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第924話 二重奏 (10)

「何が? 俺が? 俺と涼矢の関係が?」 「両方。」 「大丈夫だよ。」 「そんならいいけど、あんまり考えすぎるなよ。なんでも理屈で割り切れるわけじゃない。世の中なんて……特に人の気持ちなんて矛盾だらけで、言葉でうまく言い表せなくて当たり前なんだから。」 「国語のセンセーのセリフとは思えないな。」  宏樹は眉をハの字にして、困ったような、苦笑いのような、複雑な表情を浮かべた。 「国語の先生だからだよ。言葉の力も、限界も、おまえよりは知ってるつもりだ。ま、あまり思い詰めるな。」  宏樹は和樹に背を向け、ドアノブに手をかけた。その背中に向かって、けれど独り言のような小声で、和樹は「大丈夫だってのに。」と呟いた。  宏樹が振り返る。 「あいつはあいつでカズ以上に考え込むタイプだろ? おまえがドーンと構えてやらなくてどうする。」 「余計なお世話。」 「……まあ、それはそうだな。」  最後はニヤリと笑って、宏樹が部屋を出て行く。バタンと閉められたドアを見つめて、和樹はまたため息をついた。  ヒロは、怒らない。今の俺は明らかに態度が悪かったし、皮肉も言ったのに。俺がそんな真似をしたところで、兄貴にとっては小さなこどもが拗ねてるようなものなんだろう。彼の目に映る俺は、さぞかし頼りない「弟」なんだろう。たぶん、この力関係はこれからも変わらない。  翌日は約束通り、昼過ぎに涼矢の家に着いた。車で迎えに行こうかと言うのを断り、以前と同じく自転車を使った。持ち主不在の期間の長かった自転車は、そろそろまた錆び付いてメンテナンスが必要だろうと思っていたが、最近は運動がてらに宏樹がたまに乗っているそうで、きちんと手入れがされていた。  自分の家は当然そうだが、今となっては涼矢の家の玄関前に立ってもまた、「帰ってきた」と感じ入る。マンションの実家と違い、一戸建てだから余計に「マイホーム感」もあるのかもしれない。例の二つ並んだ表札にすら少し懐かしさを感じる。  そんな感慨を話しながら、迎え入れてくれた涼矢と共に二階へと上がる。 「ああ、あの表札ね。……もしかしたら、近々ひとつになるかもしれないけど。」 「え?」 「せっかく銀婚式するなら、籍をひとつにしようかって話が出てるみたい。」 「……こういう言い方していいのか分かんねえけど、今更? なんかいろいろ事情があったんじゃなかったっけ?」 「その事情ってやつが解決したから。深沢の本家……佐江子さんの実家ね、そっちの土地やらなんやら、全部叔父が相続するって正式に決まってさ。おばあちゃんはまだ元気だけど、元気で頭もしっかりしているうちに、そういうのきれいに始末しておきたいって自分で言い出してね。生前贈与できるものはして、それ以外もみんなが納得できる形にして、書面にも残して、一通り片付いたとこ。」 「さすが、佐江子さんのお母さんだな。」 「ホントだよ。」 「あの子は? ほら、おまえのチンコが小さいって言ってた。」 「ああ、その従妹なら結婚して、相手の地元に行っちゃったからもう本家のほうには……って、その覚え方やめろ。」  和樹は声を出して笑う。 「言わなきゃ良かった。」  不本意そうに顔をしかめる涼矢の股間を、和樹はいきなりつかんだ。 「小さくないから、心配すんな。」 「馬鹿、痛えよ。」いったんは和樹の手を払う涼矢だが、その勢いのままに、今度は和樹の手首を掴み返した。「和樹。」  名前を呼んだ次の瞬間には、手首を引き寄せて、和樹を抱き締め、キスをした。それに応じながら、和樹もまた涼矢の背に両手を回す。 「安心した。」  唇が離れると、和樹が笑った。 「何が?」 「このまま深沢家の相続争いサスペンスを聞かされるのかと思って。」 「んなわけないだろ。」  和樹の頬に、鼻の頭にと、涼矢は小刻みなキスを繰り返した。 「くすぐったい。」  涼矢の腕をすりぬけて、和樹はベッドに腰掛ける。涼矢がその正面に立った。 「早速、するの?」 「する。」  和樹は発した言葉の意味とは裏腹に、無邪気ないたずらっ子のように笑った。 「ずっと、したかった?」  涼矢が和樹の肩に手をかけ、片膝をベッドにのせる。和樹の両膝の間を割るような体勢だ。 「ああ。おまえもだろ?」  肩に置かれた涼矢の手に、和樹は頬擦りをした。 「もちろん。」  涼矢が肩の手に力を込める。和樹はゆっくりと仰向けに押し倒されてゆく。完全に横たわると、涼矢はその和樹の耳に舌を這わせた。それだけで待ちかねたように体をピクリと反応させる和樹が愛しくてならないと思う。 「ねえ、和樹。」和樹の耳に唇を触れさせたまま、涼矢が囁いた。「お願いがあるんだけど。」 「何。」 「俺、昼飯食ってないんだ。」 「……はい?」 「お腹、空けといたほうがいいかと思ったし……いろいろ準備もした、から。」 「え、それって。」 「和樹の、挿れて?」  和樹は驚いて涼矢の顔をまじまじと見つめた。涼矢は恥ずかしがる様子もなく、悠然として見える。 「その後で、ちゃんと和樹にも挿れてあげるから。」

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