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第931話 カルテット (3)

「さっきワイン使ってなかった?」  和樹が箸でハンバーグを切りながら問うた。ナイフとフォークも並べてあるが、白飯は普通のお碗に盛りつけてあり、いちいち白飯は箸、ハンバーグはナイフとフォーク、と使い分けるのが面倒なようだ。涼矢も同じ理由で、しかし逆にフォークで白飯を食べている。 「ハンバーグソースに使った赤ワインのこと?」 「そう。あれはOKなの?」 「アルコール分は熱で飛んじゃうから大丈夫。肉の臭み消しと風味付けだよ。」 「そうなんだ。」 「それを言い出したら、和食だって日本酒もみりんも使うし。」 「みりんって酒なの?」 「酒だよ。あ、でも、みりん風調味料っていう、酒に分類されないのもあるけど。」 「なんじゃそりゃ。」 「本みりんは酒だから、酒の販売免許持ってる店でしか売っちゃだめなの。みりん風、だったら酒じゃないから大丈夫。安いしね。でもやっぱり味が違う気がするから、俺は本みりん使う。」 「奥深いのう。」 「楽しいよ。」 「料理が?」 「うん。」 「いい嫁だ。」  和樹は笑う。 「楽しいけど、義務になったら嫌なもんじゃないの。俺は毎日きちんと作ってるわけじゃないから、趣味として楽しいってだけで。」 「そうかもな。泳ぐのは楽しいけど、義務的に泳げって言われて練習するのは辛かったもんな。」 「それでサボってたわけか、基礎練。」 「毎回サボってたわけじゃねえよ。」 「サボってるくせに俺よりできるからムカついた。」 「惚れてたんだろ、惚れてる相手にムカつくなよ。わぁ、和樹ったらすごぉーい、さっすがーって思ってればいいだろ。」 「なんでこんな奴がいいんだ、自分、見る目ねえなあってって思ってたよね。」 「ひでえ。」  涼矢はナイフとフォークを持つ手を止めた。 「嘘だけど。」 「は?」 「わぁ、和樹ったらすごぉーい、さっすがーって思ってたよ、ホントは。」涼矢は対面に座る和樹の顔を見つめ、にっこり笑う。「やっぱり俺が惚れるだけのことはあるなあって。」 「……そういうことをしれっと言うなっつの。」  和樹は照れ隠しなのか、白飯をかきこんだ。涼矢はそれもまた温かい目で見つめながら、ぽつりと呟いた。 「すごく昔のことみたいな気がする。」 「あ? 高校時代が?」 「うん。」 「まあ……そうだな。いろいろあったし。環境もガラッと変わったし。」 「離れたら、難しいだろうなって思ってた。」 「俺に遠距離恋愛は無理だって?」 「そう、だね。和樹だけじゃないよ、俺自身も、どういう気持ちでいればいいのか、分かんなかった。和樹は俺に好きでいろ、つかまえてろって簡単に言うけど、近くにいられるわけでもないのに、どうやってつかまえてればいいのか。」 「でも、できてるじゃん。」 「失敗もしたけど。」 「なんのこと?」  和樹はとぼけてみせる。涼矢が哲をハグしたまま過ごした夜を、その後の苦しいばかりの数日間を、二人とも忘れられるはずはない。 「まあ、お互いさまだ。」和樹は続けた。「俺もさ、ずっと、ずーっと、おまえのことだけ考えてるわけじゃない。」 「そりゃそうだろ。」 「いや、今おまえが思ってるそういうことじゃなくて……。なんつうのかな、おまえとのことはさ、おまえを第一に考えたいし、考えてりゃいいって頭では思ってるけど、どうしても余計なことも。」和樹はそこまで言うと口をつぐんだ。  どうした?とでも聞くように、涼矢が小首を傾げる。 「なんでもない。今する話でもないし。」和樹はビールをまた一口二口と飲む。「この苦みって、だんだん慣れてくるな? なんか平気になってきた。」  和樹が不自然に話題を変えても、涼矢は問いただすことはしなかった。 「だよな。もう一本開ける?」  冷蔵庫に向かおうと腰を浮かす涼矢を和樹は止めた。その言葉で気がついたが、涼矢のグラスはいつの間にか空だ。自分のグラスにはまだ半分ほど残っている。 「ちょ、おまえな、そうやって調子に乗るからこの間みたいなことになるんだろうが。」 「和樹が平気そうだから、何かあったら任せる。」  涼矢は和樹が止めるのを聞かずに、結局もう一本持ってきた。ただ、少しは何か思うところがあったのか、今度はロング缶ではない。 「またあんな風になっても、おまえ担いで二階まで運べねえからな。」  和樹はぶちぶちと文句を言う。 「大丈夫だよ、今日は気分良く飲んでるし。」 「前は気分良くなかったのか?」 「そういうわけじゃないけど、あの日は飲みたくて飲んだんじゃなくて、エミリにつきあわされたわけで。……本当は俺だって、最初に飲むのは和樹と二人が良かった。」 「可愛いこと言ってくれるじゃないの。」 「なのに、勝手にエミリと明生を家に誘うから家飲みなんかすることに。」 「え、それは違うだろ。あいつら誘ったのおまえだろ。」 「そうだっけ。」 「そうだよ、俺すげえ覚えてるもん。だってさ、あの時ほら、ベッドとかにそのまんまいろいろ、間違っても明生になんか見せられないようなもんが置きっぱなしで、おまえらが買い物してる間に先帰って、慌ててそういうの片付けて。」

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