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第912話 冬凪 (5)
「それ、彼は承諾してるの?」
「一応。」
「単なる会食じゃないってことも?」
「説明した。」
「あのね、涼矢。」佐江子は肘をつき、ひとつため息をついた。「私は構わないよ。彼が納得していて、来たいと思ってくれてるなら是非来て欲しいと思うよ。でも、ついでだとか、深い意味はないとか、あなたが言っていいの? 大した意味もなく呼んでいい相手なの?」
「……。」涼矢はうつむいた。まただ、と思う。毎度のことながら、佐江子は自分の痛いところを突いてくる。曖昧にしておいたほうが傷つけないだろうと誤魔化すための言葉も、気遣いのつもりの事実とは異なる言葉も、佐江子には通用しない。母親を傷つけたくないのではなく、自分が傷つきたくないだけのことだと思い知らされる。
「あなたが私たちの銀婚式しようなんて言い出すとは思わなかった。嬉しいよ。嬉しくてたまんないわ。母親冥利に尽きる。これは本当。」涼矢の顔を覗き込むようにして、佐江子が言う。「でも、涼矢がそんな風に思ってくれたのは、彼がいたからじゃないの?」
「あいつに言われたわけじゃないよ。」
「そうじゃなくて。彼とつきあう前のあなただったら、そんなこと思いついたかってことよ。」
「……。」
「まあね、あなたの気持ちはあなたのものだし? 勝手な憶測でとやくかく言うつもりはないけど、こんなこと、気軽にホイホイやるようなタイプじゃないでしょ、涼矢は。それなりに真面目に私たちのことを考えてくれた末のことだと思ってるんだけど、それは親の欲目なのかね。」
「悪いけどそう真面目に考えたわけでもない。ただ、東京行った時、ディズニーランドに行こうって話になって、小さい頃によく連れてきてもらったなって思ってるうちに花嫁のベールみたいなカチューシャ見かけて……そういや銀婚式だって言ってたなと思って。」
「なるほど、ディズニーランドか。そう言えば行ったね、何度か。私と田崎さんの数少ない共通の趣味だったし。」佐江子は過去を懐かしむように少し遠い目をしたかと思うと、はたと涼矢に向き直る。「ああ、そうか。旅行ぐらいだものね、家族らしいことしたのって。普段は夫婦別居だわ、あなたの世話はシッターさん任せだわで。夫婦らしいことも、親子らしいこともしてこなかった。」
「そうだけど、別にそれが嫌だと思ったことはない。」
佐江子はぷっと吹き出すように笑った。「あなたは良い子だよ、ほんとに。」
「良い子としては、いっぺんぐらい親孝行してみようかと思ったってだけ。」
「で、銀婚式?」
「そう。」
「息してるだけで親孝行だけどね。」佐江子は頬杖をついて涼矢を見た。「そんな家族のハレの場に、彼にいてほしいと思ったわけだ?」
「……ああ。」
「つまり、彼と家族になりたいんだ?」
その通りだと即答したかったが、言葉に詰まった。ついさっきの、義国叔父の友人アーティストがよぎったせいだ。別れたパートナーも、養子の実母も「ファミリー」。和樹をそんな広義の家族として語りたくはない。自分にとっての和樹は、もっと狭量な気持ちで囲んでしまいたい存在だ。その中には他の誰も立ち入らせたくない。
黙り込んだ涼矢を、佐江子は急かすでもなくじっと待った。
しばらくの後に、涼矢が口を開く。「そうかもしれない、けど、違う気もする。俺はただ、あいつとずっと一緒に生きていきたいと思ってて。」
言葉にしてから、猛烈に恥ずかしくなった。母親を前にして、何を言い出しているのかと。そんな涼矢の羞恥を知ってか知らずか、佐江子が語り出した。
「無理に名前をつけなくてもいいのかもね。私だって『内縁の妻』なんて言われてもしっくり来なくて、かといってなんて呼び名がしっくりくるのか未だに分からないもの。……でもま、特に我が国ニッポンでは分かりやすいラベルがないと困る場面があるのは事実ね。個人的には、ずっと一緒に生きていきたいと思う相手はみーんな『家族』でいいんじゃないかと思うけど。」
再び黙る涼矢に、佐江子は続けた。
「話を戻すよ。彼があなたの一生のパートナーでも家族でも、それはあなたと彼がお互いにそう思っていれば成立することだよね。呼び名なんて関係ないし、誰かの許可なんて要らない。でも、あなたは私たちにも同じ気持ちでいてほしいのよね? そのために彼を呼ぶのよね? そこには本当に深い意味なんてない?」
「……分かったよ、もういい。あるよ。すごくある。全部母さんの言うとおり。」
佐江子は涼矢を見つめ、薄く笑った。
「あなたが思っているより、彼は大きな、強い覚悟をして来ると思うよ。だから、あなたも腹をくくらなきゃダメ。適当な言葉でその場をやり過ごそうとしないで。」
「……分かった。」
「さて、では改めて、銀婚式の招待客についてうかがいましょうか?」
「和樹を呼びたいと思ってる。父さんと母さんにちゃんと……紹介させてください。」
「はい、分かりました。お父さんには私から伝えておく。」
涼矢はちょこんと頭を下げて返事の代わりにした。
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