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第911話 冬凪 (4)
「両家の親に挨拶したのが二五、六年前。」
「挨拶はしたんだ。」
「したした。ドラマみたいだったよ、二度と敷居をまたがせないとかね、本当に言う人がいるんだぁ、ってびっくりした。」
「誰がそんなこと。」
「うちの弟に決まってるじゃない。親は何も言わないのに、変な話よね。」
「反対されたんだ?」
「してないよ、ポーズよポーズ。家長ぶりたかっただけなの、あの子は。」
「父さんの実家は?」
「特に何も。ただ、あなたが生まれた後も籍を入れてないって知った時には、ちょっとお小言言われたみたいね。私に対して申し訳ないってことでね。でも、両者合意でそうしてるって説明したら分かってくれたよ。田崎の家は、話の筋道が通っていればあっさりしてるから。」
「あまり交流もなさそうだよね。」
「そうね。もともとそうベタベタした親戚づきあいはしないうちだけど、それでも昔はもう少しは集まることもあったかな。義国くんが生きてた頃は、良くも悪くもなんとなく彼の話で間がもったのよ。それもなくなってからは共通の話題もなくて、ますます疎遠になっちゃった。」
義国叔父さん。時折ふらりと帰国しては、外国の香りのするお土産をくれた。幼い涼矢を一人前の青年のように扱いながらも、自身はこどものようにくるくると表情を変え、外国暮らしで出会った素敵なもの、おもしろい出来事を語り聞かせてくれた。お堅い公務員の多い田崎の家では若干浮いていたというその叔父に、どこかシンパシーを感じてもいた。
「あのアーティストの人、元気かな。」
「えっ?」
「叔父さんのお葬式に来てた外国人。クリスマスカードのやりとりぐらいはしてるって父さんが。」
「ああ、彼ね。」佐江子は立ち上がり、戸棚の引き出しを開けた。そこには今年届いた年賀状の類がきちんと整理されている。何かを探しながら佐江子が言った。「彼にこどもがいることは?」
「養子が二人。ヨシュアとコニー。」
「お父さん、そんなことまであなたに話したんだ?」
佐江子は封筒を差し出した。涼矢が中身を取り出すと、手描きのイラストの入ったカードと、写真が入っていた。二人の男性と二人の子供が、それぞれの肩を抱き、頬を寄せて笑っている。
「どっちの人だっけ。顔、覚えてないや。」
「赤いセーターのほうよ。お葬式の時よりはだいぶ恰幅がよくなってるね。」
「幸せそうだ。」
「ええ、でも、パートナーは途中で変わってるの。」佐江子は笑った。「前のパートナーと別れたあとも一人で二人の子を育てて、去年、いや、一昨年だったかな。その写真の人と再婚して。」
「へえ。」
「でも、前の人は仕事のパートナーでもあるから、今も友達づきあいはしてるみたい。しかも、その子たちとの実のママたちとも交流があって、みんなファミリーなんだって。」
「ふうん。」
「納得いかない顔ね。」
涼矢は返事をせずにカードと写真を封筒に戻した。
「一生ただ一人の人と添い遂げたい?」佐江子が問うた。
「へっ? ……いや、別に、それは、人それぞれだし。」
「その通りね。で、涼矢は?」
「……考えたことないよ。」
「今は一人しか目に入らなくて考えたこともない、か。」佐江子は笑い、涼矢がテーブルに置いた封筒を元の引き出しに戻した。
涼矢は何か反論すべく口を開くが、出てくる言葉はなかった。
「私もだよ。」佐江子は背中で引き出しを押して閉め、そのまま戸棚によりかかる姿勢で涼矢を見た。「私もずっと、一人しか目に入らなかった。」
「過去形?」
「現在形。」
「親ののろけとか。」
「いがみあうよりいいでしょう?」
「そりゃね。……じゃあ、いいよな、銀婚式ぐらいやったって。」
「銀婚式って何するの?」
「正式に何するのか知らないけど、俺はただ、メシ食って、記念写真でも撮ったらいいかなって。……結婚式してないんだから、その、ちょっとはましな格好つうか、ドレスみたいなの、着て。」
「ドレスぅ?」佐江子は心底驚いた風に大きな声を上げた。「ないない、そんなの持ってないし。いいよもう、こんな年で。笑われるよ。」
「笑わないよ、誰か呼ぶわけじゃないし。」
「三人で写真館? ドレス着て?」
「……期待すんなよ、場所はアリスさんの店だよ。あそこでごはん食べて、その場でカメラマンの娘さんに頼んで写真撮ってもらう。それだけ。だから、アリスさんや娘さんやいつもの店のスタッフはいるけど……。」
「こっちは、お父さんと私と涼矢?」
「あー。うん。それと……。」
佐江子は何か思いついたように眉を跳ね上げた。「都倉くん?」
「……でき、れば。嫌じゃなかったら。あの、それは、ついでに成人式の写真撮ろうかっていう話で……別に、深い意味はないから。」
「深い意味。」佐江子は戸棚から離れ、スタスタと歩き出した。涼矢の前を通り抜け、ダイニングテーブルの椅子に座ると、手招きで涼矢を呼んだ。涼矢はおとなしくそれに従い、佐江子の前に座った。
「あいつ、正月に帰省してなくて、成人式も出てないから。」
言い訳がましい口調だ、と自分でも思う。実際、言い訳だった。
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