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第903話 月影 (5)

「そこは人それぞれですよ。一人でもきちんと出来る人は出来るでしょうけど、僕はわがままかつ横着者でルーズなんでね。大学出てすぐ一人で暮らし始めたんですが、家事は何もできなくて部屋はとっちらかっているし、会社ですら遅刻は日常茶飯事だし、ひどいもんでした。その上、煙草も吸えばお酒も飲んで、一人だとセーブもできないからその量もどんどん増えて、体調もどんどん悪くなる。」  部屋のくだりで一瞬自分と同じだと共感しかけた和樹だったが、葬儀の際に上がらせてもらった久家の家を思い出すと腑に落ちない気分になる。インテリア雑誌に出てくるような部屋でなかったのは確かだが、二人して小嶋の母親の介護をしつつ塾講師の仕事をこなしていたにしては、充分に整理整頓された住まいだったと思う。たびたび病に倒れる小嶋が、家のことも久家の体調もすべて管理していたとも思えない。 「でも、誰かいてくれれば大丈夫なんです。その人に何もかもやらせるってわけじゃないですよ?」  考えていたことが顔に出ていたかと焦り、和樹はウーロン茶を飲んでごまかした。 「他人がいれば、やっぱり少しは気にするじゃないですか。こんなね、丸めたティッシュはそこらの床に放っておかないでゴミ箱に捨てなくちゃ、とか。」 「え、そのレベルですか。」和樹は思わず声を上げた。「あっ、すいません」 「そのレベルだったんですよ。お恥ずかしいことに。だから、一緒にいてくれる人というのは、僕が好かれたい相手じゃないとダメ。どうでもいい相手とのルームシェアだとね、嫌われるのが怖くないから治らない。見栄を張ってでも好かれていたい相手がいて、やっと、ゴミをゴミ箱に捨てることができる、そういう自分に甘い人なんですよ、僕は。」 「……よかったです、小嶋さんいて。」  久家は口に手を当てて、少しばかりむせたように笑った。 「だよねえ、本当に。一人のままだったら、そのうち、人と関わること自体が億劫になって、ゴミ屋敷で人知れず早死にしてましたよ。ま、それでも僕自身は自業自得でしょうが、家族なんかにも迷惑掛けることになるでしょ? もしかしたら近所の人や行政の人の手も煩わせるかもしれない。その点、大事な人がいてくれれば、相手のために少しは快適な場所にしようと思うし、相手に心配かけないよう、できるだけ健康を心がけた生活をしようって気にもなれる。お互いがお互いのセーフティネットになるっていうのかな。」  後半は分からなくもなかった。盲腸になった時、久家が即座に対応して、一緒に部屋まで来てくれたことがどれほど心強かったか。あの時の久家はいかにも頼りがいのある先輩で、それが生来のものではなく、小嶋との暮らしで後天的に備わった知識と経験によるものだとしたら、確かに「他人と暮らすこと」の価値はある。  そして、久家と小嶋はただ共同生活を送っているだけではない。 「あの、ひとつ、前からお伺いしたいことがあったんですけど。」 「どうしたんですか、改まって。」  隣に座る久家は苦笑しつつ椅子に座り直し、最大限和樹と向き合うような体勢をとった。 「養子縁組すると、やっぱり、違うもんなんですか? それ以前と以後とでは、何か変わりました?」 「ああ、なるほど。……ちなみに都倉くんの印象としてはどんな感じなの、養子縁組って。」 「えっと……入院した時に思ったのは、ああいう場で、保証人っていうのかな、書類にハンコ押して認めてもらえるのは身内だけなんだなってことでした。手術の同意もそうだし、あと、保険金とか? あの時は、兄が来てくれたので特に問題なく済みましたけど。入院に必要なパジャマ用意するとか、そんなのは一緒に暮らしているパートナーがいたらなんとでもしようがあると思うけど、そういう、書類関係のことは他人のままじゃ無理なんだと思って。久家さんも確か小嶋さんの病気がきっかけで。」 「うん、そう。」久家は突然スマホを取り出し、何やら操作し始めた。「あ、まずい。入籍記念日過ぎちゃった。」 「え。」 「ま、別に何をするということもないんだけどね。塾も忙しい時期だし。」  一番忙しいと言ってもいい時期だった。それでももうすぐバイトを辞めるという和樹のために時間を作ってくれたのだった。 「すみません、つきあっていただいてしまって。」 「いいんですよ。ここまで来たらもうあとはこどもたちの力を信じるだけですし。」久家は再度スマホに目をやる。そこはもう黒い画面があるばかりなのだが。「こんな忙しい時期に入籍したのもね、ヒデさんの体調が一気に悪化して、悠長なことを言っていられなくなったからで。その後すぐ手術して、入院して。半月ぐらいで退院できると思ったら合併症もあって、結局二ヶ月ぐらい入ってたのかな。やっと退院したその時ですよ、早坂が結婚式やるなんて言い出して、例のスーツ仕立ててくれてね。実のところ、彼は出歩くのもキツイ状況だったので、仕方なく普段着ていたスーツから型を起こしてもらいました。仕立屋さんには事情を話してだいぶ細身に修正して作ってもらったんですが、それでも写真撮影の時には既にブカブカでした。でも、それもひとつの願掛けで、これがまたぴったり合うようになるまで体調戻そうって三人で言ってね。」

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