋しがりなんだよなあ。
一人でも平気という顔をしているくせに、実際に淋しいと口に出すのは涼矢のほうだ。上京する前日にしてもそうだった。もちろん自分も淋しくはあるが、そう涼矢に先手を打たれると、淋しがらせないようにしなければと思うのが先に立つ。そう思っているうちは自身の淋しさは感じないで済む。
他人に心から「大丈夫だ、心配するな」と言う時は大抵自分も不安な時だ。励ましの言葉は、本当は自分に言い聞かせている。
――もしかして涼矢はそこまで予想してわざと「淋しい」などと言うのだろうか。俺の不安を少しでも解消しようとして。いや、それはさすがに穿ちすぎか。
ただ、涼矢に「俺達は大丈夫だよ」と言うと――実際に面と向かって言わずとも、そう心の中で思えば――本当に「大丈夫」な気はしてくる。
やがてその試験も全日程が終わる。この試験は三年次への進級がかかっていたが、留年の心配はない程度の結果は出せたと思う。正直、高校時代よりよほど勉強した。周囲の友人と比べてみてもかなり真面目に取り組んだと思う。教職課程の分、それを取っていない友人よりも詰め込まねばならない内容が多いせいもあるが、第一には涼矢の影響が大きい。水泳部時代のように、涼矢と肩を並べていられる人間でありたいという気持ちが、今の和樹の原動力になっている。
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