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第923話 二重奏 (9)
「カズは……おまえ自身は、どうなんだ? キツイ思いをすることもあるのか?」
「どうだろう。自分でもよく分からない。ヒロ、前に言ってたじゃないか、自分の好きな人が自分を好きでいてくれるなんて奇跡だって。俺もそう思う。その意味では、俺は幸せだと思ってる。みんながみんな俺たちみたいなのを受け入れてくれるわけじゃないけど、それでも分かってくれる友達もいて、だから、充分、幸せなんだと思う。思うけど、どっかでわざわざそう自分に言い聞かせてる気がする。」
和樹はそこまで一気に話すと、ふう、とため息をついた。これはなんのため息だろう、と自分で訝しがりつつ、続きの言葉を待っている宏樹ではなく、その隣にある扇風機にぼんやりと目を向けた。ちょうどよく収まる形状のビニール製の収納袋に収まっているそれは、まるで宏樹に寄り添っているかのようだ。
「俺さ、涼矢の前につきあってた子、すげえ美人だったんだよ。みんなに羨ましがられて、自慢の彼女だった。でも俺、その時その子といて、それが奇跡だなんて思わなかった。そりゃもちろん不幸だとは思ってなかったけど、とりたてて幸せだとも思ってなかった。当たり前だったんだ。何もかもが。」
「贅沢な奴だな。」
宏樹が笑った。本気ではなく、思い詰めた表情の和樹を慮っての発言だろう。
「そう。贅沢。けど、その時はそんな風に思わなかった。今は思う。これは特別なことなんだって。つまり……つまりさ、贅沢とか、特別とか、裏を返せば、普通じゃないってことだよな。」
「俺は、そんなつもりで言ったんじゃ……。」
「分かってるよ。」和樹は弱々しく笑う。「でも、多数派じゃないのは確かだろ? みんなと違うっていう疎外感はたまに感じる。そんで、だからって悪いことしてるわけじゃないとか、俺たちは俺たちのやり方があるとか、ちゃんと幸せだからいいんだとか、いちいち自分で自分に確認する。そういうのは、時々――疲れる。」
口に出すまいと思った。なのに、そう思うと同時に口をついてしまった、「疲れる」という言葉。涼矢のことは好きだけど。今までも、これからだって。後悔なんかしてない。……ほら、こうやって今もまた、自分に言い聞かせてしまう。なんのために。誰のために。
「そうか。」
宏樹はただそれだけ返した。
「うん。」
言ってしまった言葉は取り返せない。時々、疲れる。涼矢とつきあっていることに。涼矢を好きでいることに。すぐにそんなはずはないと打ち消すけれど、でもそれが正直な気持ちであることは、自分が一番分かっている。
「俺はもうおまえにアドバイスするつもりもないし、そもそもそんな資格もないけど。」和樹は声の方向に視線を戻す。宏樹のほうはずっとこちらを見ていたのかは分からないが、真正面から目が合った。「スポーツだってなんだって本気でやろうとすればキツイ。真剣に向き合うほど苦しいし疲れる。そういうもんじゃないのかな。」
「……うん。」
「なんて、全然フォローになってないか。すまんな、カズと違ってそっち方面の経験は乏しいもんで、ついスポーツの話にしちまう。」
その言葉に、和樹は吹き出した。
「いや、サンキュ。」
「頼りにならない兄貴で悪い。」
宏樹も笑う。その笑顔にホッとした。真剣だからこそ苦しいのだという言葉にも少し救われた。少し、だけれど。
「そんなことない。お礼に、ヒロの話も聞いてやるよ。しんどい話。」
「しんどい話はたっぷりあるけど、恋愛ネタは久しくないなあ。」
「ないんだ?」
「ああ。」
「大学の後輩と別れて、それっきり?」
「よく覚えてるな。」
「向こうは結婚したがってたんだっけ。」
「まあな。……実は少し前にその子からよりを戻さないかと言われたけど、断った。」
「お、あるじゃない、恋バナ。」
「断ったんだよ。」
「なんで。」
「なんで、ってそりゃ、冷めたからだ。」
「また結婚迫られた?」
「いや、逆。焦りすぎたって謝られて。考えを改めたからとりあえず復縁だけしないかって。」
「でも断ったんだ? 他に好きな人ができた?」
「いや、もう、無理だろ。一度値踏みされて、却下されたわけだから。それに今は本当にね、生徒たちのほうが大事で、恋人は二の次になってしまうし、そうと分かっててつきあうのも悪いだろう?」
「真面目だねえ、相変わらず。」
和樹は皮肉っぽく言うと、ゴロリと横たわった。
「おいおい、ひとが真剣に話をしてるのにそんな態度があるか。」
「頼んでないし。」
「はあ?」
「俺が聞いてくれと言ったわけじゃない。兄貴が聞きたがってるから話した。で、言ったろ? ――少し、疲れたって。」
「おまえ、まさか涼矢と別れるとか。」
「ないない。」
和樹はベッドの上で仰向けになり、両腕をつきだして左右の手を交互にグーパーした。特に意味はない行動だ。
宏樹が立ち上がる。よっこいしょという声が聞こえてきそうな緩慢さで、体が重くなったというのも本当なのだろうと思わせる。それから和樹を見下ろして言った。
「……大丈夫だよな?」
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