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第126話 Only you(14)
「ホント素っ気ないよね。倉田さんと哲がうまく行けば、よそに余計なちょっかい出す心配もなくなるし、いいことじゃない?」
「倉田さんが既婚者である限りは、2人の気持ちがどうであろうと、いいこととは言えないんじゃないの。」
和樹は目を見開いて、涼矢をまじまじと見た。「初めてだね。今まで2人のことはどうでもいい、好きにすればいいって感じのことしか言わなかったじゃない?」
「今でもそう思ってるよ。俺には関係ないもの。ただ、2人が心から愛し合ってるとして、それが社会的に承認されることなのか?って言ったら、結婚してる人が奥さん以外とつきあったらモラルには反してるわけでしょ。」
「でも、奥さんにも恋人いるわけだし。」
「それは、当人たちが納得しているから問題になってないってだけでね。どちらかの気が変われば、結婚してる事実を無視はできないだろ。愛し合う気持ちさえあればいいって言うなら婚姻制度なんて最初から要らないんだしさ。」
「哲ときちんとつきあうなら離婚しなきゃだめってこと?」
「それもひとつの責任の取り方ではあると思うけど、同時に偽装でも結婚するメリットを一方的に破棄することにはなるよね。奥さんが、これまで通り哲とつきあってもいい、でも離婚はしたくないと言ったら、相当揉めることになるだろうね。で、離婚成立したところで、倉田さんが偽装結婚してまで守ってきた社会的地位を失う可能性も充分にあるし。」
「……どうしたらいいんだろうな。」
「さあね。」
「あ、またヒトゴトモード。」
「ヒトゴトですもの。」涼矢は和樹の鼻を軽くつまんだ。「俺は自分のことで精いっぱいで、あいつらのことまで考えてやる余裕ねえよ。」
「余裕あるっしょ。俺ら、超ラブラブじゃないですか。揺るぎない愛情で堅く結び付いてるじゃないですか。」
「そうなの?」
「違うの?」
「そうなんだ。」
「そうなんだよ。」
「へえ。」涼矢は笑った。
「何それ、馬鹿にしてんの?」
「してないよ、嬉しさを噛みしめてるだけ。……さて、さすがにそろそろ返事しないと。またうるせえから。」涼矢は赤い頬でスマホに目を落とし、何やら入力した。
「なんて返事したの?」
「お疲れさまでした。」
「わあ、ザ・ヒトゴト。」
「他に何て書くんだよ。」
「いろいろ大変そうだね、こっちは幸せだけど、とか。」
「それのほうがひどいだろ。」
「ははは。」和樹は部屋着を着て、冷蔵庫からコーラを出してグラスに注いだ。自分ではアパート下の自販機で500mLのペットボトルばかり買ってしまうが、涼矢に不経済と叱られて、スーパーで2Lのペットボトルを買った。涼矢に確認することなく、もうひとつ、マグカップにも注いだそれを渡そうとして、涼矢も着替えていたからテーブルに置いた。着替え終わった涼矢は、何も言わずに、当たり前のようにそれを飲んだ。コーラを入れてくれた和樹のほうを見もしない。また、スマホで哲の相手をしているようだ。
だが、和樹はそんな涼矢の態度に腹が立つどころか、愛しさを感じていた。当たり前のようにコーラを注いでやり、当たり前のようにそれを飲む。そんな他愛ない一連の行動が許されるのは、ある意味「家族」にも近しい存在になれたことの証のように思われた。
そう思った矢先に、涼矢が顔を上げ、「やっぱり哲が俺の連絡先、おっさんにバラしてた。あいつ個人情報保護の観点がねえな。」と言った。
「涼矢も哲の住所、倉田さんに漏洩してたけど?」
「……。」珍しく涼矢が言葉に詰まる。
「ま、いいんじゃないの。」
「いいけどさ。おまえの連絡先は絶対おっさんに言うなって釘刺しておいた。」
「おまえが倉田さんに嫉妬するなら、俺は哲に嫉妬すべきだよな。2人だけで連絡取らないでよ。」和樹はわざとからかうように言った。
「あいつは同級生で、一緒にワークもしなきゃならねんだから仕方ねえだろ。おっさんとは条件が違うだろ。」
「アタシの彼氏ってぇ、束縛がひどくてえ、ほかの男の人と話すだけで怒るんですぅう。」和樹は裏声でそんなことを言った。
「束縛されるの好きでしょ。」涼矢が負けじと言い返した。
「アタシが好きな束縛は、その束縛とは違うんですぅう。」
涼矢が笑い出した。「開き直ったし。」
和樹は空いたマグカップを回収して、自分の空いたグラスと一緒に洗いはじめた。グラスももうひとつ、追加して買おうかなと思った。
次の日は、午後に和樹がバイトする予定の、塾の説明会があった。その時間帯に合わせて行くつもりだった美術館には行ってしまったし、涼矢はどう過ごそうかと考えていた。と言っても、説明会は2時間程度、移動時間を考えても3時間程度の留守に過ぎない。それこそ、勉強していればいいだけのことだ。和樹もそう思っているのだろう、特に涼矢に予定を聞くことはしない。午後になると黙々と説明会に出かける準備を始めた。当初Tシャツとジーンズを着込んだ和樹に、涼矢は、塾講師と言うからには、一応最初ぐらいは襟のあるシャツとチノパンあたりが無難なのではないかと言って、和樹は着替え直した。
「塾って、中学生対象だっけ?」と涼矢が尋ねた。
「小学生と中学生。」
「高校生はいないんだな?」
「いない。」
「ふうん。」
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