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第142話 僕らの事情(1)
食事を終えると、涼矢は本の続きを読み始めた。
「他のも読む?」と和樹が聞いた。
本から目を離さずに涼矢が答えた。「明日までだろ。読み終わらないかもしれないから、やめとく。」
「そっか。」
「……俺が本読んでると、つまんない?」
「つまんないけど、いいよ。」和樹は涼矢を背後からハグして、肩越しに一緒に本を読むような姿勢になった。
涼矢は振り返る。「……重いんだけど。」
「それは我慢して。」
「気が散るし。」
「集中力の訓練。」
ふん、と諦めの吐息をついて、涼矢は再び読み始めた。
そこから静かな時間がしばらく続いた。すぐに飽きて離れるだろうと思っていたのに、和樹は、いつまでも涼矢の背中に貼りついていて、結局ラストページまで離れることはなかった。涼矢が本を閉じると同時に、やっと和樹が離れた。
「おまえさぁ、ホント重かったから。いいかげんに……」そう言いながら涼矢が振り向くと、和樹は目を潤ませていた。涼矢がさっきまで読んでいた物語の最終局面、そこには、主人公の苛酷な幼少時が描かれ、犯罪に手を染めるまで至る、悲しき経緯が書かれていた。それを読んだために、和樹がそんな顔をしているのは明白だった。「おまえこれ、もう読んだんだよな?」
「うん。2度目。」
「それで、その反応?」
「だって、すげえかわいそうじゃん、春江。」春江と言うのが、このミステリーの主役かつ、悲しき犯人だ。
「いや、ま、かわいそうだったけど……。」
「こういうの弱いんだよ。こどもがひどい目に遭う話と動物が飼い主と死に別れる話はホントに無理。」
「……俺はおまえのその、ピュアッピュアな感性に感動してるよ。」
「単純ですみませんね。」
「そんなこと言ってないし。」
「涼矢はこういうので感動しない? 絵を見て感動するピュアッピュアな感性があるならさ。」
「するけど、泣くほどではないかな。それに謎解きのほうに気持ちが行っちゃって。」
「そっかあ。どういうので感動して泣くかな、おまえ。」
「仲の悪い従妹の出産シーン。」
「いや、小説とか映画とかの話。」
「……『火垂るの墓』はテレビで見て泣いた。」
「あー、アレはな。タイトル聞いただけで泣きそう。」
「なんで蛍すぐ死んでしまうん?」涼矢が裏声で言った。
「マジでやめろ。」
「ドロップの缶に水を入れて、わずかな甘みをね……。」
「やーめーてー。」
「その缶に節子の骨をね……。」
「うわああああっ。」和樹は両手で自分の耳を塞いだ。
それを見て、涼矢がこらえきれずに笑い出した。
「あのね、ネタにしていい話じゃないから、アレは。」
「分かった分かった。」まだ笑っている。
和樹が少々機嫌を悪くしたところで、涼矢のスマホから振動音がした。涼矢はチラリとその方向を見たが、無視した。
「え、出ないの?」和樹が言う。
「それ、倉田さん。」
「名前出てないけど。」
「登録してないから。」
「でも番号見てわかるんだ。」
「ああ。」
「つか、出てあげなよ。」
涼矢が嫌そうにスマホに手を延ばすと、音が止まった。「残念。」
「全然残念そうじゃない。」和樹が笑った。笑ったところで、今度は和樹のスマホが振動したので、2人してギクリとする。特に涼矢は、哲に「倉田には和樹の連絡先を絶対教えるな」と釘を刺したはずなのに……と疑り深い表情でスマホを見つめた。和樹は画面を見る。電話の着信ではなかったらしい。和樹が「あ、ミヤちゃんだ。」と言うのを聞いて、涼矢は少し安堵する。その内容を聞く前に、再び涼矢の電話が震えた。
「はい。」涼矢はぶっきらぼうに電話に出た。
――オレ。
「うちの息子はケータイ番号は変えてませんし、事故も起こしてません。」
――どういう電話の出方なんだよ。
「知らない番号からアヤシイ声がしたので、てっきり詐欺かと。」
――いつもお世話になっております。倉田と申しますが。
「ご用件を手短にどうぞ。」
――なんでそんなに可愛くないかねえ。セックスの邪魔でもした?
「そう、今いいところだったのに。」
――昼間からお盛んなのは結構だけど、ちょっとひとつお願いがあってね。
「お断りします。」
――話ぐらい聞いてよ。哲のこと。
涼矢は溜息をつく。「聞くだけですよ。」
――哲、今、うちにいる。
「は?」
――昨日退院したって言うんで、つい、こっちに来いって言って、来させちゃった。きちんと話し合いたかったし。
「あんた、怪我人相手に、何考えてるんですか。」
――哲のこと心配してくれてありがと。元気にしてるから。
「それで?」
――まずは俺じゃなくて田崎くんと話したいって言ってる。できれば都倉くんも一緒に。
「なんで。」
――俺じゃラチが開かないみたい。と言うかね、俺も哲も分からないんだよ、きちんとしたおつきあいってのが。俺と哲で話しててもどうも悲観的な未来しか。
「俺と話しても悲観的な未来ですよ。」
――そう言わずに。
「だとしても、哲が直接言えばいいのに。なんであんたからそれ聞かされなくちゃいけないわけ。」
――あいつのお達しだよ。俺がきみに嫌われてるの知ってて。……まあね、第一の関門ってところだよね、これからいろんな人を敵に回すかもしれないし、説得もしなくちゃならないわけだから。
そんな倉田の言葉で、涼矢の脳裏にはエミリの姿が浮かんだ。
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