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第915話 二重奏 (1)

 自分が逆の立場なら――そんな日が来るかどうか分からないが――もし、和樹の両親の前で、二人の決意を表明せねばならない時が来るとしたら、あの優しい恵は、その美しい顔をショックで歪ませて泣き崩れるかもしれない。父親はどうだろう。同性愛者についてそう多くの知識はなさそうな彼は、しかし、世間一般の代表でもあるだろう。怒り出すのか、悲しむのか、見当がつかないけれど、少なくとも正継のようには行かないはずだ。宏樹は味方をしてくれると思うが、必ずしも自分たちの望む方向を向いているとは限らない。  そして、そういったシミュレーションを、和樹は俺以上に繰り返してもいるだろう。「まだ親には言えない」、和樹が俺にそう告げる時の、あるいはそれを押し隠す時の辛そうな表情がそれを示している。  俺たちの思いに、誰の許しも要らない。理解されなくたっていい。たとえ親だろうと。今この瞬間もそう思っている。  でも。それでも。 『あなたは私たちにも同じ気持ちでいてほしいのよね? そのために彼を呼ぶのよね? そこには本当に深い意味なんてない?』  佐江子の言葉が再び胸に響く。そうだ。できることなら認められたい。理解されたい。これから二人で進んでいく先の道のりを、大手を振って歩いて行きたい。そんな相手と巡り会えたことを祝福されたい。――恵たちのような派手な結婚式でなくてもいいから。佐江子と正継のように、二五年先の未来でもいいから。誰かにおめでとうと、お似合いの二人だと言われたい。それは出来すぎた夢だろうか。ありえない未来だろうか。 「楽しみだな、和樹のスーツ姿。」  両親の銀婚式に自分たちの将来を重ねて夢想した挙げ句に、口に出たのはそんな言葉だった。 ――妙な期待すんなよ? 一応言っとくけど、銀婚式の時しか着ないからな?  和樹の笑い声を聞いて、涼矢の口元も緩んだ。  そこからの日々もまためまぐるしく過ぎていった。  和樹にしても連日の春期講習バイトをこなすと帰宅する頃には疲労困憊で、そのうちそのうちと先延ばしにしていた実家への連絡は、結局二月も最終週になった。直前の連絡に恵は少々機嫌が悪くなったが、それでも年末年始にも帰省してこなかった息子の帰還の嬉しさのほうが先に立つ様子だ。 「それで、成人式さ、俺、行ってないだろ?」 ――そうね。そう言えば宏樹の時には記念品もらったけど、今年からは廃止なんですって。和樹みたいに式典に出ない子も年々増えてて、欠席でも市役所に取りに行けばもらえたらしいんだけどね、そもそも欠席する子は受け取りにも来ないらしくて、税金もったいないからって。 「記念品あることも知らなかった。」 ――安っぽいタンブラーとか、大した物じゃないから別にいいんだけど、もらえたものがもらえないとなると損した気になっちゃうわねえ。 「安っぽいタンブラーなんて要らないよ。」 ――そうだけど、あなたなんてそういうものでもなきゃ何も残らないじゃない? 写真も撮ってないし。 「だから、今その話しようとしてたんだって。」 ――その話? 「涼矢の知り合いにカメラマンやってる人がいて、今度その人に成人式の写真撮ってもらうんだって。で、俺もついでにどうだって言ってくれてさ。」 ――まあ、いいじゃない。どこで撮るの? スタジオ? 「えっと、レンタルスペースみたいなところって言ってたかな。そんなに大げさな感じじゃない。」  なんとなくアリスの店のことは伏せておきたかった。 ――写真撮るところ、私にも見せてもらえるのかしら。 「それはちょっと。」 ――あら、ダメ? 「ダメっつか。えっと、まぁ、その後たぶん俺らで遊びに行くし。……向こうの親は来ないし。」  更に嘘を重ねた。来ないどころか、その日の本当の主役は涼矢の両親だ。 ――そうなの。じゃあ、仕方ないわね。それより和樹、着る物はどうするつもりよ。 「そう、それが本題。一応スーツはあるんだ。バイト先のベテランの先生にもらった、結構いいやつ。」 ――いやだ、そんないただきものしてるならちゃんと教えてよ。お礼しなくちゃ。 「いや、いいんだって。」 ――よくないわ。 「いいんだよ、着る人がいなかったら捨てるつもりだったって言うんだから。もらったの随分前のことだし。」 ――もう。 「ただ、まぁ、もらいもんだからね、体にぴったりってこともないし、色もちょっと俺には渋すぎるかなって感じで。」 ――型も古くなってるんじゃない? 「それはよく分かんないけど、さ。で……涼矢は、新しく作ったんだって、スーツ。元々持ってたけど、成人式用に。」 ――あなたもそうしなさいよ。 「……という相談だったんだけど、いいの?」 ――買ってあげるわよ、そのぐらい。 「さっすがおふくろ、太っ腹。」  節約家の恵だが、こと着る物に関しては財布の紐は緩みがちだ。特に今回は、「涼矢は成人式用にスーツを新調した」という情報が更に後押しをしているのだろう。 ――そうよ、そのぐらいなら私のパート代でだって買えるわ。 「え。」 ――何よ? お母さんだってね、職場じゃちょっとしたものなのよ。若い子は一ヶ月で辞めちゃったりするんだもの、もう古株よ。時給も上がったんだから。

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