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第917話 二重奏 (3)
帰省したのはその翌々日のことだ。パンは森川の勧め通りに朝食に食べ、それ以外の菓子類はそのまま帰省の手土産にした。菊池の菓子はきれいな化粧箱に入っていたから実家に。森川からの焼き菓子はよくある透明な袋に入っていて、量もそう多くない。新幹線の到着駅まで迎えに来た涼矢の車に乗ってすぐ、袋の口を開けて涼矢に向けた。
「何?」
「もらった。バイト先の先輩の先生に、お餞別だって。」
「手作り?」
「手作りっちゃ手作りだけど、お店の商品だよ。実家がパン屋なんだ。」
「ふうん。」
涼矢は自分で取ろうとはせず、和樹に向かって口を開けた。和樹は苦笑いしながらひとつ取り、涼矢の口へと放り込んだ。袋の中には何種類かのクッキーが入っているらしい。選んだわけではないが、涼矢の口に入れた物はチョコチップ入りだったようだ。
「もう一個。」
「自分で取れよ。」
「手が汚れるの、面倒くさい。」
「俺はいいのかよ。」
「和樹はハンドル握らないだろ。」
涼矢はエンジンをかける。運転免許もない身としては、それを言われてると立場が弱い。和樹は二つ目のクッキーを涼矢の口に入れた。
「今年こそ免許取るかな。」
「こっちにいる間に取ればいいのに。東京より取りやすいだろ。」
「関係あるか、それ。」
「路上が全然ラクだろ。道が混んでない。」
「ああ、それもそうか。」
そうは言っても、今まさに進もうとしている道路は、いつもより混んでいる気がする。事故でもあったのだろうか。そう口にしたわけでもないのに涼矢が言った。
「テレビで紹介されたらしくてさ、この先にあるアウトレット。それで急に混んでるみたい。」
「そういやあったな、そんなのも。行ったことある?」
「ない。」
そうだろう、と納得する。涼矢が洋服や雑貨のためにわざわざ人の多い場所に行くとは思えないし、それ以前に「安く買う」必要がない。本当に欲しいブランド品があるなら正規の値段で買うだろう。恵は一時期さかんに行ってみたいと口にしていたけれど、運転手役の隆志が乗り気にならずに月日が過ぎて、おそらくまだ行ってはいないだろう。恵は車の免許を持っておらず、そういう時には隆志か宏樹に頼るしかない。恵こそ、車社会の地方都市でこの先もずっと過ごすなら免許を取ったほうが便利だろうに、と思わずにはいられない。
若くして結婚して、夫に家事や育児の協力はほとんど望めないままに男の子二人を育ててきたのだから、そんな余裕はなかったのかもしれないけれど。
「駅の近くにファミレスあるだろ。」
「どの?」
和樹は恵がパート勤務している店の名を告げた。
「そこでおふくろ働いてんの。今までずーっと専業主婦だったし、すぐ辞めるだろうと思ってたら、まだやってるんだって。」
「偉いな。」
「パートだよ。佐江子さんのこと考えたら恥ずかしいレベル。」
「恥ずかしいってことはないだろ。偉いって。ずっと家にいた人が外で働くのって大変だろうし。……なんて言える立場でもないけど。」
「まあ、偉いとは思うわ、俺も。世間知らずのおばちゃんだから、結構心配だった。」
「和樹もね、偉いよ。お勤め、ご苦労様でした。」
「お勤めって、ムショ帰りじゃないんだから。」
和樹が笑うと、涼矢も笑った。
「さて、今日はまっすぐ実家なんだよな?」
「ああ。新幹線の時間まで教えちゃったから、誤魔化せない。」
「俺、ほんとに単なる運転手だな。」
「悪い。」
「嘘だよ、気にしてないよ。」
「正月も帰ってないしね。さすがに今回はちょっとな。」
「うん。分かってる。」
「明日は行けると思うから。」
「無理すんなって。せいぜい親孝行しろっての。」
「でもなあ。」
和樹は手を伸ばし、そっと涼矢の太ももに触れる。
「だから、運転中にそういうのやめろって。」
「キスぐらい、ねえ?」
「だーかーらー。」
「どっか停めろよ、目立たないとこ。」
「……もうちょっと待てって。」
頬を赤らめながらそう応える涼矢に、和樹は満足げに、ふふん、と笑った。
やがてアウトレットへと向かう車の列が車線を変えていき、だいぶ道も空いてきた。
道路沿いにぽつりぽつりと蛍光ピンクの文字が躍る看板が見えた。
「ラブホなんて贅沢は言わないからさ。」
「いや、行かねえし。」
「じゃ、どこ?」
「どこってこともないけど。まぁ、いいか、このへんで。」
涼矢は徐々にスピードを落とし、路肩に車を停めた。
「え、なんにもないけど。」
「なんにもないからいいんだろ。誰も来ない。来てもすぐ通り過ぎる。」
「ああ、前もあったよな、こういうシチュ。」
人気 のない道に停めた車の中で、セックスした。カーセックスは後にも先にもあの時限りだ。
「馬鹿、キスだけだ。」
「えー。」
「えー、じゃねえよ、馬鹿。」
口が悪くなるのは照れている証拠だ。
「まっ、仕方ないか。」
和樹はシートベルトを外し、運転席のほうに身を乗り出した。
「おかえり。」
涼矢も同様に和樹のほうに寄る。
「ただいま。」
和樹が目を閉じると同時に、涼矢がキスをした。
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