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第150話 僕らの事情(9)
「しんどい? 父親になったら豹変したとか?」和樹が聞いた。時々聞く、妻の連れ子を虐待するニュース。哲がそんな目に遭ったのではないかと危惧したのだ。
「違う違う。」哲は笑った。和樹が心配してそう言ったのは伝わっているようだ。「逆だよ。父親になっても、変わらず優しかった。血のつながったこどもが生まれても、俺のことを邪魔にするようなことはなかった。だからしんどかった。母親にも俺にも優しい、そんなお父さんで、毎晩抜いてるんだよ、息子の俺は。妹たちが生まれれば、母親とはセックスしてるんだなって思って、嫉妬して。俺のそういうの見せたくなくて、必死で優等生やってたのに、担任の件は、マズった。……でも、結果としては、良かったのかな。家を出ることができたから。」
「倉田さんに、お父さんを重ねてる?」涼矢が言った。
「……ああ。そうだと思う。」
「それが倉田さんに悪いと?」
「田崎だって嫌じゃね? 自分が都倉くんの大切な誰かに似てて、その人の代わりにされてたら。」
「そっ」そんなことあるわけないと否定しようとした和樹にかぶせるように、涼矢が言った。
「俺はそれでも構わない。」
「え。」哲も和樹も涼矢を見る。
「和樹に俺より好きな誰かがいて、俺がその代役だとしても、そのおかげで俺といてくれるんなら、それでいい。俺が和樹の一番じゃなくていい。俺にとっては和樹が一番なのは変わらないから。」涼矢は淡々とそんな言葉を口にした。
「りょ……。」和樹は口から心臓が飛び出しそうだった。今まで何度も愛の言葉を聞いてきたが、その中でも一番激しい愛の言葉に聞こえた。もちろん俺にとっても涼矢が一番だ。そう伝えてやりたかったが、そう言える場でもない。
「やっばいな、おまえら。」哲は笑った。「本当にバカップルだ。」
「人恋しくなったか。」と涼矢が言った。真顔で言うから、軽口なのか何なのか分かりにくい。
「ヨウちゃんが田崎みたいに思ってくれるか、分かんないじゃん。」哲は少し淋しげに笑う。
「じゃあ、本人に聞けば? 倉田さんは一番好きなわけじゃないけど、それでもいいのかって。」
「いいって言いそうだから嫌なんだ。」
「本音では嫌なのに、そう言えなくて『いい』って言っちゃうタイプ?」和樹が言った。
「分かんない。その時は本音かもしれない。でも、翌日にはやっぱりそんなの嫌だとか言いそう。でも、そこで俺がじゃあ無理だね、別れようって言ったら、また意見変える。そういう人なんだ、ヨウちゃんて。」哲は笑った。
「やめとけよ、そんな奴。」冷たくそう言い放ったのは涼矢だ。
「でも、優しいんだ。」
「それ、ダメ男にひっかかる女の典型的な台詞。」和樹が言った。「こんなに私を愛してくれる人、もう現れないかもしれないとか思い込んで。そんなことないんだけどね、大抵の場合。」
「……都倉くんが意外なこと言った。」
「そのセリフ、言われた側だろ。」涼矢が言う。
「俺と別れた子たちは、みんな俺よりマシな男とつきあってるよ。つきあってる最中は、俺が世界一好きだって言ってたはずの子も。」
「柴がおまえより良い男だとは思えないけど。」
「あれは……。」
「ああ、あれは当て馬か。おまえの気を引いて取り戻すための。」
「俺のことはいいんだよ。」
哲は声に出して笑い出した。このファミレスに来てから、初めて心から面白そうに笑った。「確かに、おまえらもそれなりに山も海もあったって感じだな。」
そんな風に哲が笑ったので一瞬場が和んだが、「今のところ、倉田さんの良さは、一番好きな人に似てるってとこと、優しいってとこしか見当たらない。その優しさはほぼ優柔不断と同じ意味で。」と涼矢が淡々と言い放つと、再び沈黙が訪れた。
口を開いたのは哲だ。「つまり、田崎は反対なんだね。」
「うん。」
「そっか。都倉くんはどう思う?」
「俺はそんなに……答えは急がなくていいかと……3年後の状況見て、決めたって。それまでの間にやっていけそうかどうか見極めてさ。」
「おまえ、留学しろよ。」またも和樹の意見をスルーして、突然涼矢が言った。「1年ぐらいさ。そしたらなんか分かることもあるかもよ。おまえならスカラシップ取れるだろ。」
「第三の選択肢だな。……と言いつつ、それも実は考えてた。ヨウちゃんのことだけでなく。」
「物理的に離れたほうが見えてくることもあるよ。」涼矢のその言葉は、遠距離の自分たちと重ねているのか。涼矢にはこの数か月で「見えてきたもの」があったのだろうか。和樹がそんなことを考えていると、涼矢は畳みかけた。「今みたいに、遠距離と言いながらホイホイ往復できるようなところにいたらダメだ。地球の反対側にでも行って、日本語聞かずに生活したらいい。」
「南米かよ。」哲は笑った。
「どこでもいいけど、ゲイが死刑になる国は避けることだな。」
「ああ、それはそうな。適度に理解があって。……ドイツあたりいいかなって思ってて。」
「法律できたんだよな。同性カップルの。」
「そうそう。それもある。あと英語通じるし。」
「おまえ英語できるもんな。」
「……それだったら、逃げることには、ならないかな。」と哲が呟くように言った。
「逃げてもいいんじゃないの。」留学については口をはさめなかった和樹が言った。「さっきから、倉田さんところに行くのは逃げ込むって言うし、留学することも逃げるって言うけどさ、普通は留学にしたって恋人の元に走るにしたって、逃げとは言わないよ? 前向きな選択じゃないの? つか、そんな言葉遊びしてないで、やってみればいいんじゃないの。答えなんて今ここでグダグダ言っても分かんないよ。頭いいおまえらが考えたって分かんないんだろ?」
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