140 / 1020

第140話 幾望(10)

「和樹、大好き。愛してる。」キスの合間に、涼矢は和樹に言う。 「うん。俺も。」 「どうしよう、すげえ好き。好き過ぎる。」 「うん。知ってる。」 「そこは、俺も、じゃないのかよ。」 「俺もだよ。」 「可愛くて仕方ない。」涼矢はそう言って、和樹の胸に自分の顔を載せた。和樹の心臓の音が聞こえる。「可愛いってさ、女の子扱いして言ってるんじゃないよ。」 「ああ。」和樹は涼矢の髪を撫でた。まだ少し湿っている。 「愛しい、って言えばいいのかな。」 「格調高いな。愛しい人よ。」 「でも、そうなんだ。愛しい。大袈裟っぽいけど、それが一番ぴったりくる。」 「うん。分かるよ。」和樹は涼矢の髪に顔を埋める。「俺も同じだから。」  はあ、と涼矢は息を吐いた。 「ため息?」和樹が言う。 「幸せのため息。」 「はは。」 「もうすぐ死ぬのかも。」 「何言ってんの。」 「幸せと不幸はおんなじだけあるって言うだろ。だったら、俺、もうすぐ死ぬ。今の幸せに値する不幸って死ぬしかない。」 「馬鹿なこと言うな。」 「だったら、腹上死がいいなあ。」 「やだよ。やめろよ。俺の上で死なれるのは困る。」 「……それもそうか。」 「つうか、死ぬとか簡単に言っちゃダメなやつ。」 「……そう、だね。」 「おまえのほうが分かってんだろ。」  具体的には言わずとも、2人の胸中に去来するのは、同じ人物だった。涼矢がまだ小学生だった頃、自死してしまった、涼矢の初恋の人。和樹はその男のことを、直接は知らない。同性への恋情を胸に、マンションから飛び降りた男。そう思うとかわいそうだと思う。涼矢にトラウマを植え付けた男。そう思うと腹が立つ。けれどきっと、その男の存在が、今の涼矢の大事な何か、を作っているのは確かだ。人を愛することの激しさと重さと。彼の死は、逆に涼矢に生きることへの執着をもたらしたと思う。彼の死の数年後、涼矢は再び恋をする。同性に対する二度目の恋は、涼矢を苦しめて、生きることを諦めさせようとまでした。そのギリギリのところから、涼矢は自力で戻ってきた。それはきっと、初恋の人の死が、遺された人にどれだけの傷を残したのかを涼矢が誰よりも知っていたからだし、彼の分まで生きていなくてはならないという義務感があったからだと思う。その時の涼矢を、海の底から明るい太陽の下まで連れて来てくれたのは、きっと初恋のその人だったと思う。 「俺だけ幸せになっていいのかなって思う時がある。」涼矢は静かにそう言った。「あの人は何も悪いことしてなかったのに。人を好きになっただけなのに。どうしてあの人が好きになった人は、和樹みたいじゃなかったんだろう。」その人が好きになったのは、同級生の男だった。告白して振られて、そのことを相手は周囲に吹聴した。それが彼の自死の、直接的な原因だった。 「それは俺には分からないけど。」和樹は答える。「おまえが幸せになっちゃいけないなんてことは絶対にない。……その人、カテキョの先生? その人さ、おまえに優しかったんだろ?」 「うん。すごく。」 「おまえにだけは、好きな相手のこと、話してたんだろ?」 「うん……俺まだこどもだったからね、逆に安心できたんだろうね。」 「可愛がってたんだと思うよ、おまえのこと。だからさ……なんだろ、分かんねえけど、おまえが幸せになったほうが、その人の供養になるんじゃないのかな。自分は傷ついて死んでったからって、おまえも不幸になれって思うような人には思えないんだよなあ。きっと、涼矢が幸せになった方が、その人も、死んだ甲斐があったと思うんじゃない? 俺がその人だったら、そう思う。」  涼矢はうつむいていたので、和樹からは見えなかったが、涙を拭う仕草をしたようだった。