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第897話 狐火 (4)

「やーっと終わったな。なあ、飲みに行こうぜ。安い居酒屋見つけたんだ。」  最後の試験の教室には同じ講義を受けていた渡辺海もいた。 「だから俺、まだ未成年だって。」 「でも、もうすぐ誕生日だろう。平気じゃない?」 「だーめ。」 「真面目か。」  そう茶化す海に、和樹は言う。 「初めての酒はあいつと飲むって決めてんの。」 「へえ。」  海は小さく口笛を鳴らして冷やかした。 「どっちにしろ、この後はバイト入ってるし無理だよ。海は琴音ちゃんとは会わないの?」 「彼女は明日まで試験。」 「ああ、だから俺か。」 「やーだなあ、男友達との交流と彼女とのデートは別モンだろ? 俺、そんなに恋愛脳じゃないよ?」 「そうか? ちょっと前まで彼女欲しい欲しいばっか言ってたけどな。女なら誰でもいいってな勢いで。」 「誰でもいいとは言ってない。一応きれいどころだけに絞ってた。」 「なんでおまえが選べる立場みたいに言ってんだよ。」  和樹は笑って海をこづく真似をした。 「選ぶのは自由だろ。選ばれるかどうかは相手次第だけど。」  海も笑って言う。 「まあ、確かにそれはそうだ。」  その論法で行けば、自分は涼矢に「選んでもらった」のだ、と和樹は思う。選ばれたことで始まる恋もある。……というか、今までいつもそうだったかもしれない。綾乃の時はどちらが告白したというのでもないが、お似合いの二人だと周りから囃したてられてくっついた。その前のミサキは向こうから声をかけてきた。自分から好きになって積極的に「選んだ」のは中学時代の告白相手だけだ。ただし彼女には選ばれなかったけれど。好きな人に好きになってもらえるなんて奇跡だ、宏樹のそんな言葉も思い出す。 「琴音ちゃんとはうまくやってる?」  本音を言えば彼らの進展になど大した興味はないが、社交辞令的に聞いてみた。 「うん、まあな。可もなく不可もなく。」 「歯切れ悪いな。」 「悪くはないよ。試験中は連絡するのやめようってことにしたから、ここんとこしゃべってないけど。」 「へえ、真面目か。」  和樹の意趣返しにも海は特に動じない。 「こんなもんだっけなあ、って思う。」 「こんなもん?」 「彼女ができたら、もっとウキウキわくわくすると思ってたし、一日でも会えなきゃ淋しいってなるかと思ったのに、割と平気なんだよな。」 「そりゃおまえ、試験が終わったら会えるって約束があるからだろ。次はいつ会えるか分かんないなら、ドキドキするかもだけど。」 「和樹はドキドキしてんだ?」 「へ?」 「遠距離はさ、そういうの不安だろ。次いつ会えるとか。」  ヤブヘビだった、と後悔したが後の祭りだ。 「次に会う約束はしてるよ。だから不安ではない。」とりあえずそう答える。答えながら、自分に言い聞かせている言葉だな、と自覚する。「ただねえ、やっぱスパンが長いからな。会うといったら、二、三ヶ月に一度がせいぜいだから。」 「だよな。ほんと、ようやってるよ。……でも、二、三ヶ月に一度でも、年に一度でも、会えるんだから。……大事にしなきゃな、お互い。」  海がニッと口角を上げる。  海の言葉の意味は分かる。彼の脳裏には、もう二度と会えない幼馴染みのことがあるのだろう。海の母親が口走った名前は確か「あーちゃん」と言っただろうか。 「すごく聞きづらいこと、聞いていい? 答えたくなきゃスルーでいいから。」  和樹が言う。 「な、なんだよ、怖えな。」 「あーちゃんだっけ。おまえの、昔の。」 「え、なんで名前……。」 「海ん()行った時、おまえのお母さんがそう呼んでた。」 「よく覚えてるな、そんなの。で、あーちゃんが何。」  海が不快な表情を浮かべていないのを確認して、和樹は続けた。 「今はもう、辛くない? 思い出すこととか。」 「あー。どうだろうな。」海は顎に手をやり、うっすらと残る無精髭をさするような仕草をした。おしゃれで伸ばしているのではなく、単に文字通りの「無精」をした、というような、不揃いでまばらに生えている髭だ。「思い出すだけで泣けてくるとか、そういうのはもうないかな。」 「前はそうだったんだ。」 「そりゃあな。なんでもない時にも涙出てたりしてびっくりしたわ。最初はウワーッてとにかく泣いたけど。悲しいっつうよりムカついてさ。なんであゆみが死ななきゃなんないんだとか、なんで入院している間に会わせてくれなかったんだとか、なんで俺だけ生きてるんだとか、とにかく、何もかもムカついて。その後は魂の抜け殻みたくなって、何の感情も湧いてこなくなった。その時期が結構長かったかな。今はもう、そういうのはない。会えて良かったなって気持ちのほうが大きい。なんて言うのかな、とにかく、ありがとなーって感じ。」 「そっか。」 「うん。」 「あゆみちゃんっていうんだ?」 「ああ、うん。」 「琴音ちゃんにはもう話したの、あゆみちゃんのこと。」 「ざっくりとはね。琴音ちゃんもあの時のおふくろの言葉が気になってる風だったから、昔好きだった子がいて、その子はもう死んじゃってて、そのせいで俺がすげえ落ち込んでた時期があったんだって話はした。それ以上は彼女もいろいろ察してくれてて、聞いてこないから。まあ、そのうち話すかもしれないし、話さないまんまかもしれないけど。」 「そうか。」

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