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第908話 冬凪 (1)

――久しく見てないけどね。 「そのネタを引っ張るんじゃねえよ。」  涼矢はひとしきり笑ってから、話題を変える。 ――もうすぐ誕生日だけど、プレゼント渡すの、こっち来てからでいい? 「ああ、いいよ、もちろん。プレゼントは何?」 ――まだ買ってない。というか、何がいいか分かんないし、いっそ和樹が来てから一緒に買いに行くのでもいい? 好きなの買ってやるよ。 「相変わらずサプライズ感ねえな。」 ――サプライズがよかった? 「いや、いい。おまえのサプライズなんぞ恐過ぎる。っつっても、あんまり即物的なのもどうかと思うけどな。」 ――難しいな。 「おまえにゃ高等技術だな。ま、いいや、なんか考えておくわ。なんでも買ってくれるんだろ? 家でも車でも。」 ――ああ、買ってやる買ってやる。 「マジかよ。」 ――ほんとに俺に買って欲しいと思ってて、涼矢くん、おうちが欲しいです、買ってくださいってお願いしてくれたらね。  できる限り涼矢と対等であろうとする和樹が、そんなことを言うはずがなかった。 「そういうとこは性格悪いよね、君。」 ――欲しいもの買ってやるって言ってるのに、なんで性格悪いと言われなくちゃならないんだよ。 「ああ、はいはい。とにかく、常識の範囲内で考えておきますから。」 ――それと、銀婚式のこと。三月の連休に親父がこっち来るらしくて、その時に合わせようと思ってるんだけど、それまでいられる? 「平気、三月いっぱいは何の予定も入れてない。」 ――よかった。じゃあ、予定に入れといて。 「オッケー。」  涼矢との会話を終えると、和樹は早速スケジュール帳に銀婚式のことを書き込んだ。  スケジュール帳は昔ながらの手書きの手帳だ。大学に入った頃はスマホのスケジュール管理アプリを使っていたが、塾でのバイトを始めると早坂の前でスマホを出して入力する、ということが難しくなった。小嶋も久家も森川もアナログな手帳を使っていたし、生徒には塾内での使用を禁じている手前、一人だけスマホを使うのが憚られたのだ。  自分で書いた銀婚式、の文字に少しだけ緊張した。  涼矢の両親の祝い事に自分が参加するのは、自分が「涼矢のパートナー」だからだ。佐江子も正継も自分の存在のことは知っているが、そんなかしこまった場で「その立場」として彼らと向き合ったことはない。きっと受け入れてもらえるだろうとは思うが、自分の親には何一つ知らせていない状況で、どの面下げてノコノコやってきたのだと言われたら言い返す術はない。  間もなくして、和樹の誕生日当日がやってきた。ということはバレンタインデーであり、今年もまた数人の生徒からチョコをもらったが、やはり一番人気は久家だった。今もまた、連れだってやってきた二人の女子生徒それぞれからチョコを渡されている。 「なんで久家先生なの。」森川は女子生徒に単刀直入に尋ねた。 「えー、だって可愛いじゃないですかぁ。」 「可愛い?」 「丸くて、ニコニコしてて。」そう言うと久家が照れ笑いを浮かべ、更にキャーッと歓声が湧く。「ほら、ね、なんかマスコットみたい。」 「マスコット、ねえ。」森川は無遠慮にじろじろと久家を見た。「まあ、確かに丸くてニコニコはしてる、かな。」 「受験の神様だし。」もう一人の女の子が言う。「久家先生に教わったとこは試験に出るって。」 「僕が教えたとこだって出ますよ。」 「だってうちら文系だもん。」  森川がメインで教えているのは理数科目だった。 「文系だって数学は必要でしょうが。」 「数学きらーい。」 「うちもきらーい。」  数学教師にとっては残酷なそんなことを言い放ちつつ、少女たちは楽しそうに教室に戻っていった。それに続くように和樹が立ち上がる。教材を小脇に抱えたところで、森川に話しかけられた。 「あ、そういえばあの子たち、都倉先生も教えてますよね。」 「はい、古文だけ。次、その古文なんで。」 「都倉先生は彼女たちからもらいました?」 「もらってないですよ。久家先生だけじゃないですか。」 「文系なのに。」 「ですよねえ。まあ、俺は丸くもないし、受験の神様でもないですから。」 「そうですか。都倉先生でももらえないんなら仕方ないな。」 「なんなんですか、その基準。」  和樹は苦笑しながら教室に向かった。  そうして最後のコマを終え、記録をつけ、後片付けをしていると明生が寄ってきた。授業が終わってからは一時間以上経っている。自習室にいたようだ。 「誕生日ですよね。おめでとうございます。」 「あ、うん。ありがとう。……結局今年は明生だけだったなあ、それ言ってくれるの。」 「へへ。……でも、これから言ってくれる人はいるでしょ? あっ、もう言われた?」  和樹は反射的に周囲を見渡す。とりあえず誰かに聞かれている様子はなかった。そして、涼矢は日付が変わるなりハッピーバースデーを伝えてくるようなことはしない。「どうだろうね。いたらいいね。」万一聞かれても問題なさそうな返事をした。「もう帰る?」 「はい。」 「じゃあ、一緒に出よう。」  和樹はタイムカードを押し、外に出た。 「本当のこと言うと、少し前に菜月に言われて思い出したんです、先生の誕生日。」

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