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第898話 狐火 (5)
「で、俺からも聞くけど、なんでそれを今、俺に聞いたの?」
「あ、ごめん。」
「いや、別に気を悪くはしてない。和樹がそんなん聞いてくるの珍しいから。」
「あー。えっと、彼氏がね、海と似たような経験してるから。うーん、似たようなって言い方は違うか。」
「身近な人を亡くしてる、みたいなことか?」
「うん。小六ぐらいの時、憧れのお兄さん的存在がいたらしくて。大学生って言ってたかな。」
「今の俺達と同じくらいか。その人も病気?」
「いや……。」
ただでさえ当人の許可なく第三者に情報を伝えることを嫌う涼矢だ。その中でも、この話は特に慎重に扱うべき内容に違いなく、軽率に話すつもりはない。和樹が迷っていると海が話し出した。
「まあ、二〇代の死因の第一位ったら、あれだよな。」
「えっ。」
「自分で、ってやつ。」
海がはっきりと自殺という単語を使わないのは和樹への配慮だろう。そうと分かると、和樹は海になら話してもいいのではないかという気になる。がさつでデリカシーのない男だとばかり思っていたが、「あーちゃん」や殉職したという実の父親の話を聞いて以来、それは海のごく一面に過ぎないことを知る場面が増えた。「あいつはこういう奴だ」なんて、人をひとつの枠に当てはめることなど、そもそもできないのかもしれない。哲にしろ柳瀬にしろ、つきあいが深まればそれだけ多面的に見えてくる。――涼矢がその筆頭だ。
「そうみたい。ただ、小学生だったから、はっきりとは教えてもらえなかったらしいけど。」
「そうか。それは辛いよな。病気だって事故だって辛いけど、自分でそうした人の場合はさ、残された人間にとっては仕方ないって言えるもんがないから。」
「仕方ない……?」
「病気はさ、現代の医学じゃどうしようもなかったんだから仕方ないって思うこともできるけど。……いや、もちろんそれだって、そう思える境地になるにはそれなりに時間はかかるよ。それでも、自分のせいじゃない、寿命だったんだとは……そういう意味での気持ちの持って行き場はある。けど、自分で死を選ばれちゃったら、周りの人間はなかなかそうは思えない。どうして気付いてあげられなかったんだろう、助けてあげられなかったんだろうって自分を責めるところから逃げられない。」
淡々とそんな話をする海の視線は和樹から外されていて、何かを思い出しているように見えた。
「そういう人もいたの? おまえの周りに。」
「えっ?」海はそこでやっと和樹を見た。「いや、いない。つか、直接の知り合いにはいなかった。ただ、あゆみのことがあった後、いつまで経っても気持ちに収まりがつかなくてさ、そういう、手記っていうの? 家族を亡くした人が書いた本を読んでた時期があった。みんなどうやって乗り越えたんだろうって気になって。そしたら、そんなようなことが書いてある本があったから。」
「そうなんだ。なんて本?」
「いやあ、忘れたなあ。家に帰れば分かると思うよ。読んだ本のタイトルは日記に書いたはずだから。」
「日記。」
「笑うなよ。」
「笑ってねえし。」
「ガラにもねえって顔してるじゃんか。」
「してねえよ。意外だけど。」
「誰にも話せなかったから、日記書いてたんだよ。今は書いてない。」
「そっか。」
「和樹の彼氏もさ、おまえがいてよかったな。」
「は?」
「大事な人が死んで、悲しかったって気持ちを話せる相手ってことだろ?」
「ああ、まあ。でもあいつの場合は、親も知ってた人だし、一人で抱えてたわけでは。」
話しながら、それは違う、と和樹は思う。涼矢は一人で抱えていたのだ。「渉先生」の死を悼む気持ちを共有できる相手はいただろうが、その彼が涼矢にとってどういう存在だったか、その死がどういう意味をもたらしたのかまでを理解していた人はいなかったはずだ。
「俺はおまえや琴音ちゃんがいてよかったよ。うちもあゆみのことは親も知ってる話だけど、大人は、早く忘れろとか、そうでなかったらあの子の分まで頑張れとか、そういうことばっか言ってくるわけ。こっちがこどもだからって、単純に悲しんだ後は単純に立ち直れると思ってる。でも、違うんだよな。」
「こどもだからって傷つかないわけでも、何も感じないわけでもない……。」
「そう、それ。」
海が「それ」と同意するセリフは涼矢に言われたことだ。
「俺に話せて、よかった?」
「ああ。俺もそうだし、彼氏もそう思ってると思うよ。」
「じゃあ、少しは役に立ててんのかな。」
「彼氏に?」
「うん。俺より何でもよくできる奴だから、俺の存在価値ってどうなのよってね、最近落ち込んでみたりしてたわけ。」
「へえ。」海はニヤニヤと笑い、和樹の肩を叩く。「おまえでも落ち込むことがあるんだなあ。」
「おまえってそういうとこあるよな。」和樹は苦笑いしながら、海を指さした。「そういう時だけやたら嬉しそうにしやがって。」
「ははっ。せいぜい彼氏に慰めてもらえ。俺は琴音ちゃんに慰めてもらうから。」
「うっせえよ。」
そんな会話を最後に、大学は春休みに入った。
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