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第905話 月影 (7)

「はい。長くつきあっている人と結婚したいなんて言ったら、男同士でどうして?と聞かれますよ。逆ですよね。それと、その結婚したい、にもいろいろあって、誰かの前で誓いを立てたいという人、これは結婚式を挙げたい、に近いですね。それからさっきの病院関係や保険金の受け取り、夫婦向けのアパートに住みたいといった特定の要望をかなえたい、という人もいます。これは自治体によってはパートナーシップ証明書で事足りるかもしれません。法律が深く関わってくるとしたら遺産相続、それとどちらかにこどもがいる場合は親権の問題。」 「親権?」  意味は知っているが、この話題でその単語が出てくるとは思わず、和樹は聞き返した。 「どちらかがかつて異性と法的に結婚していたとしますよ? こどももいて、別れて、シングルファーザーなりシングルマザーなりになったとするでしょう? やがて新しい恋人ができて、子連れで再婚した場合、お相手はその子の親権を持つことになります。でも、新しい相手が同性で婚姻関係を結べないとなると、それはできないんです。どんなに家族同然に暮らしていても、です。結婚の代わりに養子縁組すればいいじゃないかと言う人もいますが、それとこれとはやっぱりいろいろと違う。カップルごとに抱えてる事情も価値観も違うから、これが正解という答えが用意されているわけじゃない。ひとつひとつ考えて、話し合って、自分たちはどういう二人でいたいのかを、おそらくは男女のカップルよりも考えなくちゃならない。でも、逆に言えば、男女のカップルはそのあたりふわーっとしたままでも結婚できちゃうんだから、リスキーですよね。その意味で、二人でいろんな問題に立ち向かわざるを得ない同性カップルってのは、戦友でもあり同士でもあり、実に深い繋がりが持てるんじゃないかな、と思うんです。」  それこそが望んでいた関係だ、と和樹は思う。涼矢と恋人になったからと言って、「友達」や「ライバル」といった関係がなくなってほしくはないと思っていた。久家の言葉を信じていいなら、それらは両立するのだ。  同時に、それは同性にも限らないんじゃないかとも思った。脳裏に思い浮かぶのは事実婚を選択した佐江子と正継だ。あの二人がふわっと結婚なんぞするはずない。法の道に生きる彼らが法の裏付けを求めなかったからには、よほどの覚悟と決意があったはずだ。きっと何度となく、二人で言葉を尽くして話し合っただろう。どんな夫婦を目指すのか。どんな家庭を築くのか。「普通の恋愛」の延長線上にある結婚を選ばなかった彼らは、まさに戦友であり同士でもあるのだろう。 「都倉くんたちはまだ若いから、じっくり考えたらいいよ。」  前にもそんな風に言われたと思う。久家の年齢からしたら、自分はありあまる時間を持っているように見えるのだろう。でも、どうにも焦ってしまうのだ。あと二年かそこらで社会に放り出される。その時の自分の姿がどうありたいのかも、涼矢とどうなっていたいのかも、何も見えない。 「俺、自分のことで精一杯で……もちろん、ずっと一緒にいたいとは思ってるけど……。」  和樹はほぼ空になったウーロン茶のストローをよけてグラスに直に口を付け、残った氷を流し込むと、ガリガリと噛み砕いた。 「彼もきっと同じですよ。そういう気持ちが自然と分かり合えるのは、同級生の良さだね。うちは年齢は違うけど、入社は同期だったから、仕事で思い悩む時期も似てたし、だから一緒に起業しようって気にもなった。」 「同じ、だったらいいですけど。」 「まあ、そんな不安な顔しなさんな。なんとかなりますよ。ちゃんと会話してたらね。」  久家は最後にそう言うと、店員を呼んで会計を頼んだ。和樹が鞄をごそごそしだせば、要らないとばかりに首を振る。 「きみの送別会ですから。」 「いえ、そんな。払います。」 「学生バイトさんに出してもらうわけに行きませんて。ちゃんと塾の経費で落とすから。本当は、早坂や小嶋や森川くんも呼んでね、みんなで一緒に送り出してあげたかったって言ってたんですよ。」 「忙しいですし。」 「また落ち着いたらみんなでやりましょう。おじさんの相手もつまらないだろうけど、たまにはいいでしょ、そういうのも。人生経験だと思って。」 「はい、是非。本当に勉強になります。」  久家は満足そうに頷いた。  その翌日もバイトの日で、和樹は講師用の席の卓上カレンダーに目をやる。最後の出勤日まではもう何日も残ってなかった。  いつだったかハロウィンの飾り付けを手伝った室内は、今は「祝 合格 ◎◎高校」といった合格者の貼り紙で埋められつつあった。  和樹は急にここに来た頃のことを思い出した。  明生や菜月とも出会った。その菜月は他の進学塾へと移っていった。明生は順調に成績を伸ばして学校でも上位にいるようだ。和樹の受け持つクラスではなくなってから話すこともめっきり減ったが、ごくたまに涼矢伝いに近況を知ったりする。その涼矢との連絡も徐々に減ってはいるようだけれど。 「都倉先生。」  明生のことを考えていたら当の本人に声をかけられて、ビクッとなった。それが明生にバレてやいないかと様子を伺いながら振り返った。

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