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第149話 僕らの事情(8)

 哲の表情が変わった。相変わらず口角の上がった微笑み顔だが、目は笑っていない。 「俺、ビッチだからねえ……みんな平等に好きだよ。一番好きってわけじゃない。ただ、一番長い付き合いなんだ。いろんな人とつきあっても、いつもヨウちゃんとこに戻ってる。だから、もし誰か一人に絞れって言われるなら、ヨウちゃんがいい。」  それは一番好きということにはならないのだろうか。「15で出会ったって言ってたよね。初めてつきあった人?」和樹は重ねて聞いた。そうだとしたら、思い入れが強い意味が分かる。 「違う。」哲はあっさりと否定した。「今の質問が、初体験の相手って意味なら、違う。初めての人は、名前も知らない。顔も忘れた。その後もヨウちゃんに出会うまでに何人かそういう人がいた。一度きりじゃなくて継続的なつきあいをしたって意味でも、違う。ヨウちゃんがそういう、他の人と違うところがあるとしたら、初めから、本名と、ちゃんと連絡のつく連絡先を教えてくれたところぐらいかな。ああ、あと、会いたいって言えば断らないってところも、気に入ってるし、薬だの首絞めだの変なことしてこないのも安心。身体の相性もいい。」  そんな内容を淡々と淀みなく話す哲が、和樹は少し怖かった。哲はどこか壊れている、と思った。「一番好きな、特別な人じゃないの?」 「特別な人だよ。でも、一番じゃない。」 「一番は、ほかにいるんだ?」そう言ったのは涼矢だ。哲は黙り込む。和樹は驚いて哲を凝視する。  和樹は、唾を飲み込もうとして、口の中が乾いていることに気づいた。オレンジスカッシュを飲む。こういうところのドリンクバーでは、なんとなく普段は飲まないようなものが飲みたくなる。  哲はスマホを出して、何やら操作を始めた。そして、無言でテーブルの上に置き、涼矢の前へと滑らせた。画面には人物写真が表示されているようだ。 「……一番好きな人?」と涼矢が言った。和樹が哲を見ると、哲はうなずいた。和樹も見てもいい、という意味だと解釈して、涼矢の手にしたスマホを覗き込む。おそらくは何人かで撮影した集合写真。七五三とか、そんな感じの改まったもの。それを引き延ばして、1人だけにトリミングした。そんな感じだ。元の写真はデジタルデータではなさそうで、その一部を拡大しているから、画質が粗い。  その粗い画質でも、分かることがある。 「倉田さんに似てるな。」涼矢はそう言い、スマホを哲に返した。  和樹も同じことを思った。でも、倉田ではない。倉田よりずっと年上だ。この写真が古い物なら、現在は更に年を取っているはずだ。 「お父さん。」と哲が言った。涼矢も和樹も目を丸くして、哲を見た。何も言えなかった。「俺の一番好きな人は、義理の父親。母親の再婚相手で、血はつながっていない、お父さん。」そしてまた、にっこりと笑った。「家に帰れない最大の理由も、それだ。ヨウちゃんが特別な人だって理由もね。」 「そのこと、お父さんは?」涼矢が聞いた。  哲は首を振る。「例の担任の件でね、俺が同性愛者だってことはバレた。でも、それ以外のことは知らない。知らせるつもりもない。……だからもう、実家には戻らない。実家にはまだ妹も弟もいるし、俺のことでこれ以上迷惑かけらんない。……妹たちは、そのお父さんの実の子でさ、俺がいなければ、理想的な家族だ。」 「そんなっ。」和樹は言いかけたが、続く言葉は出てこなかった。 「倉田さんとこに逃げたいか。」涼矢が言った。 「……逃げだよなあ、やっぱ。」哲は溜息をつく。 「涼矢、そんな言い方。」和樹は思わず涼矢の腕をつかんで、責めた。 「ああ、いい、いいんだ。そのために来てもらったんだから。」哲は和樹には兄のような優しさで笑いかける。そして、涼矢には弟のように少し甘えているように見えた。「田崎の言う通りなんだ。」 「あのおっさんで、いいのか? 逃げ込んで、守ってもらえるか?」 「さあ……。3年猶予もらっちゃったからな。のんびり考えようかなって。」 「それじゃダメだと思ったから、俺ら呼んだんだろ?」 「幸せなバカップル見たら、自分も人恋しくなって、迷わずヨウちゃんとこに行く気になるかなって思ったんだよ。」 「ならなかったの?」 「ならない。おまえらキラキラしすぎで別世界だった。そんな特例は参考にならないことが良くわかった。」 「そんなことないよ。」和樹が口をはさむ。「俺たちだって、最初からうまく行ってたわけじゃないし、それなりにケンカするし、山あり海あり……。」 「谷。」涼矢と哲が口を揃えて言った。 「谷あり。」和樹は言い直す。恥ずかしすぎて怒ったような言い方で。 「倉田さんのほうは。」涼矢は和樹をスルーして哲に聞く。それもまた和樹としては面白くないが、言い間違えた恥ずかしさはうやむやにできた。 「言ってない。母親が再婚してて、実の父親じゃないってことは知ってる。担任の件が起きる前から、俺が家にあまり帰りたがらなかったのは父親のせいだってことも薄々は知ってる。でも、それは俺と父親の相性が悪いからとしか思ってないはず。母親が再婚したの、俺が中学の時だからさ、多感な時期に母親取られて、父親のこと良く思ってないとか、そんな風に思ってる。……取られたのは母親じゃなくて、父親のほうなんだけどね。」哲は当時を思い出してるのか、遠い目をした。「……好きな人が父親になって、一緒に暮らすようになったら、思ったよりしんどくて。」

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