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第918話 二重奏 (4)
和樹は薄目を開けて、涼矢の顔を確かめる。変わっていない。相変わらず滑らかな肌をしている。髪は短くなった。和樹ほどではないが、もう「男の割に長い」とも言えない。その心境の変化が気になりつつも、今はまだ久しぶりの体温を確認していたい。露わになった耳たぶにお揃いのピアスが光っている。和樹は無意識にその耳を引き寄せるようにして、こめかみに口づけた。そこから頬、顎、そして唇に戻る。
「会いたかった。」
涼矢が言い、またキス。今度は舌も絡めた。
後方からエンジン音が聞こえてきて、二人は反射的に身を剥がす。
「ここまで、か。」
和樹が呟く。
「生殺し……。」
「俺だって。」
和樹は笑いながら再びシートベルトを締める。涼矢は名残惜しそうにその様子を見つめていたが、立て続けに数台の車が通り過ぎていき、諦めて自分も元の体勢に戻った。
「髪、どうした。」
再び車が動き出してすぐ、和樹が問うた。
「切りすぎた。変?」
「いや、変ではないけども。長いのに慣れたから違和感はある。」
「自分もそう。鏡見て一瞬ビビる。」
「切ったばっかりなんだ?」
「うん。一昨日、かな。」
「失恋でもしたのかと。」
「思ったか?」
「ハハ。」
「連休の頃にはもう少し伸びてるだろ。」
つまり、銀婚式の日には。
「髪の毛伸びるのが速い奴って、スケベだって噂、なかった?」
「ああ、あったな。」
「おまえ、伸びるの速いよね。」
「それ、髪が長いってイメージだけで言ってるんじゃないの。」
「噂は本当なんだなあって。」
「そんなら、おまえだって速いよ、きっと。」
「おう、速いぜ。超速い。」
「自分で認めた。」
涼矢は笑いながらハンドルを切る。周辺の景色はいよいよ見慣れた「我が町」に近づいてくる。和樹はホッとする反面、もうすぐ涼矢との久々の逢瀬が終わるのが淋しくなってきた。明日にはまた会えるはずだけれど。
「涼矢のスーツ、何色?」
「え? ああ、黒。」
「黒かぁ。」
「前のは紺だった。なんで?」
「おふくろがスーツ買ってくれるって言うから、参考までに。」
「へえ、よかったな。」
「安物だろうけどね。リクルートスーツにも使えるのがいいかな。」
「そうだな、とりあえずは無難なのがいいんじゃない。」
「だよな。ネクタイとかでも結構印象変えられるし。」
「ネクタイか。」
涼矢が繰り返すと、二人は同じ思い出を脳裏に思い浮かべ、それを察したようにお互いニヤリと笑った。
高校の卒業式。伝統の「ネクタイ交換」。
「ああ、だったら、和樹。」涼矢の声がワントーン上がる。何かを思いついたようだ。「誕プレ、ネクタイ買ってやるよ。買ったスーツに合わせて。」
「おお、それいいな。」
「さすがにネクタイはお揃いってわけには行かないけど。」
「行かないのか?」
「え。」
「別にいいんじゃない、お揃い。これだって。」
和樹は耳のピアスを弾いてみせた。
「ん、じゃあ、まあ、もし、いいのがあったらね。」
涼矢は心なしかどぎまぎしながら言った。
「何照れてんの。かーわい。」
和樹は手を伸ばして、涼矢の肩をつつく。
「こら、危ねえだろ。邪魔すんな。」
「このへんまで来たら、目をつぶってたって運転できるだろ?」
和樹の実家のあるマンションは目と鼻の先だ。
「安全運転を心がけておりますんで。」
その言葉を裏付けるかのように、涼矢はスーッと優雅に停車した。
「マジ、今日はごめんな、迎えに来させただけになっちゃって。」
和樹はスマホを確認しながらそんなことを言った。
「そうでもない。」涼矢は親指で和樹の唇に触れ、軽く押すようにした。「クッキー、美味かったし。」
されるがままになりながら、和樹は「美味かったのはそっちじゃねえだろ」と心の中で呟いた。
「明日、会えるといいな。」涼矢はまだ和樹の唇をふにふにとつまんでいる。
「ああ。」和樹はただそれだけの返事をしてから、涼矢の手をそっと外した。「またあとで連絡する。」
「うん。でも、無理しなくていいから。」
「ん。」
そう言われても無理はする。するに決まってる。何ヶ月もお預けをくらってるんだ。おまえだって同じ気持ちのくせに。
和樹は車から降り、歩道に上がる。
「今日は気を付けてって言わないんだな?」
「え?」
「いつも俺が降りる時、言ってた。」
「……ああ、左ハンドル。」助手席の人間は車道側に降りねばならない。「もう慣れたかと思って。」
「……慣れないよ。」
慣れたと言ってしまえるほどには、会えていない。そんな和樹の微妙な心情を理解したのかは定かでないが、涼矢は少し淋しげに笑って、「じゃ、連絡待ってる。」とだけ言った。マンションのエントランスに入ってから、ふと振り返ると涼矢の車はまだそこにあった。エレベーターホールまで行くともう死角に入ってしまうから、いつまでそうしていたのかは分からないまま、和樹は実家のある三階まで上がった。
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