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第131話 幾望(1)
和樹はそんな涼矢の反応に、ほんの少しだけれど、今までと違う何かを感じた。違和感と呼ぶようなギクシャクしたものではない。涼矢から信頼されているのが伝わってくる。
最近はかなり縮小されてはいたけれど、常にどこかにあった涼矢による「気持ちの線引き」、それが消えたような気がする。涼矢のことだから一時的なものかもしれない。でも、一時的でもロックが解除されたなら、それは喜ぶべきことだと和樹は思う。さっき涼矢本人にも言われた通り、最近では随分と涼矢の扱い方を心得てきたのだ。
「さて、と。」和樹は、それまで涼矢にもたれかかっていた姿勢を正した。
「どうした?」
「ホッとしたら、腹が減った。」
涼矢は吹き出す。「何かと思えば。」
「何か食わせろ。」
「人にものを頼む態度じゃないな。……それに、あんまりないんだよね、食材。あ、そうだ。」
「ん?」
「回転寿司。」
「あー、行ってないな。」
「俺がごちそうする。そんな疲れるまで頑張った褒美に。」
「そんな、ただ説明会聞いただけなんだから。」
「いいって。その代わり、マヨ系ばっかり食うのはナシ。」
「食わねえよ。」哲の「マヨ軍艦」のエピソードを思い出すと同時に、哲と倉田の件がまたぞろ気になり始める。「その後の連絡、あった?」
誰からの、とは言わずとも、涼矢は答えた。「あった。」
「哲から?」
「両方。」
「どうなってんの、今。」
「うーん。」涼矢は外出着に着替え始めた。和樹は説明会の格好のままで出かけるだろう。
「うーん、って。何かあったの。」
「怪我、思ってたよりひどいみたいで。入院してるって。」
「ええっ。」
「あ、でも大丈夫。……だと思う。頭をちょっと切って、念のための入院だって。」
「そうか。倉田さんは?」
「病院にも行って、本人と話したって。いろいろ。」
「いろいろの中身を聞かせろよ。」
「俺、そういうの話すの、苦手なんだよ。和樹にも伝えておいてと言われれば、言うけど。」
「真面目だねえ。」
「どこまで話していいのか、匙加減が分からないだけ。話すとなったら全部言いたくなる。」
「全部言えよ。おまえに話せば俺に伝わることぐらい、倉田さんだって分かってるよ。」
「そういうもの?」
「え……。改めてそう言われると困るけど、そういうもの、なんじゃない、かな?」
「そっか。」涼矢は倉田との会話を思い出してみる。「ええと。倉田さんは離婚するつもりらしい。」
「はいっ?」和樹は大音量で驚いた。「もう、離婚話まで行ってんの?」
「奥さんにはまだ言い出してないようだけど。」
「いやいや、哲に。そう言ったの? 別れるって? 哲とちゃんと付き合うために?」
「うん。」
「哲は?」
「考えさせてと言って、保留。」
「自分が一途になるって言ったせいなのに、保留? ……つっても、そうか、そうだよな。やっぱ自分のせいで離婚ってなったら、ビビるか。」
「和樹もそう思うんだ。」
「え、違うの?」
「倉田さんも、同じようなこと言ってて。哲は、倉田さん一筋になると口では言ったものの、いざそのために倉田さんが離婚するとなると、責任を感じてひるんじゃったんだろうって。」
「そうなんだろ?」
「哲はそんなウェットな奴じゃないよ。」
「じゃあ、なんで保留。」
「おっさんがおっさんの癖に考えが足りないからだろ。」
「ふへ?」
「おっさんが離婚することによる哲のメリットって何だよ?」
「……え、そりゃあ、ほら、涼矢が言ってた、既婚者である以上はモラルに反する……とか、そういうのがクリアされるし、それに、倉田さんの本気具合が伝わるって言うか……。」
「あ?」涼矢は口を歪めて和樹を見た。
「何だよ、その、すげえ馬鹿にした顔。」
「最近おまえ、俺の表情、読み切ってるよな? 無表情で何考えてるのか分からないとか言ってたのに。」
「涼矢検定2級ぐらい? ……つか、今の流れで行くと、やっぱ俺を馬鹿にしてるって言ってるよね?」
「和樹は馬鹿にしてない、ただ、その意見がちょっと。」
「馬鹿な意見だと。」
「……。」涼矢は気まずそうに鼻の頭を掻いた。「お気を悪くしないで頂けるとありがたいんですが。」
「気分悪いに決まってんだろ。どこが馬鹿なわけ? 馬鹿な俺にも分かるように説明してくれよ。」
涼矢は観念したように、吐息をひとつつくと、語り出した。
「今の倉田さん夫婦は、少し特殊な事情とはいえ、それなりにうまくいってる。離婚したがっているのは倉田さんだけで、奥さんはそのつもりがない。それでも別れたいなら、奥さんから出される要求を飲む必要も出てくるかもしれない。奥さんがゴネて、それでも早急に離婚したいと思ったら、倉田さんは慰謝料やマンションも取られることになるかもしれない。会社にもいづらくなるかもしれない。そんな状態で、どうやって哲の面倒を見るの?
まあ、離婚は共有財産の分割程度で円満に成立したとしよう。倉田さんのマンションに哲を呼び寄せるなら、哲は大学を辞めなきゃならないよ。それは哲のためになるの?
倉田さんが会社辞めて今の哲の住む町に来て、一緒にアパートにでも暮らす?
哲はその時、親や叔父さんに何て説明するの?
そもそも、X県には何のツテもコネもない倉田さんが、そんなに都合よく田舎町で仕事見つけられる?
じゃあ今まで通り遠距離? あの2人が遠距離でうまく行くと思う?
その上で改めて聞くけど、倉田さんの離婚による、哲のメリットって何?」
「……。」和樹は涼矢を睨むように見つめた。が、言い返せない。
「それとさ。哲はすげえ優秀な奴なんだよ。」
「それは聞いた。」ぶすっとした表情のまま、和樹がぶっきらぼうに言う。
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