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第151話 僕らの事情(10)
2人の優等生が和樹をじっと見つめた。見つめられて、和樹はふいに恥ずかしくなる。とんでもなく幼稚なことを言っているのではないかとソワソワした。
「勉強になります。都倉さん。」哲が言った。
「和樹の言うことが正しい。」涼矢が言った。
「ば、馬鹿にしてる?」和樹が赤い顔をして言った。
「してないよ。……本当にそうだなって。」哲がソファ席の背もたれにだらしなくもたれて、天井を仰ぎ見た。「留学、ねえ。」
「その間に、倉田さんも冷静になるだろ。」
「留学して、やっぱりヨウちゃんしかいないって心に決めて帰国した時には、ヨウちゃんは心変わりしてるかもしれないわけだ。」
「そうだな。」
「だーよーなー。」また天井のほうを見る。喉仏が良く見えた。
「それならそれで運命だ。仕方ない。おまえがドイツ人のパートナ―を見つけるかもしれないし。」
「あー、それがいいなあ。そんで、向こうに永住して。夫婦同然に暮らすんだ。素敵ぃ。」
「日本には帰ってきて。」涼矢が言うと、哲はむくりと起き上がり、ずいっと涼矢に顔を近づけた。
「いま、なんと?」
「留学で学んだことは、きちんと俺にも還元して。」
「あ、そっち?」
「どっちだと思った。」
「俺に帰ってきてくれないと淋しいのかなあって。涼矢が。」
涼矢はスコンと哲の頭をはたく。「田崎。」
「田崎が、淋しいのかなあって。」哲はわざわざ言い直した。
「淋しいよ。」顔色一つ変えずに涼矢は言った。「おまえは俺の、数少ない友達だからな。だから、くだらない色恋でガタガタしてほしくないと思ってる。」
「くだらないなんて言うなよ。」そう言ったのは哲ではなく和樹だ。
「そうだよ。自分が充実した恋愛してるからって、俺のはくだらないなんて言うなよ。」哲が言う。
「くだらないよ。俺の恋愛だって、誰の恋愛だって。時間の無駄だ。」
「はあ?」和樹が涼矢を睨んだ。
「楽しいことなんかちょっとしかない。苦しいことばっかで。もっとやらなきゃいけないこといくらでもあるのに、何も手につかなくなる。そんな感情、なければいいのにって思う。でも、そのちょっとの楽しいことがないと、生きてけない。」
哲は呆気にとられた後で、涼矢から和樹のほうに視線を移動させ、ぷはっ、と笑った。「ねえ、カズの彼氏、すっげえノロケてるんスけど。」
哲にノロケと指摘されて、和樹はそれがノロケであると認識した。哲がカズと呼んだことに対しては、涼矢も和樹も触れるだけの余裕もなかった。
「馬鹿じゃねえの。」和樹は涼矢のほうを見ずに言った。
「いいなあ。」哲は頬杖をついて、ぼんやりと周りを見回した。「俺以外のみんな、良い恋愛してるみたいに見えるよ。このママさんたちもさ、ダンナと若い頃には恋愛して、結婚して、家庭持って。いいよなあ。」
「でも、中にはダンナに不満で不倫に走ってる人もいるかもよ。」和樹が言った。
「昼ドラみたいな?」哲が返す。
「そう、ドロドロの。あと、ママ友地獄とかあるみたいじゃない?」
「あー。仲良さそうにしてるけど、腹のうちは分かんないか。」
「そうそう。それから一番好きな人と結婚しないほうがいいって言うしね。」
「なんで?」
「好きのピークで好きになった人と結婚して、生活が始まると粗が見えた時に減点するしかないから、どんどん嫌になっちゃう。でも、ほどほどの人だったら、スタートの期待値が低いから、加点方式で相手を見られるって。」
「なるほど。」
「だから、倉田さん、いいかもよ。」
「……そこにつなげるわけね。」
「はは。」
「でもさ、田崎は明らかにピークもピークでカズん家で数日過ごしてるんだろ? 減点するようなことあった?」
ふいに聞かれたが、涼矢は即答した。「ない。」
「こういう奴もいる。」哲は笑った。「でも……分かるよ、その、片目つぶって相手を見たほうがいい、みたいな感じ。…そうねえ、本当に、ちゃんと考えてみるよ、留学のこと。それだってすぐってわけには行かないから、ヨウちゃんにはすごく待たせることになるけど。」
「待たせておけばいい。どっちにしろあのおっさんじゃ離婚だってすんなり進まねえよ。」
相変わらず倉田に対しては容赦のない言葉を浴びせる涼矢に、哲と和樹は顔を見合わせて苦笑した。
ファミレスで哲と別れ、和樹と涼矢は帰途につく。行きに返そうと思って返却しそびれた図書館の本を、ポストに返した。
「まっすぐ帰る?」と和樹が尋ねた。
「うん。なんか疲れた。」
「確かに。あんな話、聞かされちゃあな。」
哲は軽い口調で話していたが、義理の父親が好きだという告白は、2人の心に重く澱んでいた。
「ひとつ聞きたいことがあるんだけど。」歩きながら和樹は尋ねた。「涼矢は、物理的に離れて分かったことって、何かあったの?」
「ああ、それ。」涼矢は予想外に笑った。「ない。なんもない。」
「へ?」
「哲を倉田さんから離したかっただけ。遠距離の俺がああ言うと、なんか、"らしい"だろ?」
「えー。俺、何かあったのかと思って、超ドキドキしたんだけど。」
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