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第913話 冬凪 (6)

 腹をくくれ。適当な言葉で誤魔化すな。佐江子の言葉はおそらくは自身の経験が反映されているのだろう。籍も入れず、別居していて、各々で生計を立てられるだけの収入源を持ち、およそ「婚姻関係にある」とは言いがたい状態の二人は、今まで何度となく「夫婦」や「家族」のあり方というものと向き合わざるを得なかったことだろう。でも、自分たちの関係を「夫婦」と主張できない場があったとしても、彼らには別の「家族」としての名前がある。  「親」。  彼らには、俺がいるから。俺と和樹には――相当の努力をもってして養子を希望するのではない限りは――一生与えられることのない「称号」。  世間の大半とは違う選択をするなら、その自覚を持ち、そうと意識して行動せよ。両親より更に険しい選択をしようとしている俺に、佐江子はそう言っているのだろう、と涼矢は思う。一方で、そんな大げさなことじゃないだろう、とも思う。好きな奴と一緒にいたいと思ってるだけだ。そこに覚悟だの自覚だの、世の恋人たちは持ち込まないじゃないか。 「ドレス、買わなきゃダメ?」  唐突に佐江子が言った。佐江子の目の前で、佐江子の言葉について考えていたのに、その存在を失念していて、驚く。 「あ、いや、レンタルドレスでいいんじゃないかと。」 「なるほど、レンタルね。なに、それも都倉くんのアイディア?」 「違う、大学の友達。前にアリスさんのクリパに来てた子。」 「ああ、あのショートカットの女の子ね。へえ、相変わらず仲いいんだ。」 「悪くはない。学部違うから滅多に会わないけど。」 「滅多に会わないのに、私のドレスの話なんかしたの?」 「それは……ちゃんと、時間作ってもらって、相談して。」 「おやまあ、やっぱり随分と真面目に考えてくれてたんじゃない。ありがとね。」  照れ隠しに、涼矢はスマホをいじりだした。「宛てはある? レンタルショップの。」 「あるわけないでしょ、私だよ?」 「じゃあ、教えてもらったショップのサイト、送ったから適当に選んでおいて。」涼矢は立ち上がる。 「うん。」 「費用は俺持ちってことで。」 「はいはい、あなたの口座から引き落とすわ。うんと高いの借りようかな。」 「……ま、元はと言えばあなた方の稼ぎですから、ご自由に。」  言いながら、少しだけ虚しくなる。バイトもせず、親のすねをかじって生きている。そんな自分が、何が親孝行だ。何が和樹を紹介したいだ。その思いを振り切るように、二階の自室に向かう階段を駆け上がった。  涼矢は和樹に連絡をしようとして、ふと思いとどまった。おふくろに伝えた、新たに増えた情報はそれだけだ。もう少し話を詰めてから伝えようと思い、メッセージの宛先をアリスに変えた。  両親の銀婚式の食事会がしたい。娘さんに記念写真を頼みたい。希望の日程は三月の三連休のどこか。ビジネスライクな文面にしかならなかったが、今更社交辞令を言う相手でもない。  返事が来たのは三十分ほど経ってからだ。連休の中日を貸切にすることを勧められて、承諾した。 [ さっちゃんとまーくんも二五周年か。月日の経つのは早いものね ]  アリスはいかにも中年らしい感想を付け加えてきた。  ついでに、と書きかけて、書き直す。 [ せっかくなので、俺と和樹の成人式の写真も撮ってほしいんです ] [ 彼氏も参加するのね。素敵! もちろん喜んで撮らせてもらうわ~ そうだ、娘はヘアメイクもできるけど、さっちゃん自分でメイクしたいかしら。どうする? ] [ 全部お任せします ]  和樹からプレゼントされた口紅一本に無邪気に喜んでいた佐江子だが、結局それ以降も代わり映えのしない地味な装いしか見ていない。本人に聞けば「化粧なんて自分で適当にやるから必要ない」と言うに決まっている。その通りにしたところで誰も文句は言わないのだろうし、正直に言えば自分も派手な化粧をした母親はあまり見たくはない。だが、いわゆる「晴れ舞台」だ。一生に一度ぐらいそんな経験をしてもいいだろうと思う。イヤイヤ他人の言うなりになる佐江子でもない。本当に嫌ならその場で断りもするだろう。  そんなことを考えていると、アリスからまたメッセージが届いた。 [ 涼矢くんたちは結婚式じゃないの? ] [ じゃないです ] [ さっちゃんたちとダブル挙式しちゃえばいいじゃない ]  返事に戸惑っているうちにアリスが畳みかけてきた。 [ でも、キラキラのイケメン二人と一緒じゃさっちゃんがかわいそうね ここはお母様に花をもたせてあげましょ ] [ そういうことにしておいてください ]  大笑いするコミカルなキャラクターの画像が送られてきて、やりとりは終わった。  結婚してください。  そんな直球のプロポーズなら、既に受けた。和樹が盲腸で入院していた時のことだ。和樹の言うそれは「一生を共にしたい」というロマンチックな愛の言葉の言い換えだと思ったら、案外と現実的なことを言い出したから驚いた。パートナーシップ証明書でもいい、養子縁組でもいいから、口約束じゃない何かが欲しい、と和樹は言ったのだ。

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