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第127話 Only you(15)
「ご安心ください。」そう言って和樹は笑う。
「何が。」
「女子高生に俺が狙われる心配してるんじゃないの?」
涼矢はムスッとする。「男女問わずだろ、おまえの場合。あと、中学生も分からないぞ。だいたい、インストラクターの時だって、小学生の女の子に好かれて。」
「あんなの、こどもの話だし。中学生だってガキんちょだろ。」
「哲は中1だってよ。」
「何が。」
「初体験。」
「……そんな話までしてるんだ?」
「あいつが勝手に言うんだ。」
「涼矢も教えてあげた? 初体験について。」
「言うかよ、馬鹿。」涼矢は和樹から目をそらした。
「……つか、ねえから。小中学生に手を出すようなことはしません。」
「その心配はしてない、手を出される心配をしてんの。」
「ねえわ。」和樹は苦笑して、玄関に行く。「んじゃ、お留守番よろしく。」
「コンビニぐらい行くかもしれない。鍵は持ってって。」
「ん、持ってる。」
「行ってらっしゃい。」
「……の、チューは?」
涼矢は少し照れながら、和樹にキスをした。「じゃね。」
和樹は後ろ向きで片手を上げ、出て行った。
涼矢は内側から鍵をかけると、振り返る。主のいない部屋はひどくガランとして見えた。他人とこんな風に1週間以上も密接に過ごしたのは初めてのことだ。親とだってここまでベッタリと過ごしたことは、記憶の限りでは、ない。今からそうしようと言われても、親が相手では全力で断るところだ。
和樹の匂いがする、と思った。この部屋に初めて入った時の印象だ。それが今では感じない。慣れてしまったのか、自分の匂いとブレンドされてしまったからなのかは分からない。ベッドに腰掛けて、枕を抱いた。それも同じだった。和樹特有の匂いが、和樹の持ち物からしなくなった。それは少し淋しくもあったが、自分が和樹と同化してきたことのようにも思えた。
涼矢は改めて部屋を見回した。狭い部屋だ。8畳ほどの部屋に、申し訳程度のキッチンと、狭いバス・トイレ。ここが今の和樹の生活拠点で、普段はたった1人でここで寝起きしている。自分なら別に平気だと思う。1人には慣れている。でも、和樹は違うだろう。涼矢は賑やかな和樹の実家の様子を思い出す。
――これだけたくさんの人たちが、ひしめきあって、ここで生活してんだな、俺だけじゃないんだなーって実感もする。
公園の階段上から見渡した光景を見て、そんな風に思うのだと和樹は言った。そうやって自分にハッパをかけないといられない日があるということだ。
和樹もそれなりにしんどいんだろうな。あいつは、孤独に慣れていないし……俺と違って。
そう思って、その次の瞬間に、そうじゃない、と思う。俺が慣れているのは、「1人でいること」であって、「孤独」じゃない。孤独に慣れることなんかない。初めて恋をして失ってから、和樹に出会うまで、俺は孤独だった。愛してくれる家族も、信頼できる友達もいた。でも、孤独だった。そのことに慣れたわけでも、平気だったわけでもない。今あの頃の感情を思い出そうとしても、うまく思い出せないけれど。思い出したくもないけれど。
涼矢は顔を上げて、壁の一角を見た。そこに自分が和樹にあげた絵を飾ってくれていたと言う。そして、日焼けを気にして、またしまいこんだと。あんなにズボラな和樹が、あんな絵を。しかもCG画で、日焼けしたなら再度プリントアウトすればいいだけで、そういうものなんだってことも伝えたのに、後生大事に。
今そこには何もない。何もない壁を見詰めて、涼矢は思う。
――おまえが思ってるよりずっと、俺はおまえが好きだよ。
それから涼矢は、おもむろに参考書をテーブルに並べ、勉強を始めた。……正確には、始めようとした。だが、ちっとも集中できない。何度も同じ文を読み返してしまう。意味が頭に入ってこない。和樹の気配を感じながらの勉強のほうが、はかどるようになってしまったらしい。少なくとも、この部屋では。
「はあ。」結局、シャーペンをテーブルの上に転がして、背後のベッドにもたれるようにして、目をつむった。目が疲れたわけでも、眠くなったわけでもない。意識が拡散してまとまらないのを、なんとかしたかった。
すると、スマホが鳴った。電話の着信だ。未登録の番号で名前は表示されないが、その番号の並びには見覚えがある。倉田だ。
「はい。」
――倉田だけど。
「ええ。」
――田崎くんさ、あの住所は親戚の家だって、先に教えてよ。向こう着いてからビビっちゃったよ、知らない叔父さん叔母さん出てきて。
「ちゃんとメールしましたよ。」
――それが遅いんだよ。帰って来てからだよ、そのメールに気が付いたの。
「知りませんよ、そんなこと。」
――まあ、とにかく。あいつから何か連絡あった?
「ありましたよ。」
―― ……で?
「だから、哲からの連絡なら、ありました。」
――普通、こう聞かれたら、その内容を教えるものじゃないのかな?
「あなたに教える義務はないと思いますけど。知りたければ哲に聞けばいいじゃないですか。」
――あいつが言わないから聞いてるんでしょうよ。
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