「先生は、和樹とは全然似てないんだ。」ほんの少し上ずったような声で、涼矢が言った。 「イケメンじゃないのか?」少しでも場を和ませようと、和樹はそんなことを言う。 「いや、イケメンはイケメンだったと思うけど。俺、既にメンクイだったから。」涼矢は少し笑った。「でも、和樹とは違うタイプかな。塩顔って言うの? あっさりした顔で。……って、別に顔が似てる似てないじゃなくて、性格的にね、似てない。大人しくて、ちょっと暗くて、友達少なそうな。」 「それ、まんま、おまえじゃない?」 「うん、そう……だから、なついた。こどもって、明るく元気な子が好かれるけど、俺はそうじゃなくて、もっと自分を出せとか言われるの苦痛で。でも、先生はそんなこと言わなかったし、先生みたいな大人もいるのが分かって、ホッとした。それでいて、勉強はできて、みんなから一目置かれてた。初めて見る、自分がなれそうなラインの先にいる、成功した大人だったんだ、彼は。今思うと、彼だってまだ学生で、大人というほどの大人でもなかったんだけど、俺からしたら充分大人で、彼みたいな大人になりたいと思ってた。」 「憧れの人、か。」 「そう。……和樹はさっき、俺がその人だったらって言ってくれたけど、彼は和樹みたいじゃないから、そんな風に思ってくれないかも。俺に似てるから、ねちねち相手を恨んで、みんなも不幸になれって思ってるかもしれない。」 「なんだ、それ。」和樹は笑った。「おまえ、そう思うの? 本当に? 自分に似た教え子に、自分が不幸だったから、おまえも不幸になれって?」 「好きだった人に裏切られて、1人で死んでいったんだよ。辛いよ。そのぐらい思ったって仕方ないだろ。俺は今は和樹がいてくれるけど、そうじゃなかったら、俺だって、周りの人みんな、ひがんで、恨んで死んでいくかも。」 「1人じゃなかっただろ?」 「え?」 「その先生だって、1人じゃなかった。おまえがいた。本当のことを話して、ちゃんと聞いてくれて、それでも自分のこと好きでいてくれた、おまえがいた。」 「……でも、助けられなかった。」 「おまえがまだこどもだった。それだけだ。先生もおまえのことは恨んでないよ。」 「そんなの、和樹には分かんないだろ。」 「分かんないよ。でも、おまえにだって分かんないだろ。死んだ奴の本当のことなんて誰にも分かんないよ。だったら、良いほうに考えてやればいいだろ。おまえの大好きだった先生が、大好きだった教え子の不幸なんか望むわけがないんだよ。自分の分まで幸せになってくれって思ってるよ。そう思っておけよ。」 「……。」 「仮に、万が一、おまえだけ幸せになるのが許せないってな、心の狭い奴だったとしても、今、ここで生きてるのは俺たちだ。死んだ奴見てないで、俺だけ見てればいいんだ。」  涼矢は和樹を見上げて、じっと見つめた。 「なんか文句あるか。」 「……ないです。」 「俺はあるぞ。せっかくラブホ来て、いちゃいちゃして、愛してるーって言い合って、超幸せを満喫してる時にだな、そういう、死ぬだのなんだの。」 「すいません。」 「俺のこと好きなんだろ?」 「はい。」 「幸せなんだろ?」 「はい、すっごく。」 「だったらそれでいいだろ。」 「……うん。」 「じゃ、リクエストするぞ。」 「はい?」 「プレイのリクエスト。」 「あ、はい。」 「ガンガンつっこんで。」和樹は涼矢の両頬を包むようにした。「俺のことだけ見て、俺をイカせることだけ考えて。優しくしなくていいから、他のこと考えないで、俺にだけ夢中になって。」  涼矢は一瞬目を見開いてびっくりした後、すぐに不敵な笑みを浮かべる。「なんだ、そんなの、いつも通りじゃない?」 「朝まで寝かすな。」 「分かったよ。」涼矢は、和樹に口づけた。

ともだちにシェアしよう!